感動のカウンセリング!(42)修験者のような険しいお顔から垣間見えた本質とは…。
この(42)「感動のカウンセリング!」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★感動のカウンセリング!(42)
守秘義務に則りまして、決して相談者様の特定ができないように重々考慮して書かせて頂いております。
◆修験者のような険しいお顔から垣間見えた本質とは…。
今回、ご紹介する相談者様は、「自分を知りたいのに分からない」、「防衛があるようでそれが何か知りたい」、とのことで申し込まれました。
相談者様は、ヒプノセラピーを受けられたり、レイキも習っておられました。こういうモノに興味があるのに、なぜ、「ご自分のことは分からない」とおっしゃるのでしょうか。いえ、それは、習う「目的」が違うから、なのではないでしょうか? 本当はこういう方がとっても多いのです。
色々なセミナーや療法を受けたり習ったりする人ほど、「真理」からは遠のいていく…。特に、自分のコトはいくら「外」に答えを見つけようとしても、決して見つけられないのですね。答えは「己」の中にしかないのですから…。本当は、ご自分のためというよりも、プロとして他人に施術するために習っているのでは? と一瞬感じたのですが…。もしもそうであれば、カウンセリングを受けるという意識よりも、講習やセミナーを受けるような感覚が強いので、今日はちょっと難しい日になるのでは?
そして、このセッションの最後の最後で、「予期せぬ事態」が勃発し、やはり、それが起こったのは、起こるべくして起こったのでは、と痛感した次第です…。自分に起る「ヒトモノコト」はすべて必然なのですね。それを今回いみじくも知らせていただいたようです。誰からって、それは、相談者様の「魂」から、であり私の「魂」から、でありますが…。
相談者様のお見えになられた第一印象は、もうスゴイ方、としか言いようがない…。着ている衣服からして、ちょっと普通の「いで立ち」ではない。短い「マント」の下には、ジーンズ地の上下なのに、見た事も無い、何か「仕事着」でもなく「遊び着」でもなく、決して「正装」とは言い難く、まるで、アンバランな感じの服装から、「あ~、普通の主婦や人間と思われたくない人なんだ~」と…。
強いて言えば、現実離れした「魔女」のようで、この雰囲気は、尋常ではない。ひょっとして、霊能者か占い師と見まがうばかりで、無意識だけど、ご本人はきっとそういう特別な人間として、見られたいのでは? でも、何かちょっと痛々しいというか、この辺からも相談者様の「心の叫び」が聞こえてきそう…。
相談者様を見ていると、何か「修験者」や「山伏」や「仙人」のような険しい雰囲気というか、山のような険しい環境で、厳しい修行を強いるようなイメージが漂います。そういう人が後ろに大きくて険しい「槍」を背負っていて、まるでそれに押しつぶされそうになって四苦八苦しているような、そんな苦しいイメージを一瞬、感じたのでした…。
お顔はとても美しいのですが、美しいだけに「険」が目立ち過ぎて、それが余計に怖い! 何かゾクっとするような、例えば、女優の野際陽子の目をもっと細く険しくしたような雰囲気のお方でした…。決して普通の主婦には見えないのですが…。
普通の主婦なのに普通の主婦とは見られたくない、普通の人間で終わりたくない、という強い「あがき」がその服装からも窺えるのです…。さらに、そういう服装からは、身分を明かしたくない、知られたくない、という無意識での苦肉の「抵抗」も? きっとここに来るには、それ相応の「覚悟」があったのでしょうか…。 というか、素直に「クライエント」になり切れないゆえの、今日のいで立ちなのかもしれません。ご本人が気が付かないだけに、かえってお痛わしい限り…。それが感じられるだけに、私のほうも、ちょっとツライ!
