直観ひとりごと(23)琉球と沖縄、沖縄って〈沖を縄で縛る〉こと?
この(23)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(23)
◆琉球と沖縄、沖縄って〈沖を縄で縛る〉こと?
今日は、沖縄のお話です。私が、今、沖縄のことで、直感として受け取っているのは、沖縄のかつての名前、「琉球」のことです。
なぜ、琉球が沖縄に変わったのでしょう。そのまま、琉球ではいけない理由があったのでしょうか…。
「琉球」の「琉」とは、「波動」のこと? 「球」とは、「粒子」のこと? という、なんだか分からないことが、キーワードとして浮かんできます。私には、難しいことはわかりませんが、波動とは、量子のことだそうですし…。
かつては「光」は、波動か、粒子か、なんて議論もあったようですし…。とにかく、「琉球」とは、その「波動」と「粒子」を表しているようです。直感で、そういう風に、感じるんですね。良く分かりませんが…。
だから、日本にとって、いえ、アジア、いえ、世界にとって、ということは、この地球にとって、大事な大事な場所なんだそうですよ。
琉球、いえ、現在の沖縄には、重大な「使命」があるのでしょうね。この沖縄という名前、偶然とは思えません。沖縄って、「沖を縄で縛る」こと? 縄で縛っておかないと、ダメな土地?
私はまるで、島やその島民までもが縄で縛られているようで、現在の沖縄を物語っているようです。一体、どこのだれが、「琉球」を「沖縄」に変えたのでしょう。沖縄の意識が、それを受け入れたのでしょうか。
●沖とは、
「水+中(なか、片寄らない、中和)」意味は、おき、海や湖の陸から遠く離れた水面。むなしくする。むなしい。心をむなしくする。中がむなしい。性格や態度が穏やかである。片寄らない。いとけない。幼い。からだがまだ柔らかい。すっと真っ直ぐに高く上がる。つきあたる。『漢字原』より
●縄とは、
「糸+黽(とかげ)」で、とかげのような長いなわ。意味は、なわ。よりなわ。二本以上のひもをよりあわせたなわ。すみなわ。大工が直線を引くのに用いる、すみのついた細いなわ。ただす。すみなわで曲がりをなおすように、まちがいをただす。すみなわの意から転じて、物事の規範。のり。『漢字原』より
また、琉球とは、竜宮城のイメージもしますね~。
沖縄の海底には、古代帝国の片鱗のような跡も残っているようですし…。竜が住む宮廷、あるいはお城? 竜が仕えるのは、「神」では? ということは、竜宮城って、神のお城?
琉球って、やっぱり、「聖地」なのかな? リュウキュウって、竜が球(キュウ)を守っているイメージがします。大きな爪で、しっかり握っているような…。この球って、地球(タマ)のことで、魂(タマシヒ)のことかな? 人霊(ヒトダマ)、言霊(コトダマ)、数霊(カズタマ)、音霊(オトダマ)、勾玉(マガタマ)等々、タマには色々ありますし…。
●琉とは、
右上の字は、赤子が頭から突き出てうまれるさま。右下の字は、羊水の流れるさま。「玉+(つるつるした、ながれる、)」
意味は、つるつるした玉石。『漢字原』より
●球とは、
求は、からだに巻いて締める皮ごろもを描いた象形文字。球は、「玉+求」。意味は、たま。中心にむけて、ぐっと引き締まったまるい美玉。転じて、まるく締まった玉状のもの。『漢字原』より。
琉球って、やっぱり、タマに関係がある名前なんですね~。この世に存在するモノは、究極、全て「球体」の形をしているそうですし…。沖縄とは、全然違うイメージですね~。
とまあ、何がなんだか、書いていながら、さっぱりわかりませんが、今、この意識変革の時期に、沖縄に注目が集まるということは偶然ではないのでしょう。
肝に銘じないといけないのは、政権争いや、政局争いに、この神聖な沖縄を利用することだけは、断じてしてはならないということ。神聖な沖縄と言う事は、住む人達も神聖な人達でないと、ダメということなのか?
