直観ひとりごと(302)本当は、節分で豆まきはダメ? 豆まきなど不要では?
この(302)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(302)
◆本当は、節分で豆まきはダメ? 豆まきなど不要では?
今日は節分の日ですが、世間ではコロナが再び猛威を振るっていて、今日の自動車文庫の返却日は、中止になりました。
普段はあまり、コロナの脅威はかんじられませんが、毎日の生活に変化があると、やっぱり、身につまされます。
一体、いつまでこの異常事態がつづくのでしょうか?
私は、人間が、今までの言葉の使い方を誤って、これからは綺麗な美しい言葉だけを使うことをすれば、世の中は変わると思います。
流行歌も、若者の間では、汚い言葉のほうが、何か、カッコいいことだと錯覚しているようですが、大人がもっとそういう歌を流行らせないように気をつけねばなりません。言葉の神様がこの世を作ったのですから…。
「うっせいワ!」でしょうか?
皆様、くれぐれもコロナには気をつけましょう。
さて、今日は節分で、豆まきをしたり、恵方巻を食べたリして過ごされるようですが、この豆まきって、どうなんでしょうね。
だいたい、食べ物をぶつけたリ粗末にすること事態、神の摂理に反しているようで、ナンか、変だと感じませんか?
物を投げつける行為事態が、神様に背く不遜な行為では?
私は、よく神社にお詣りに行きますが、そのトキ、お賽銭は決して、投げつけたリいたしません。
そもそも、神様に向かって、お賽銭を投げつける行為が、畏れ多くことだと感じます。
それと一緒で、鬼に豆を投げつけるような行為は、本当は、ご法度だと強く強く感じてなりません。
まして、鬼と言えども、神様と同じ存在だと思いますので、その神様でもある鬼に物を投げつけるなんて…。
昔は、何らかの由来で、それが続いたのでしょうが、そろそろ、そういう誰が考えても不自然な仕来たりなどは、もう中止にしようではありませんか?
私はもう何十年も前から、決して豆まきはいたしません。
また、恵方巻も、ずっと昔には、そういう仕来たりもなかったようで、一体、誰が、何のために、そういう仕来たりを考えついたのでしょうか?
きっと、商売に関わってのことでしょうね。
なので、無理に恵方巻を食べなくてもいいし、別に食べなかったからと言って、罰が当たるわけでもありません。
それよりも、食べずとも、「神様 ありがとうございます」と常日頃、意識して、唱え続けるほうが、ずっといいように思います。
一日だけ、恵方巻を食べても、別に運は変わらないと思います。
運を変えるのは、自分の口からしっかりと、「神様 ありがとうございます」とコトあるごとに、唱え続けることだと信じます。
そして、それが実現するように、自分の行動や行為も、しっかり良いことを行うように意識することが大切です。
それは、一日こっきりのコトではなくて、毎日死ぬまで続けるのが、人間の務めではないでしょうか?
それができれば、鬼などはいないというコトがはっきりと解るので、あえて、豆まきなどの物を粗末にすることなど、必要なくなってきます。
豆まきをするくらいならば、その貴重な食糧の代わりに食糧物資を、飢えに苦しむ人々に届けるのがいいのではないでしょうか?
それを声を大にして、世の中に知ら示すのが神主や宮司や神職に携わる人々の役目、使命でありましょう。
それを悟った神主や宮司はいるのでしょうか?
神道が、日本人から忘れられつつあるのは、こういうことも絡んでいるのではないでしょうか??
豆まきをする暇がある神社、仏閣は、よくよく考えて頂きたいと存じます。
その豆を恵まれない人々に…。
故に、豆まきはダメ! 不要です!!!
間違っているでしょうか? 神様?
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。