私は開口一番「とてもいろんなモノを引き寄せて生きておられますね~。さぞや、しんどいのでは?」というと、相談者様は「わかりますか? 憑いていますか?」と…。私は「憑いているというよりも、そういう人々が周囲にウヨウヨいるような、本当はそういう人になりたいんでしょうね。」と…。相談者様は頷かれることしきり…。
そうなんです、やっぱり相談者様はカウンセリングを受けに来たというよりも、そういう特殊な人間になりたいためのスキルというか、知識を仕入れに来られたような…。今迄にも、その為にいろんな所に行かれていて、今回もその延長なのですね。はてさて、相談者様のご希望に添えるコトができますがどうか…。それは相談者様の「魂」だけがお見通しかも…。
世の中の不幸を全部背負っているというような、そんな厳しいイメージのする相談者様ですが、私の感じでは、こういう人は、本当はとても素直で純粋な「魂」をお持ちなのに、しかし、それは、決して特別なモノではない普通のモノだけに、それに満足できないというか、それをご自分が信じたくないというか、そういうご自分をとても卑下しているようで、今日は、中々、セッションが進まないのでは? とちょっと危惧したのでした…。特別に、なりたいなりたい人間なのに、あと一歩、何かが足りない、と常に不満に感じて生きておられるような…。相談者様にとっては、きっと「普通」は「悪」なのでしょうね。「普通」である自分を許せない、常に「特別」を外に探し求めた結果、手に入れられず、次第に空しくなるという悪循環…。そういう「モノ」はセミナーや講習や講座では決して身に付かない、満足できない。ゆえに、思いあまって、今回ここに来る羽目に…。
いろんな所で知識を身に付けられているので、私がお話することは、ほとんどご存知のコトばかりで、知っているが身に付かずという感じが否めず、「知る」コトと「身につく」コトや「腑に落ちる」コトの違いがお判りになっておられないようで、まるで「知識欲」を高めるために、ここにも来られたようですが、ただ、救いは、そういうご自分ともそろそろ決別したい、もう、疲れた、という本音も垣間見えて、それに、一縷の望みを託すしかないようにも感じました…。
相談者様の既に知っているコトをお話しても、何も身にはならないことは重々承知の上で、私は、セッションを勧めていったのでした…。その中で、相談者様は、最初からずっと「離婚」したいとおっしゃるのですが、本来は、それほど切実でもないけれど、何か適当な「悩み」がないとここに来る理由がないので、しかたなく「離婚」というワードを持ちだしているようにも、感じられるのですね。
なぜならば、「離婚」を口にされる人で、すぐに離婚に到る人は少ないのですね。したい人は、サッサとするのです。したくないから、大騒ぎすぎるのですね。こういう方は、本当は「離婚」したいのではなくて、本当は、自分に向き合うことを回避するために、一番身近な人間である〇をターゲットとして「離婚」というテーマを選ぶんですね。〇〇様に対しての不満や不服というよりも、本当は、ご自分に「満足」されていないのでしょう。
だから、それから目を逸らしたいために、〇〇様のことを必要以上に問題にされる。本当は、好きでもないけれど、「離婚」に到るほど、嫌いでもないというのが本音でしょう。好きになれないのは、「愛」がないからだと言い聞かせるのです…。それが、自分のことから目をそらせられる、一番楽な「悩み」なのですね。でも、それが高じると、ご自分が〇〇様に「愛」を与えないのに、〇〇様からの「愛」ばかりを要求することになってしまうのです。要するに、「愛」という言葉で目を逸らそうとする。揺らぎない「愛」が欲しいと錯覚する。こういう人は、尽くすよりもただただ尽くされたいと願っておられる人に多いのです。年齢も半世紀を経ると、「愛」なんていう形のないモノは、意識した途端に、手からすり抜ける「バケモノ」に変わるんですから…。
