直観ひとりごと(10)呼吸と息の違い?
この(10)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(10)
◆呼吸と息の違い?
今日は呼吸のお話。というよりも疑問です。以前にも、鼻の事を書きましたが…。なぜ、呼吸って、「口」偏なんでしょうか?
呼吸って、息、でしょう。息だから、鼻に関係があるのでは? なのに、呼吸の「呼」と「吸」は、ふたつとも口偏…。
なんで、口に関係あるの? さらに、呼は「乎」で、吸は「及」に関係あり? これって、よくわかりましぇ~ん!
しかし、呼吸とは、「口」に関係あるのでは? そのまえに、息は、「自」と「心」。「息」って「自分の心」と書くんですね~。
「自」分の鼻で、「息」ができなくなると生きていけない。生きていけないということは、死ぬことであり、死ぬともちろん、「心」もなくなる。
だから、「息」は、自分の心と書くのか…。なるほど…。
でも、今の世の中は、「自分の心」を見失っている人が多いということは、ちゃんと生きていない人が多いということで、ちゃんと息をしていない人が多いということかも? 生きながら、死んでいるということでしょうか。意識しない「息」は、人間の意識しない「生命」そのものか!
だったら、「呼吸」って何? 「呼吸」と「息」とはどう違うのでしょうか? 「呼吸」は口で行い、息は鼻でする?
いえいえ、ヨガや日本の精神統一でも、鼻から吸って口から吐くというのが一般的ですが…。鼻から吸って鼻から吐くという行法もありますが…。
しかし、鼻から吸うって、ちょっとおかしいですね~。鼻から吸うと書きながら、「吸う」という字は口偏です。
「吐く」という字も、呼吸の「呼」という字も、口偏です。本当は、「呼吸」ではなくて、「吐吸」では? なぜ、「吐」ではなく「呼」?
でも、みんな口に関係がある? だったら、「呼吸」とは、口から吸って口から吐く、これが正しいのでしょうか? いえいえ、先に口から吐いて、後で口から吸う。吐いてから吸う。いえいえ、口から吸って、口から呼ぶ、あるいは、口から呼んで、口から吸う…。
では、鼻から吸って云々というのは間違い? 鼻から息して、というのが正しいのかな~。
私は、物ごころついた頃から、ヨガヨガといって母親から「けったいな子やなあ~」なんていわれたり…。そんなわけで、昔、ヨガに関わりまして、この疑問が頭から離れず…。
結局、ヨガも、太極拳も、瞑想も、座禅も、みんな、呼吸を離れては、何の意味もない。全て、経験してきて、現在は、太極拳をやっておりますが、これも呼吸は、鼻から吸って云々なので、やっぱり…。
私独自の解釈は、この「呼吸」って、息をする方法ではなくって、宇宙空間に充満している、宇宙エネルギー(生命エネルギー、プラナ、氣、霞などなど)を取り入れる行為、なのではないか? と思っています。だから、「吐く」ではなくて、「呼ぶ」なのでは?
それは口から行う、だから食べることと同じなので、口偏が使用されているのでは、と想像しています。勘で…。
要するに、呼吸とは「プラナ」を食べること、なのではないでしょうか?
まさに「深呼吸」などはそれにあたるのでしょう。だから、昔の仙人は、物質的な物を食べなくても、生きていけたのでは?
それともう一つ、呼吸するとは、体の中の悪いものをはき出す行為でもあるのでしょう。
悪いものや老廃物を、深呼吸とともに出ていくイメージを意識的にすれば、少々の農薬や添加物も体から追い出せる。それを瞑想とともにやるともっと良い。
と、感じています!
私は、これからの時代は、この呼吸をもっと、科学的に研究すれば、人間は、食べなくても生きていけると信じています。そうでないと、呼吸の口偏の意味がわからない? 何か変だ、なぜ、って、考えることが、「意識改革」につながります。そうすると、今、ある正しいといわれる常識は、これからは、無用な常識になる。
そのための変革の時代なのですね。
なぜって、問う意識は、昔の子供の心に戻ることなのでしょう。それが、意識のレベルを上げることにもつながるのでは?
と思っています。子供のような清いこころに…。
世の中の1%の人間が子供の心に戻れば、6,800万人の人の心が澄んでくる。そうすると、地球の浄化にもなるだろう。
そんな余計な事を考えるよりも、意識して口から深呼吸して、心を清めようではありませんか。「呼吸」とは、宇宙エネルギーを食べること…。「息」とは、自分の「心」を感じること…。
それができなくなると、生きられなくなる…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。