直観ひとりごと(5)自分のからだは誰のもの?
この(5)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(5)
◆自分のからだは誰のもの?
自分のからだは自分のものに決まっているじゃあないかとお思いでしょうが、本当にそう?
私は、昔、比叡山の延暦寺で、9時間座禅の経験があるのですが、このとき、いかに自分の体は自分のものではない、と言うことを知らされました。
決して、意のままにならないのが、己の体。自分の意のままにならないのが、自分の体って…。だから、体は、借り物、です。
一体、誰からの借り物? それは…。なんか深いですね~。だから、粗末に扱うと、大変なのです。
だから、本来は、体に傷を付けたりするのもご法度。やむにやまれない手術などは目をつぶるとしても、入れ墨や美容整形も、本当のところは、ご法度、でしょうね。
だから、坐禅って、きっと、自分の肉体が自分のものでないことを知らしめるためにあるのではないでしょうか? また、無になる、とよく言いますが、決して、凡人は、無になんかなれません。
ではなぜ、無、無、無というのでしょう? 昔の偉い人がそう言ったから! 老子が「無為自然」といったから…。
右の写真は、ちょっと変わった老子の本、『タオ・コード―老子の暗号が語り出す性の五次元領域から迸る秘密の力』千賀一生著です。
私は、無になるのではなく、「一」になるのではないかと思っています。経験上…。「無為自然」ではなく、「一天然」でしょうか…。
一とは、たった一つの宇宙の思い、或いは意識とも…。これが、世にいう「神(カミ=根源)」、とも言われるもの。
それを知るために、他の一切を無にする…。他の一切を無にして一に帰す。
でも他の一切を無にするということは、すでに意識の中に、多くの無にすべきことを、思い描いているので、決してそれを無になんてできませんよね。
よく、野球で例に出しますが、ピッチャーが投げる球で、カーブに手を出すな、カーブに手を出すとダメ、って。
あれって、結局、カーブ、カーブ、って意識させるから、絶対、手を出してしまうのです。
潜在意識は、否定語を否定語と判断できないのですって。だから、カーブに手をだせ、という判断がなされるのです。
そして、結果、やっぱり、手を出して、アウト!
自転車に乗ってて、溝に落っこちないように、落っこちないようにと思って、ペダルを踏んでいると、ついつい溝に落っこちそうになった経験、ありません?
それを意識してしまうから、ダメ!
無になれ、無になれ、も一緒、です。決して、無になんかなれず、次から次へと妄想が湧いてきて、自分の意思の弱さに自己嫌悪に駆られて、チョン!
9時間も、延々、妄想の虜になったら、ちょっとやそっとでは立ち直れない。
それで、またまた、悩む羽目に! その挙句、腰をやられてしまう!
だから、本に書いてあることは、真実でないことが多いので、絶対、鵜呑みにしないでおこうと決めたのです。私は…
それは、他のニュースでも、テレビでも一緒です。そうすると、見えてくるのですね。
見えているものの後ろにみえないもの(真のもの)がある…。「うしろの正面、だ~れ!」のうしろとは…。
この世の情報は、誰かの利益のために流されているのです。結局! それを見極める、ことも大切です。
自分の体も自分の思うように動かせないですものね~。人間って! 自分の体をものにしたいのならば、体を仕切っている、五感を手放すこと。
これからは、五感の上にある第六感を養う努力をすれば、その反対に、体も自然に自分のものになるでしょう。
それを悟るために、私は、いろいろのたうちまわって、今も、のたうちまわって、生きています…。これからも…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。