あるいは、ここに来る理由としての真の悩みは、もっともっと深いところにあるのに、それに気づきたくない、触れられたくない、いえ、今日の目的は、「技法」を知りたいだけなので、それほど重大でも致命的でもない「離婚」をとりあえず話題にしておこうという、安易な感じも垣間見えるのですね。これは、相談者様にとっては悪気でも悪意でもないのですね。相談者様が長年培ってこられた、普通の自然な「流れ」というか、「姿勢」なのです。カウンセリングを受けるというよりもセミナーに参加するという「意識」なのです…。しかしこれは、似て非なる「意識」なのですが…。セミナー意識では、決して、問題解決には至らないのは当り前なんですね。最近は、こういう意識の人が多くなり、それを見分けることに疲れてしまいますが…。元々問題を解決するためにお見えになったのではないのですね~。決して…。
しかし、相談者様は素直な「魂」のセイか、思ったよりも、スムーズというか、心地よくセッションは進み、私の直感での印象(根は素朴で純粋な人)が実証されたようで、つくづく相談者様は、損な生き方をご自分に強いておられると、イタク感じた次第です。こういう悪人っぽい真の「善人」は、どげんとせな、いけん! という責任感とともに私まで身の引き締まる思いに…。私の思いよりも、きっと相談者様は、今回は「決心」というか、覚悟の「お申込み」だったかもしれませんが、人にそういう良い印象を与えるのが特に苦手なご様子でした…。
そして、いよいよ潜在意識のイメージ療法に進み。その「マンダラ」では、使命は「緑」から「指輪」と出て、トラウマは「高速道路」から「行き止まり」と出て、過去を引きずっているのは「公園」から「お留守番」と出て、未来の希望は「旅行」から「旅」と出て、本質は「お土産、孤独、落し物、田舎道、砂、帰る」から「田んぼ」と出たのですね。
想像したとおり、相談者様は、本来、「石、川、森、虹、湖、緑、草原、山、エメラルド」というとても素朴で純粋なモノをお望みなのに、あるいは、都会よりも田舎の風景がお似合いなのに、何を勘違いされたのか、唯一、最後に出て来たキーワードは、人工物的な「指輪」を使命として、認識されているのです。本来、手にする必要のないというか、全く不要な装飾品の「指輪」を使命にされておられるのは、大きな大きな勘違いが起こっているのです。要するに、求めてはいけないものを、使命として求められいる。本来は、それは使命ではなく、全く不要のモノなのです。相談者様には、本来、人工的なモノではなく、もともと自然の中に、昔からある、何か安らぐ「モノ」を使命としないといけない本質なのですが…。
あに反して、相談者様は「車」が趣味で、仕事も「車」を使用する配達に関わる仕事だとおっしゃるが、本来は、それらは仕事にしてはいけないコトだったのです。なぜならば、車と関係がある、「高速道路、排気ガス、郊外、汚染、通行止め」から「行き止まり」というトラウマになっているのですから…。好きなモノに固守しすぎると、全くのドツボに落ちてしまうというトラウマが…。まして、「車」なんて、今世紀においては、人工的な物質文明での「極み」の「モノ」なのですから…。一番、必要でない「モノ」なのですね。
相談者様の〇〇年の過去は、誰もいない独りぼっちの公園でポツンと佇む孤独を身にまとった相談者様が浮かび上がってまいります。しかし、未来には家庭や家族や仲間が欲しいのにも関わらず、やはり旅行や旅には一人で温泉にドライブする寂しい相談者様の姿が垣間見られます。きっと、このままいけば、寂しい老後になるという恐怖がおありなのでしょうね。〇〇様や〇〇に恵まれていながら、〇〇は自分とは何の関係もないように感じておられ、〇〇がいるからよけい自由になれない、ままならないという苛立ちや寂しさに苛まれるのでしょうか…。
私は、諸悪の根源は、そういうコトではなくて、本来は、ご自分が、何か依って立つ「モノ」がないために、それを永遠に外に探し求めているための最悪の「結果」だと感じます。そういう点では、相談者様は〇学卒ではなく、かと言って、何かの資格や肩書もなく、唯一の運転免許という資格で就職しながら、それでは十分に満足させる「依り代」でもないから、ますます自分の「存在」を知らしめる「モノ」を求めて続けて、さ迷っている。このルームに来たのも、そういう「何か」を手に入れたいという強い願望ゆえの、今回のお申込みではないか、と感じます。
