直観ひとりごと(258)大阪人には1万年以上も続いた縄文時代の縄文人の血が…。
この(258)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直感ひとりごと(258)
◆大阪人には1万年以上も続いた縄文時代の縄文人の血が…。
今日は、5月最後の日曜日、「新型コロナウイルス」からも、やっと心が解き放たれるような、そんな感じが致します。
長かったですね~。家から外に出られないという不自由を強いられるというコトは…。
本当は、たったの2、3ヶ月の期間だったというのに…。
その有事なトキに、この「大阪」の存在が、いきなり「吉村知事」の発信力によって、全国に知ら占めたというコトも…。
ともすれば、京都や神戸や奈良や和歌山などの都市とは違って、大阪は一歩、常に下に見られていた大阪…、
その他の都市よりも、どうしようもない都市と思われていた大阪…。
当の大阪に住む大阪人でさえ、自分たちは、下品で、何の取柄もなく、関西の足を引っ張る日本国でないような都市で、日本人でないような人間だと卑下していた大阪人。
それが、吉村知事のお蔭で、何というか、大阪人の心の底に今まで沈殿していた澱のようなモノが、一挙に剥がれ落ちたような、そんな感じを持っております。
京都の「雅」でもなく、神戸の「オシャレ」でもなく、奈良の「古史」でもなく、和歌山の「御三家」でもなく、ただの柄の悪い粉モンのタコ焼きやお好み焼きだけの大阪という意識が、一挙に払拭して、大阪人のスゴサというものを、私たち真の大阪人の心にマザマザと呼び覚ませてくれたのです。
この大阪では韓国系や北朝鮮系が我がモノ顔にのさばっていますが、本当の底辺に潜む「意識」は、そのものずばり「縄文文化」なのではないでしょうか?
韓国系や北朝鮮系をのさばらせているように見えて、本当の本当は、しっかりと「縄文意識」が蔓延っているのでしょう。韓国系も北朝鮮系の人も、いうなれば、昔の縄文人と同じ、虐げられた人々といえる、だからあまり敵対視しないのですね。
もっと古い時代に奈良に入ってきた半島人は虐げられず尊敬されて、後々に入ってきた半島人が差別されるこの理不尽さに、私たち真の大阪人は、しっかりと、感じているのです。本当の日本人は、一体、どこにいる?
それは、奈良でもなく、京都でもなく、和歌山でもない、それは大阪の地に、いえ、大阪人の心の奥深くに、潜んでいるのです。
真の縄文人の心という崇高な「意識」が…。
なにも、縄文人の「意識」は東北や北海道だけではなく、この大阪にもしっかりと残っているのです。いえ、大阪だけでなく、その崇高な「意識」は、たとえ、「血」は弥生人に占領されていても、「意識」だけは、しっかりと、今も、ずっとこの日本に生き残って、1万年以上も生き続けているのです。これは、私たち日本人がこの列島から一人の日本人がいなくなったときに「縄文人」の意識がなくなるのでしょう。いえ、それでも縄文人の「意識」だけは、残り続けると信じます。
だから、私は、今、「縄文人」に凝っています。いえ、「新型コロナウイルス」が起こる前から…。
一万年もの長きにわたって、続いた「縄文時代」が私たち、真の日本人の心の底にフツフツと熱き思いがたぎっているのですね。
それが、大阪人の「気質」なのだろうと、最近、つくづく感じます。
古墳時代でもなく、奈良時代でもなく、もちろん平安時代でもなく、やっぱり、「縄文時代」の意識が、本来の日本人の意識なのでしょう。
今回の「新型コロナウイルス」で、正にその崇高な「縄文人意識」が甦って、一丸となって、これに立ち向かっているのでしょう。
それが、大阪が次々と、色んな政策を打ちだせる原動力になっているように感じてなりません。
その先頭に立たれる「吉村知事」こそが、崇高な「縄文人」の代表のような感じが致します。
この「縄文人の意識」は、大阪だけでなく、全国隅々にまで、散らばっております。いえ、隠れております。
その人たちの篤い思いが、今、この有事に際して、現れてくるのではないかと、私は期待しております。
ひょっとして、あなたも、あるいは、こちらのあなたも、あちらのあなたも、そちらのあなたも…。
いえ、日本人であるならば、たとえ1%といえども、熱き縄文人の血がしっかりと流れているのですね。
たとえ、今は、純血の縄文人はいなくても、弥生人と縄文人の混血である、私たち現代人であっても、この日本に住む日本人は一滴の篤き縄文人の血が流れているのですね。
それを、今こそ、しっかりと感じることが重要なのでしょう。
そうすれば、この有事のトキをしっかりと乗り切れることでしょう。
なぜならば、古い昔のこの日本に、1万年もの長きにわたって、栄えた「縄文時代」に生きた縄文人の子孫が私たち日本人なのですから…。
たとえ、昔、半島から来た、あるいは大陸から来た弥生人であっても、この日本の地で1万年の「縄文時代」を生きた弥生人ならば、たとえ一滴といえども、意識は「縄文人」なのですね。
だから、私たち大阪人は、これからも崇高な縄文意識を意識して、「吉村知事」を信じて、この有事と戦ってまいりましょう。
今こそ、大阪人の底チカラを見せましょう。
それが、縄文人の意識の蘇りでもあるのですから…。
虐げられていた縄文人の意識は、大阪人の意識とと同じなのですから…。