直観ひとりごと(303)スピルバーグの「ウエストサイドストーリー」って?
この(303)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(303)
◆スピルバーグの「ウエストサイドストーリー」って?
昔、「ウエストサイドストーリー」を三回以上も観た記憶があります。
私のそのトキのお気に入りの俳優は、マリアの兄バーナード役のジョージ・チャキリス。彼の冷めた孤独な目に、苛酷な環境が想像されて、強く憧れました。
主人公のトニーが陽であれば、彼は陰のような雰囲気に醸し出し、とり対立を際だれていたような感じがします。
また、主人公マリアの可憐さとアニータの妖艶さの対比も絶妙でした。
今回の映画はそういう雰囲気もなくて、ちょっと、物足りなくもありました。
というか、突出した個性的なイメージの俳優さん女優さんがいなくて、全体的に平均的な人が多かった、という感じです。
これは、得てして、有名な監督さんによく見られる傾向で、魅力的な俳優や女優を配置すると、ちょっと、作品のストーリーが薄れたリするために、あえて、無名な人や、あまり個性的でない人を使いたがる、ということでしょうか?
あくまでも、巨匠スピルバーク監督の映画というイメージでしょうか?
でも、観客は、誰が創ったかというよりも、その映画に出ている俳優や女優が、いかに魅力的であるか、人を引きつけるストーリー性かどうか、が問題なのですね。要するに、もう一回観たいかどうか…。巨匠スピルバーグの映画を観たいのではなくて、ただただ、「ウエストサイドストーリー」を観たいのです。いえ、私は、ですよ。
というような意味では、きっと、私は2回目は、観ないでしょうね。
いかに巨匠の作品であっても、いかに最新の技術を駆使されているとしても、観ないです…。
なぜならば、今回の作品には、あまり新鮮味が感じられませんでした。
前回の作品をなぞるのではなくて、ストーリーは変えなくても、セリフや音楽を全く新しいものにするのも有りでは?
そういう意味から言っても、なんだか、全部中途半端な仕上がりになってしまったような感じが否めません。
前作を全く無視して、スピルバークらしい斬新さを期待している者は、ちょっと残念だったのでは?
せめて音楽だけでも、すっかり変えてしまえば、それだけでも新鮮な雰囲気がするのではないでしょうか…。
俳優や女優が評価されるのではなく、まずは、スピルバークが評価されるという意味に、なんだか違和感が…。
異彩を放つ巨匠のやるべきことは、リメーク版を創るのではなくて、一から、オリジナリティ性のある作品を世に出さねば、一体、誰が出すというのでしょうか?
年を取るという意味は、誰も歩いたことのないイバラの道を歩かなくて、一体、誰が歩くというのでしょうか?
そういう意味で、有から有を生んでもあまり、人は感動しなくて、無から有を生むことに、偉大な価値がある!
それが、クリエイターとしての使命でしょうか?
世の中の、老いも若きも、クリエイターと名の付く人にとっての使命でしょうか?
それが無理であれば、もはやクリエイターをやめねば…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。