直観ひとりごと(92)沖縄県・与那国島の小学1年、安里有生君の~
この(92)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(92)
◆沖縄県・与那国島の小学1年、安里有生君の「へいわってすてきだね」に思う。
6月23日は、沖縄全戦没者追悼式の日でしたが、本土ではあまり盛り上がりません。
段々と風化していくのでしょうか?
でも、今回は、安倍総理が出席しての式典に、テレビ放映がなされ、私たち一般人にも見ることが出来ました。
沖縄県・与那国島の小学1年の安里有生君が最優秀賞に選ばれた詩を朗読しました。
そのニュースは「へいわってすてきだね」詩朗読の安里有生君、島の日常「平和感じる」です。
小さな有生君ですが、その朗読する姿には、私たち大人が失ってしまった何かを感じさせるほどの感性豊かな詩の表現力に、その場で参列していた人々が思わず涙をぬぐう場面も見られました。
手練手管のない、率直な感じたままの、純粋な子供の目線でみた、「平和」の重み…。
私も、感動した一人でしたが、最後の詩の部分に差し掛かったとき、「えっ!」っと一瞬耳を疑ったのです…。
その理由は、朗読された詩の
「へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。」
の部分での、「おきなわ」の次は、「にほん」ではなく「せかい」にびっくり!
有生君の意識(思い)の中には、「にほん」がないのです。
自分の国がない。
自分の国を想う気持がない。
私は、そのとき、寒気を禁じ得ませんでした。
なぜなら、この詩には、自分の国を愛する気持ちがない?
「おきなわ」の次に、いきなり「せかい」がくる…。
有生君の頭の中には、「にっぽん」がない。
なぜ、詩に「にっぽん」がないの?
彼の母国はどこ? 祖国はどこ?
「おきなわ」は、彼にとっては、国と同じ意味なのでしょうか?
昔の琉球王国が、彼にとっては真の国?
子供の潜在意識がそうであるならば、大人は顕在意識でも日本が自分の国とは思っていない…。
この事実に、私は、今の沖縄の人々の永遠の悲しみ、祖国を失った悲しみを知り、胸が震えました…。
でも、沖縄の人々の心には、日本もない代わりに、中国でもない!
日本にも、中国にも属したくないというのが沖縄の人々の本音なのでは?
日本からも翻弄され、今また中国からも擦り寄られ、そういうことは、まだ幼い子供には理解できないはずなのに、きっちり、日本を拒否しているのは、偶然なのでしょうか?
沖縄の未来は、いずれ日本の未来になるのでしょうか?
沖縄の人々の現実が、いずれ日本人の現実と化す?
日本人の子供たちも、いずれ、「にっぽん」という国名を書かない日がやってくるような気がしてなりません。
せっかくの有生君の素晴らしい詩が、何だか違う意味に感じてしまいます。
この安里有生君が大きくなっても、日本のことを何も感じない、書かない、いえ、反対に日本を拒否するような考えにならないことを強く望みます。
しかし、沖縄の人々の望みを叶えるコト、すなわち、基地を無くすコトは、イコール、沖縄が独立するコトには決してならないのです。
彼らの希望が叶うときは、中国の植民地になり果てるときで、もっと過酷な未来が強いられる。
なぜなら、基地がなくなれば、沖縄は中国からの脅威にさらさせ、即、沖縄は中国の領土となるでしょう。
現実的には、沖縄の位置は、平和を守るための重要な先頭(戦闘)基地なのです。
沖縄は、盾の使命の土地なのです。
これは、そこに住み人々がいくら嫌だと言っても、抗ってみても、まぎれもない事実なのです。
悲しいコトですが…。
だから、本来、もう沖縄には、普通一般の人は住めない、いえ、住んではいけないのでは?
住むべき人、住む使命人は、日本という国を守る人、中国と戦う人…。
それが沖縄に与えられた、神からの使命なのでは?
そういうことを沖縄の人も、もっと現実を見てほしい。
過去は、アメリカに侵略された沖縄ですが、今は、自分達を守っているアメリカ(基地)だということを…。
基地があるだけで、中国の抑止力になっているという事実に…。
日本人だけを守って沖縄人が犠牲を強いられると考えるのは、即ち、沖縄の人々の心は、自分達と日本人を切り離していて、自分達は日本人ではないということを無意識に主張していることに他ならない。
だから、現在でもすでに、日本に虐げられているのだから、中国領になっても、同じだと思うのでしょうか?
独裁国中国と日本を同じに感じているのでしょうか?
本当に、沖縄の人々は、中国領になった方がいいと感じているのでしょうか?
要するに、沖縄人は日本人でなく、中国人として生きていきたいのかを、真摯に問うべきでしょう。
独立国としての沖縄と言う国は、実質はもう中国に占領されることに他ならないのです。
中国の植民地と化すのです、日本から、独立するということは…。
どっちもいや、ただただ、沖縄から基地を無くせでは、神が沖縄をその地に存在を知らしめた意味がない。
なぜその場所に、沖縄という土地があるのか?
沖縄の使命とは、何なのか?
中国と日本に挟まれた意味とは?
それをもう一度、考えるべき時なのでは?
沖縄の皆さん、本当に、中国の領土になっても良いのですか?
中国人になりたいですか?
中国人になると、日本人としてよりも幸せになれますか?
中国は、沖縄の人々を大切にしてくれるでしょうか?
それよりも確かなコトは、今の沖縄の一部の人々の行動を、中国領になっても、自由にやれるでしょうか?
中国がそれを許すでしょうか?
言論の自由な国の日本領(?)だからこそ、基地廃止運動もやれるのではないでしょうか?
私は、それでも、心底、基地を無くしたいと沖縄の人々が願うのであれば、日本政府も腹をくくって対処しないとダメだと思います。
日本の国の言いなりになるのか、中国領になるのか、それが、いずれの選択も、沖縄の人々にとっては過酷な選択であっても…。
もしも、中国領になるのであれば、まさに日本は滅亡に向かって加速していくことでしょう。
それでも、沖縄の人々がそう望むのであれば、それもしかたがない。
日本の中にも、日本がなくなってもいいと思う人はわんさかいるのだから、だれも沖縄を責められまい。
いずれにしても、沖縄の人々は覚悟をせねば…。
それ以上に、日本人も覚悟して生きねば…。
私は、たった6歳の子供から、日本の国としての「覚悟」を突き付けられた気がいたしました。
以下に安里有生君(6)の詩を載せさせて頂きます。
「へいわってすてきだね」
沖縄県与那国町立久部良小1年、安里有生君(6)
へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。
せんそうは、おそろしい
「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。
ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。
へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。
これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
(原文のまま)
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