直観ひとりごと(276)お雑煮について感じたこと!
この(276)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直感ひとりごと(276)
◆お雑煮について感じたこと!
元旦が無事に過ごせて、なんだかホットした気持ちになるのも、いつもとは違うお正月だからでしょうか?
今日は2日、日本のお雑煮もその土地や地域によって、いろんなバリエーションがあるのは、日本人は決して単一民族ではないという証拠なのでしょうね。
都道府県が47あるということは、有史以来、少なくても47の民族がそれぞれに大陸からこの日本に渡ってきたというか、逃げてきたのでしょう。 だから、本来、日本人は、もう無駄な争いや諍いは懲り懲りなのでは? でも、この日本が滅亡したり侵略したりする危機に陥れば、おとなしい日本人でも火事場のバカ力を出して豹変するのでしょうね。
今日は、そういう戦争の話ではなくて、お正月のお雑煮のお話です。私は関西に住んでいますので、お雑煮は、白みそで具は大根と人参とお餅のみの極々シンプルなものです。 お椀の中の、白の丸い大根と赤の丸い人参と丸いお餅を眺めていると、何だか昔の古代人の思想に思い至ります。それが、紅白で彩られた雑煮が彼らの切なる願いを表しているように感じてなりません。
昔の縄文人は、食べるモノそのものよりも、そのモノに秘められた何かを感じていたようです。例えば、縄文人は、空で飛ぶ「鳥」は食べても、庭で這う「鶏」は食べなかったというし、勇猛な「猪」は食べてもヨタヨタ歩く「豚」は決して食べなかったそうです。要するに、そのモノの持つエネルギーを重要視したのではないでしょうか?
それからすると、雑煮を食べる意味も、ゴテゴテと飾り付けたリするのは後年の人間たちの邪道であって、本来は、おめでたいお正月には、紅白のみの雑煮だけでよかったのではないでしょうか?
お餅も焼く必要はなく、素のままで、それも丸いお餅が彼らの意識を表していたのではないでしょうか? そういうことをつくづく感じながら、関西風の白みその紅白のお雑煮が、一番古いお雑煮のようで、これを縄文人が食べていたのだろうと考えるととっても愛おしく、温かく、何か、縄文人と一体になったような、感じがしてなりませんでした。
私たちは、いろんなしきたりで、昔昔の日本人、いえ、縄文人と繋がっていたのだと、現代の弥生人である私は、ツヨクツヨク感じたのでした…。
この関西は、半島からの渡来人の住む土地のようによく言われますが、もっと古くには、やはり縄文人が住んでいて、それは1万年以上も前からと言われるので、そういう古くから繋がっていた人たちだからこそ、今もその風習や習慣が、生き続けているのでしょうね。
古いしきたりも新しい人間が行えばそれは新しいしきたりになって、また未来の私たちの子孫に残っていくのでしょう。だから、しきたりも重要なのでしょうね。
と、お正月のお雑煮で、日本人は単一民族なんかではなく、だからこそ、この隔離された日本の島国においては、「大和」が大切だったのでしょう。「ヤマト」を「大和」という字に当てた意味もそういう古代人の願いが含まれているのではないでしょうか?
これからもドンドン大陸や半島から異国人がこの神聖な(?)日本に押し寄せてきますが、そこに住む私たち日本人こそしっかりとして、長く続いたしきたりや風習や文化を守り続けていくことが日本人としての「使命」ではないかとつくづく感じた次第です。
昨年のコロナ禍の流行は、オリンピックを開かれる年に起こったという意味はとっても大きいと、私は感じています。 ありがとうございました。