基地移転問題を利用して、政権交代しても、また、自分の大臣としての身分を固守するために利用しても、きっと、神が許さないでしょう。いずれ、結果はでます。
沖縄問題に関わる人で、自分の利益を度外視して、沖縄のために、真剣に考えている方は、いるでしょうか? 誰もいないのでは? それが一番の問題では? 沖縄の人々も、沖縄県民でもありますが、また、日本国民でもあるのですね。
私も、日本国民でありながら、大阪府民でもあります。恥ずかしいですが、大阪のことも、真剣に考えているとはいえません。自分の住んでいる町のことも正直、余り考えることをしないのですね。そういう国民性なのかもしれません。いえ、人間って、本来、自分のことしか考えられない。聖人君子でもないかぎり…。
自分の町のことさえも余り考えない国民が、沖縄の事を真剣に考えろと言われてもそれは少々無理なのでは? その反対に、沖縄の人に、私の住んでる大阪のことをもっと考えろ、と言ってもそれはやっぱり無理というものでしょう。不正に生活保護費を受け取ったり、他県から補助金欲しさに大阪に移転してきたり、そういうことをもっと日本中で真剣に考えてくれと言ったところで、誰も相手にしない。
沖縄の人に、大阪のことをもっと考えろと言っても、首都の東京のことをもっと考えろ、といってもそれも全く無理でしょう。だから、沖縄以外の日本人は、なかなか沖縄のことを、沖縄県民と同じように、考えられないのが現状ではないでしょうか?
我々が沖縄を考える場合は、どうしても日本国民としての立場で、沖縄のことを考えてしまうのですね。だから、沖縄のことは、沖縄の人々が、真剣に考えるしかないのではないでしょうか。何かの目的で、他所から入ってきた人間に沖縄を托すのはもっといけない。沖縄の人々が一致団結して、沖縄県民としての立場と、日本国民としての立場で…。人知を超えた意識で…。真摯に未来を考えること、ではないでしょうか?
究極は、中国の領土になるか、このまま日本の領土のままでいいのか?
一番、憂慮すべき由々しき問題は、自分の生まれた町や村を真剣に考えない、沖縄県民以外の本州の人間が、わざわざ遠い沖縄県にまで出かけていって、おまけにそこに住んでまで、ああだこうだとモノ申すのはいかがなものか? 反対運動が彼らの生きる糧になっている? 結局は、自分の生活の為であり、決して沖縄県民の為ではない!
沖縄県民の民意を、日本国民が受け入れなければいけない時期に来ているんです。他のお偉い政治家の意見は必要ないのですね。沖縄のことを真剣に考えるといえばいうほど、ウソっぽく聞こえます。
また、日本政府としては、沖縄も含めた日本国と日本国民全員のことを念頭に、沖縄問題を考えるのが日本政府の使命なのではないでしょうか。でないと、北朝鮮や中国やアメリカに飲み込まれてしまいます。この日本は…。
それで動いている政治家もいるのでしょうから…。日本政府は、沖縄に張り巡らされたがんじがらめの縄を一つ一つ外していくことから始めていくしか方法はないのではないでしょうか。と同時に、解かれた縄の役目を、今度はどの県や府や都が負うのか、あるいはもう、そういう縄はもう必要ないのかを、議論すべきでしょう。それが、今の時期なのかもしれません。
最後に、古事記では、「国生み」には、琉球は入っておりません。なのに、今現在は、沖縄はレッキとした日本国なのです。この意味は大きいのです。
戦争に負けて、北方領土や、さらに竹島問題や尖閣諸島問題が吹き出しているというのに! 沖縄は、今も日本の国なのです。この沖縄が、やはり、日本国を守っているのでしょうね。これは神のハカライでしょう。それに背くとコワイ、コワイ!
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。