直観ひとりごと(266)戦後75年、最後の理想の日本人、渡哲也さんが亡くなられました…。
この(266)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直感ひとりごと(266)
◆戦後75年、最後の理想の日本人、渡哲也さんが亡くなられました…。
昨日は、実家のお墓詣りに行って参りました。
実は、コロナ禍で、今年は止めようと思っていたのですが、急遽、最後の15日になって、矢も楯もたまらずに、行ってきました。いつもよりも半分ほどの時間で、済ませて、そそくさと帰ってきましたが、それでも、行くのと行かないのとでは、精神的に大きな違いがありました。
お墓詣りは、先祖様のためでもありますが、やっぱり、自分の原点を見直すためでもあるんですね。
また、墓地では、いつもの3分の1ほどのお墓にしか、新しいお花が飾ってなくて、やはり、皆さん、今年は、お墓詣りを控えておられるようでした、悲しいですね~。でも、行ける幸せをじっくりと噛みしめさせて頂いた有り難いひとときでした…。感謝! 感謝! 感謝!
今年は、悲しいコトが続きます。日本男性の理想像と私が思っております、渡哲也さんが、78歳の生涯を閉じられました。
私は、渡哲也、渡瀬恒彦兄弟の、大ファンでした。
こんなに素敵な男性兄弟はそうそういないと思っております。仲良し兄弟であり、俳優としては良きライバルであり、人生の同士のような雰囲気が、お二人には漂っておりました。
そんなご兄弟である、弟の恒彦さんが先に亡くなられ、病気がちだった兄の哲也さんが、皮肉にも、残されました。哲也さんの思いはいかばかりだったことでしょう…。
その後の渡哲也さんの人生は、病気との戦いの連続だったような気が、私にはしてなりません。
そして、このコロナ禍の真っただ中、遂に、あの世へと旅立たれました。
本当に、長い闘病生活、お疲れ様でした。
あの世に行ったら、尊敬する石原裕次郎さんや、弟の渡瀬恒彦さんなどと楽しく語られることでしょうね。
昭和の最後の、日本男子のような理想の渡哲也さんが亡くなられ、きっと、この日本も微妙に変わっていくのでしょうか?
良きほうに変わるためにと願っての、渡哲也さんの崇高な「死」のように、私には感じてなりません。
きっと、コロナ禍もこれで収まるような気がしています。いえ、そう国民が、一丸となって、信じることが大事なことなんでしょうね。
日本の男性の模範であり続けた、渡哲也さん、本当に、ありがとうございました。
渡哲也さん、どうか、健やかに、お眠りくださいませ。