直観ひとりごと(94)にっぽん文明研究所の「神職養成講座」を受講!
この(94)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(94)
◆日本文明研究所の「神職養成講座」を受講!
日本人の精神性を学ぶべく、にっぽん文明研究所の神職養成講座を受講することになりました。
実は、ここに至るまでには、大阪國學院の「神職養成通信教育」や、京都神社庁の「階位検定講習会」を受けるべく色々奔放し努力しましたが…。
結局、推薦者の宮司に断られて、神職の養成講座は受けることが叶いませんでした。
地元の有力な氏子の方にも紹介して頂き、きっと受講できると安心しておりましたが、最後の最後で、断られてしまいました。その推薦書には、「階位取得後の確たる奉職先」という一文があり、この意味は、取得したら、必ずその神社に奉仕することという誓約(決まり)なのです。また、奉仕する神社が既に決まっていて、資格がない人のために設けられた制度でもあるそうです。
要するに、資格の無い神社の息子のために苦肉の策として創られた制度だそうです。だから、その推薦者の宮司の本音は、そんなこと(就職)を約束させられてはたまらない、内ではもう息子も娘も神職の資格を持っていて、人出は間に合っているので、雇う(?)ことはできないということだったのです。
神社庁では、その推薦書はあくまでも形式的なものと言いましたが、やはり推薦する側にとっては、大変負担になる一文だったのでしょう。身内や一族でかためたいという思いもわからなくはないのですが…。
というようなスッタモンダの末に、やっとたどり着いた先が、にっぽん文明研究所の神職養成講座でした。そして、ここの講座を調べて行くうちに、私には、神社本庁よりも、ここの方が向いているのでは、と思えるようになりました。これも偶然ではなかったような…。
というのは、ここの神職養成講座は、神社本庁では決して教えない「古神道」や「神仙道」や「古史古伝」等や、本来私が勉強したかった「言霊学」も入っており、理想的な講座だと思ったのです。
また、このにっぽん文明研究所の特長は『古神道の原点に帰ろう』という復古運動を推薦していて、”心のお社を!”という呼びかけを行っておられます。まさに、私が求めていたものがここの理想と同じだったのです。
私は、なぜ、神道の勉強をしようと決めたかというと、もう小手先のカウンセリング技法では、日本人はダメになって、心の悩みや心の病はますます進んでしまい、日本は滅亡してしまうと危惧したからに他なりません。だから、日本人の精神性を取り戻すためには、西洋の医学や医療ではなく、日本人の心の源流に流れている「神ながら」を知らねば解決しないと悟ったからなのです。
その為には、正式に神道を学ばねばということで、行動を起こしたのですが…。現実と理想のあまりのギャップに愕然となりましたが、それだからこそ、益々、神道を勉強せねばと言う気持に駆られた次第です。
このにっぽん文明研究所の代表者である奈良宮司が務められる天ノ岩座神宮は、神社本庁に所属していない独立性を尊重する単立の宗教団体ですが、上古の信仰形態とも言うべき神籬・磐境を奉斎し、岩笛吹奏神事を行い古神道祭祀の形態を保っています。
私が、勉強していた「縄文」は、人と人は争わず和を保ち、この古神道の精神が息づいております。「お天等様」と「お蔭様」の本質を学ぶべく、これから神職の勉強に励んで、迷える方々のお力になれればこんな幸甚なことはございません。
とはいっても、なにぶん、重い体重と椅子の生活が身に付き、正座での講義はとっても辛い! おまけに持病の腰痛も心配だし、やっぱり、こういうことでも日本人ではなくなりつつあるのでしょうね…。「言うは易く行うは難し」
ただ、上の段階に進んでいくかというと、進まないことに決めました。理由は色々ありまして、講座料だけでなく、資格を頂くにも余りにも法外なお金がかかり過ぎて、その神職の資格は、神社庁の資格ではないので、全く何の通用もしないのです。それは承知の上でしたが、それならば、もっともっと安ければ最後まで進んだのにと思うと、金儲けの感がして、やっぱり残念です。受けるまでは資格取得にお金がかかるとは、サイトのどこにも書いていいないのでした…。
また、私が参加した時は、女性の受講者はちらほらで、男性の受講者が一人もおらず、この神職講座に一人も男性の受講者がいないということに、とても違和感を感じました。なぜか外国人の男性が一人だけいましたが、お金を払った受講者の感じがせず、後で、本を一緒に出版するために無料参加されていた、ということがわかりました。広告宣伝のために、外国人に頼るその姑息な(?)姿勢にも、ちょっと、受けたくなくなった理由ではありますが…。そういう体験をさせられるのは、これも偶然とは思えない。やっぱり、もはや、「神道」は庶民である日本人には無縁のモノ?
日本の神道界はやっぱり、私たち一般人は関わらないほうか賢いかもしれません。いえ、本当は、熱意のある一般人にこそ、神職にふさわしい人もいると思うのですが…。そして、結局、次の段階には進むのは断念いたしました。これが本当の、「触らぬ神に祟りなし」なのかも…。つくづくそう感じます。