でも、本当は、そういう「モノ」は、相談者様には全く必要ないのです。そういうモノは、いくら望んでも、相談者様を満足にさせることは不可能なのですね。なぜならば、他人からいくら教えてもらっても、いくら習っても、それは他人の信じる「モノ」であって、心から、身体の奥底から、相談者様が信じる「モノ」ではないからなのです。押し付けられればられるほど、人間って、反発や拒否するものです。特に、相談者様はその傾向が強い! いえ、それは、確りとした目をお持ちだから、なのです。いくら、目を逸らせても、オカシイものや納得できないものは、いらないのですね。直感もあるようなので、それが邪魔をして、人のいうコトは最後の最後の土壇場で、信じ切れない、だから、転々と真理を求めて、さ迷う「旅」は永遠に続くのでしょう。
でも、もう終わりにすべきなのですね。本当の真実は、人から称賛されるモノが欲しいのではない、自分が自分自身を称賛させるモノが欲しいのです。しかし、これも大きな勘違い、間違いです。自分を称賛させなくても、すでに自分の存在が、称賛に値するのです。今この世の中で、〇の〇である「存在」が、〇〇の〇である「存在」が、掛け替えのない、スゴイことなのです。それに気づく、べきなのです。普通の〇である存在、普通の〇である存在、が貴重な「存在」なのです。それをしっかりと自覚するためのセッションなのですから…。
相談者様のいろんな「習い」の遍歴で、なぜ、今ここに来られたのか、セッションが進むにつれて、やっとそれが理解できたのです。それは「カタカムナ」に興味を持たれた故の、結果だったのです。今回、ここに来られる以前にも、「カタカムナ」に関わっておられたようで、ナント、手首には、カタカムナの「図象符」が印刷された「バンド」をされておられ、私は、あぁ~、やっぱり、これかぁ~!
レイキやカタカムナを習い、そういう商品を身に着けながら、なぜ、悩みや問題が解決しないのか? それで、解決しないというのに、一体、何のために、他人が金儲けのために作った「商品」を利用し、身にまとう必要があるのか? 心の平安をなくせない「商品」が、現実的な「悩み」などにも、全く何の効果がないというのに…。カタカムナ発見者の楢崎皐月氏や宇野多美恵氏などは、そういう「モノ(商品)」は一切、否定しておられるというのに…。
今の世は、精神の時代なので、モノで解決するというのは、もう古いのですね。数珠やお札やバンドやカード等も、要するに他人が作った「モノ」は、そして商業ベースに乗せられた「モノ」は、もう無駄で、一切いらないのですね。そういう「モノ」は、かえって製作者や関係者のマイナス(金儲け)の「意識」が入っているために、それらに頼れば頼るほど、ご自分の中からの「魂」は血迷います。なぜならば、自分自身がセンサーでありアンテナなのですから…。そんな素晴らしい世の中が到来しているというのに…。みんながそれぞれにそれぞれの「神」なのですから…。人を頼る、モノに頼るという行為がご自分の「神」から遠ざかり、ご自分の「神」を見失うという恐れおおい行為なのですから…。
さらに、相談者様はある霊能者から「先祖の因縁を絶ち切らねばならない」と言われたそうで、私は「???」、今まで、それを信じておられたようで、私の話を聞いてから、「やっぱり、ちょっとおかしい、先祖の縁など切れない」と言われる…。こんなに賢い人までもが、霊能者という肩書にはからきし弱いのか、コロッと騙されてしまう。いえいえ、最後の最後では、信じ切れない、腑に落ちないからこそ、このルームに来られたのでしょう。先祖の「縁」など切れる筈はないのです。それはご自分の「血」を全部抜くこと、つまり「死」に等しいことなのですから…。反対に、先祖様に感謝や愛を捧げてこそ、先祖様も浮かばれ、それがご自分の体の中に流れる「血」の存在意義という「縁」なのですから…。そういう不思議な仕組みが、先祖様と今の人間を繋ぐ「遺伝子」に他ならないのですから…。
きっちり説明すると、根は聡明な方なので、とことん納得されて、カタカムナの「バンド」もすぐに外され、私は、こういう人にこそ、このルームに来る価値があったのかと、何とも複雑な感じが否めませんでした。相談者様はナント、今まで膨大なお金をドブに捨てておられたことでしょう。しかし、私は、今までこういうプロ的な人はお断りしていたのですが…。これも私の「気づき」でしょうか。
