直観ひとりごと(85)奇跡の一本松さんのお気持ちやいかに…。
この(85)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(85)
◆奇跡の一本松さんのお気持ちやいかに…。
岩手県陸前高田市のあの奇跡の一本松が、「前と違う」と言うコトで復元のやり直しが始まったそうです。
復元費用は、1億5千万以上かかるそうで、色々な議論が飛び交っているそうですが…。
人間の浅知恵で、本来生き物である植物を永久保存するという思想はいかがなものでしょうか?
それほど、一本松を見世物にして、商売として、市は儲けたいのでしょうか?
それは、市自体が経営難で汲々喘いでいるのでしょうか?
それとも、もっと自分たち職員が潤いたいのでしょうか?
その行為からは、生き物に対する愛が全く感じられないのは、私だけでしょうか?
そもそも、生ある生き物というモノは、その寿命を全うしたら、本来、自然に還る、土に還るのが当り前のなのではないでしょうか?
体をズタズタに切り刻まれ、その中をくり抜かれ、そこに色々な薬品を入れられて、外側からは堅い金属で固定される、なんていうコトが本当に許されていいものでしょうか?
その姿は、とりもなおさず、病人がただ息をするだけのために、体をベットにくくり付けられ、延命装置をつけられて、それで生きていると自己満足に陥る家族のエゴとなんら変わりないのではないでしょうか?
そのあげく、当の本人は植物人間と化す…。
それでも、家族が「生きている」なんて勘違いするのは、人間としての尊厳を無視しているのも甚だしい。
それは、家族ら自身が「死の恐怖」に耐え切れないだけ…。
そもそも「植物人間」なんていう名前は、人間の驕りから創られたモノであって、植物さんに失礼ですよね。
それが、今回の「奇跡の一本松」さんに重なるのです。
まさに、あの姿は、人間の「植物人間」と同じで、植物さんならさしずめ「鉱物植物」?
やっぱり、「植物人間」という言葉にも、植物を生き物とみなしていない言い方だ…。
植物はれっきとした生き物で、植物にも植物としての尊厳があるのではないでしょうか?
きっと、『植物さんとの共同研究』の三上晃先生は、この計画には賛成されないのではないでしょうか?
そう思えてなりません。
別に、目に見えなくても、充分、「奇跡の一本松」さんは役目を果たされたのです。
私達ひとりひとりの胸に中に、貴いお姿は、きっちり刻印されているのですから…。
心さえあれば、気もちさえあれば、意識さえあれば、いつでも、思い出せるのです。一瞬で…。
それが、私たち、見える世界と見えない世界に生きる日本人としての誇りなのですから…。
日本人も、いよいよ、物質文明一辺倒の西洋人と同じになってしまったのでしょうか…。
本来、人間も体の一部を切ったり捨てたりすることはタブーであり、かつてあの中国の宦官でも、死ぬ時は、去勢された一物を死体と一緒に埋葬することを強く願ったのだそうです。それは、生れた時の元の体でないと生れ変われないと信じていたからだそうですが…。
だったら、あの「奇跡の一本松」さんも、今度生れた来るときは、もう元のように一本松として生れて来られないのではと、ちょっと、心配になったりしています…。
なんか、痛々しくて、涙が出てしまいそうです。
こういう思いに襲われるのは、私だけではないと思うのですが…。
色々難しいことは抜きにして、やっぱり、植物は土に還るのが自然なのではないでしょうか…。
後日のニュース(6/27)では、「復元作業を終えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」について、住民が「以前の姿と何かが違う」と首をかしげている。落下の危険を考慮し枝葉をわざと少なめにしたため。市は「復元はこれで精いっぱい」と理解を求めている。」(産経ニュースmsnより)そうだ…。
そもそも、人間が手を加えないと残せないなんて、「奇跡」でもなんでもないのでは???
二本松さん、もっと身勝手な人間どもに怒れ!
いえいえ、わかる人にはわかるのです、二本松さんの深い悲しみが…。
きっと、こう叫んでいることでしょう。
「大切なお金を震災で不幸になった人々にもっと使って!!!」と…。