直観ひとりごと(67)漢字の「絆」ではダメ、言霊的「キヅナ」を意識しましょう。
この(67)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(67)
◆漢字の「絆」ではダメ、言霊的「キヅナ」を意識しましょう。
今年もあと数えるほどになってしまいました。
日本漢字能力検定協会は、今年を表す漢字を「絆」と発表したそうですね。
でも、この漢字「絆」は当用漢字ではありません。
今年選ばれた「絆」という漢字ですが、当用漢字にはないのです。
ということは、当用漢字に「絆」を選ばなかったお歴々は、その当時、それほど必要でなかった文字ということでしょうか?
もう、日本人には、いらないと感じたからこそ、当用漢字にしなかった?
漢字を必要としないということは、その意味するところも重要でなかったのでは…。
絆なんて、日本人が団結してもってもらったら困るのです。
だから、当用漢字から外したのでは?
と勘ぐりたくなりますね~。
それなのに、震災や原発の爆発が起こってから、急に「絆」、「絆」と騒いでも、後の祭りと化す…。
だったら、当用漢字を選ぶ撰者たちも、日本人の意識にほど遠かった?
そうであれば、この日本が天変地変に見舞われるのも、あながちむべなるかな…。
●絆
「糸+半」ひもをぐるぐる巻いてからめること)。
意味は、ほだし。きずな。馬の足にからめてしばるひも。また、人を束縛する義理・人情などのたとえ。つなぐ。ほだす。しばって自由に行動できなくする。
●糸
絲は糸を二つ並べたもので、よりいとのこと。いま、糸を絲の略字に使ってシと読む。小さく細かい意。子(小さいこども)・巳(小さい胎児)・思(こまごまと考える)などと同系。
意味は、いと、もと、蚕の繭の繊維をよったもの。きぬいと。のち、織物の原料になるよりいとをすべて糸という。いとのように細い線をなしたもの。管楽器に対してことや琵琶など、弦楽器のこと。割合をあらわすことば。ぬいいと。
●半
「牛+八印」で、牛は物の代表、八印は、両方にわける意を示し、何かを二つにわけること。班(わける)・判(わける)と同系。
意味は、なかば。二つに等分した片方。なかばする。半分に達する。わかつ。半分にわける。はん。さいころの目で、奇数。
漢字の意味は、もともとの作られた字源を調べると、とても怖い字が多いことに驚きます。
「幸」や「愛」や「民」等など…。
「絆」も、余りよい意味ではありません。だから、当用漢字には選ばれなかったのでは?
昔の中国(支那)という国を知れば、それも当然と言えるのでしょう。
「中華」とは似て非なる、元の字は「支那」で、元々どこかの国の枝(支)なのです。
つい最近、ほんの100年程前は、どこかの属国だった…。それが「支那」。
それが証拠に、英語では、「China=チャイナ=支那」と書きます。
それが、覇者の治める国だから、権力で「中華」としたのでしょう…。
世界の中心の国ではないから、あえて認めさせるために中国、と付けたのでしょう。
応仁天皇より以前、約500年ほど前から漢字が日本に入って以来、また、聖徳太子が仏教を奨励して以来、殆どのエリートや学者は、漢字を駆使しなければ生きていけないというほどに、なっていたそうです。
そもそも、聖徳太子は、その当時の天皇を殺す側の人間だったのですね。
あのお札に乗った聖徳太子のお顔は真っ赤な偽物だそうですよ。
だけど、それを公にできないこの日本という国は、一体、何のために存続している国なのでしょうか?
こんな、ちっぽけな国なのに…。
日本のお札にもなった「聖徳太子」を、日本の歴史学者はもっと研究しなければ…。
歴史を繙けば繙くほど、悪人と善人が入れ代わっている国というのも珍しいし、世界に類を見ないのでは?
今の時代の、英語に毒されるよりももっと、奈良時代、平安時代は漢字に毒される人間が多く、それはそれは
、ひどかったのではないでしょうか?
もうそろそろ、漢字や英語の呪縛から離れて、日本古来の文字や古典を、もう一度、直感で感じて見る必要があるのではないでしょうか?
でないと…。
今年の「絆(きずな)」って、本当は、気繋(キヅナ)ではないでしょうか?
キをつないでいく…。永遠に…。
「気を繋ぐ」とは、「気持をつなぐ」、「心をつなぐ」、或いは「魂をつなぐ」、もっと広い意味では「宇宙エネルギーをつなぐ」等など…。
要するに、人間同士の絆は、当たり前のコトなんですね。
本当は、宇宙の大いなる意識(神)と繋がることが、一番大切なコトで、それは真の「キヅナ」という意味なのでは?
これは、自分の魂と繋がるコトであり、先祖と繋がるコトであり、そして、祖先の魂と繋がるコトであり、地球と、或いは、太陽系と、或いは、銀河系と、或いは…。
そういう風に考えると、何か、いっぺんに、この世の小さなコトなんて、どうでもよくなってしまいますね。
でも、今の現代人は、キはキでも、「黄(キ)をつなぐ」ではないでしょうか?
黄とは、即ち、黄色のモノ、それは、金。
金とは、まさしく、お金のこと。だから、今の時代で、キといえば金…。
金でつなぐ世の中。だから、金、金、金の世の中といってもちっともおかしくないのです。
人間の質が低下すれば、金、金、金、に振り回される人が当たり前になる。
心よりも、結局、お金が全て!!!
だから、気繋(キヅナ)って、現代は、金繋(キヅナ)では?
でも、金に降りまわされる人って、結局、金に捕らわれ、縛られてしまう。
要するに、「金縛り」と一緒では?
金の亡者になって、最後には、売るモノがなくなって、魂を売ってしまうってこと、かなあ~。
だから、「絆」って、良いイメージがしないのですね。私は…。
「絆」を大切に、といえばいうほど、「絆」がない証拠。
本当に必要であれば、言挙げしないのですね。この国では…。
言挙げしないといけない、というところに、不自然さ、無理があるのです。
だから、これからは、漢字の「絆」ではなく、言霊的な「気繋(キヅナ)」を意識するといいのではないでしょうか?
つくづく、そういう風に実感した次第です。
やっぱり、私の意見っておかしいですかね~。
でも、一人でも、共感する人がいる信じて、これからもぼちぼち、書き綴ってまいります。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。