最後の姓名本質カードで、今現在の、相談者様の潜在意識に影響している「言霊」を調べると、やはり、本質を生き切っておられず、離婚したい、したいと言いながら、〇家先の「〇」に縛られる苛酷な人生を歩いておられるようで、それに対して、考え方を改めて頂くようにもお話させてもらいました。そのカードでは、〇や〇〇や〇〇や子供との人間関係もきっちりと相談者様の「意識」として現れていたのでそれも指摘しました…。
こういう見てくれの強い人は、虚勢と強がりばかりで、本来は、本質は優しくて心根は従順な人が多いので、私は、それをもっと引き出すように意識いたしました。このルームは、ご自分とご自分の魂との誓約(ウケイ)なので、ウソがあると全部ご自分に反ってまいります。そんな中で、セッションもあと30分で終了という段になって、ナント、相談者様のケイタイに電話で、大変なコトが勃発…。
それは〇〇様からで、ナント「電気を止められた」というのです。今まで長年カウンセリングをやってまいりましたが、こういうトラブルは初めてです。これも偶然とは思えませんが、相談者様は知ってか知らずか、慌てふためいて、本来ならば、切り上げて「終了」と要望されるかと思いきや、それはなさらず、「ちょっとすみません」と言って、関西電力に問い合わせの電話をされるのでした…。私のほうも、本来ならば、「ではこれで終了」という筈なのに、今回はそういう気も起こらず、相談者様のご希望通りに、続けさせて頂きました。
そして、電力会社とはセッションが終わってから解決するという話に落ち着いたのか、残りの半時間がすぎ、やっと、波乱含みのセッションは終了と相成りました。(フ~ッ!)私は、「どうして、終わりにしてと言わなかったの?」とお聞きすると、相談者様は「自分は終わりたくなかったが、反対に、先生のほうが終わりと言われるかと思った」と…。今回のセッションは、相談者様にとっては、やっぱり覚悟のセッションだったのでした。
終わってみて、険しかったお顔が、何とも温厚な雰囲気に変わっておりましたが、でもまだ、ちょっとした拍子に鬼のように豹変するので、くれぐれもそれには注意を、とお伝えしました。いくら野際陽子の理知的な雰囲気をお望みでも、本来は「関西のおばさん」、あるいは「下町のおばさん」で「よしよし」としないといけないのですね。霊能者や占い師やレイキの先生にならなくてもいいのです。別に、背伸びして生きる必要はサラサラないのですね。「リコゲ」に生きるとダメ、でしょうか。「バカ」に徹することが、生きるスベでしょう…。
相談者様の生まれて来た使命は、〇〇様と添い遂げること、愛を勝ちとるよりも、「ホ、ホ、ホの字」で生きる、惚れ切るというコト。強いては、子供に尊敬されること、それのみが生きる使命であり、生き甲斐なのですから…。決して、他人に尊敬されたり、崇められる人を目指してはいけないのですね。それがご自分だけの「田んぼ」を耕すという意味なのではないでしょうか? 広い土地や広い世界ではないのです。ただただご自分の「家」の田んぼを耕すことが、今世の本質であり、そこには「指輪」のように、相談者様だけに、価値のある「モノ」が埋まっているのですから…。
何もできないダメな〇といわれるご不満の〇〇様のことも、そのようにご自分に頼らせる生き方を強いて来られたのは、すべて相談者様の意識なのですね。それを〇〇様は見事に演じきっておられるのですね。今回の〇〇様からの電話がそれの紛れもない「証拠」なのですから…。〇〇様にだけでなく、〇〇に対しても、その意識は同じだろうと存じます。周囲にひれ伏させて、自分にかしずかせるよりも、自分が周囲に尽くし切る。そうしたからと言って、ちっともご自分の尊厳はなくならない、犯されないのですから…。だから、相談者様は、決して、外に華々しく活躍するために生まれてきた今世の「魂」ではないのですね。だから、離婚しない、できないのですね。
ということをきっちりお伝えして、今回のセッションは無事終了とあいなりました…。
外に真理を求めても、外にはないということをサトッて頂くための厳しいセッションでもありました…。
そして、素敵なご自分の「本質」に巡り合えるセッションでもありました…。
三宅麗子の「魂」が浄化できますように…。
相談者様の「魂」に感謝!
悩める多くの方々も、これを読まれて、意識が変わることを願っております。
ありがとうございました。