直観ひとりごと(216)元横綱 稀勢の里(荒磯親方)の姓名解読リーディングをします。
この(216)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(216)
◆元横綱 稀勢の里(荒磯親方)の姓名解読リーディングをします。
年が明けても、次から次へと色んな出来事が世の中で起こっておりますが、私はカウンセラーとして、人の「深層心理」を解明し、「潜在意識」を改善する職に従事しておりますので、やはり、「人」や「人間」にフォーカスするブロクを書くことが、私に一番相応しい「コト」だと信じて、これからも話題の人々に、焦点を当ててまいりますので、どうか、宜しくお願いいたします。
その中でも、私の「心」の琴線に触れた人のみを、特に、ピックアップしてまいりますが、その理由は、世間では多くの方々が「A」という評価を下されていても、私はちょっと違うのでは? 本当は「B]では? と感じる人々について、一言書きたいという目線で、書くべき人を選んでおります。要するに、書く必要を感じたトキのみ、何かに押されて、書き綴っているというのが事実です…。
今の世は、この日本がどういう「方向」に進むべきなのか、一人ひとりに託されている重要な「トキ」だと信じます。ゆえに、日本の伝統文化にも関わる「相撲」から、私は目が離せないのかもしれません。もう「相撲」の話題は辟易で、書きたくないというのが、本音ではありますが、中々、卒業させてはくれそうにありませんので、ならば、真摯に感じたコトを綴ってまいります。それが、カウンセリングに「日本」というテーマを取り上げている、カウンセラーとしての「使命」かもしれません…。
といつもの通り、前振りが長くて申し訳ごさいません。
今回、引退後、元横綱稀勢の里が「荒磯親方」になるというニュースを知って、やはり、日本人としての喜びと同時に、これをモンゴル人力士や外国人力士が聞くと、ちょっと、複雑な思いに駆られるのでは? と…。なぜならば、日本人力士は彼等よりも、「未来」が約束されているようで、モンゴル人力士や外国人力士は「親方」になるのも制約があるようですから…。そういう外国人力士たちの引退後の「不公平さ」も、色んな闇を生む「相撲界」の土壌にはなっているのでしょうか?
それはさておいて、今回の元稀勢の里の引退の記者会見では、「横綱」という地位の「重み」を、これほど強く考えさせられたことはありませんでした。一体、理想の「横綱像」って、どういう「像」なんでしょうか? ただただ「強い」だけでいいのか? あるいは強さ以外に「何か」が必要なのか? あるいは「強さ」が欠けていても、その「何か」が、あるだけでいいのか? しかし、その「何か」の前に、「強さ」って、一体、何をもって「強い」と言うのか?
ただただ「白星」の多い横綱や、「優勝」回数の多い横綱が、本当に「強い」横綱と言えるのか? 「勝敗」よりも、もっと大事な「モノ」を追求していくコトに、「大横綱」と言われる「道」があるのではなかろうか? たとえそれで、体がボロボロになっても、ただ一筋の信念を持って、その「道」を邁進していくことが「大横綱」としての「名」を成すのではなかろうか? それが、日本の伝統文化に「道」という大切なコトバが付いているのではなかろうか? 「道」を外す「モノコト」は、もはや日本人が望む伝統文化ではなくなっている…。
だから、勝敗よりも、もっと大切な「モノ」を守る「横綱」に、日本人は、心を揺さぶられるのではないでしょうか。その追求する「モノ」が何であったのかを、元稀勢の里の引退で、おぼろげながら垣間見えた気がいたします…。
しかし、応援する側の日本人も、今では、日本人としての「道」を究める人は、皆無に等しく、それは上層部やエリート層になればなるほど顕著であり、一般庶民たちのその苛立ちを彼らに直接向けられないがために、特殊な「相撲界」の「横綱」にその刃を向けて、厳しい「評価」を下して、自分達の不満の吐け口やガス抜きとして、ある種の優越感に浸るのではないでしょうか? それは「相撲界」だけでなく、「芸能界」や「スポーツ界」に対しても、良いと思えば過剰なほどにチヤホヤともてはやし、少しでも悪いと思えば容赦なく断罪するのは、人間社会の悲しい現象かもしれません…。
世間では、引退した元稀勢の里に対して、横綱の「権威」を傷つけたとか、「潔さゼロ」なんて、全く的外れな批評や批判が飛び交っておりますが、私は、「勝敗」に拘りすぎたり、「延命」のために策を弄する横綱たちのほうが、よほど「潔さゼロ」や横綱の権威を失墜させたとイタク感じているのですが…。でないと、今回の元稀勢の里の引退の記者会見に、これほどは多くの人々の涙を誘わなかったことでしょう。
一部の人以外は、日本人は、「横綱」には、モンゴル人力士でも外国人力士でも、全くいいのです。本当に、感動を呼ぶ「取り組み」をしてくれる力士や、「相撲道」を感じさせてくれる力士であれば…。だから、「優勝」が別に「横綱」や「大関」でなくても、先場所のように「小結」の貴景勝でも全くいいのです…。
だから、人間として、「感じる心」は、100人いれば、100の「感じ方」があって当然ですので、日本人として、ご自分の「感性」をフル活用して、ご自分の「魂」を磨く「糧」として頂きたいと存じます。なぜ、私たちは、「日本人として生まれてきたのか?」を、考え、感じる、ために様々な「モノコト」があるのでしょう。
さて、今回の元稀勢の里の引退の記者会見で、私が感じていたような、彼の「人物像」が浮き彫りになりましたので、改めて、彼の姓名解読リーディングをやりたいと思いました。
その理由は、元稀勢の里の名前の「寛」という字の読み方が、一般的な「ヒロシ」ではなく「ユタカ」と読むそうですが、こういう読みにくい名前を、あえて付けるというのは、そこにやはり、何か大きな「意味」があるのでは?
それは、あえて読みにくい「「字」を名に付けるという「意味」は、その人の魂というか、潜在意識が、全く意識せずに、世間に対して、本心を隠すというか、本性を知られたくないという「思い」があるのでしょうね。だから、「身分」や「本性」を隠す、表さないという「意味」でもあるのでしょう…。さらに「名」を隠すという意味は、他人に対してもですが、本当は、自分自身に対しても、本質を隠すのでは? あるいは、本当の「心」を隠すのでは?
則ち、「名前」と言えども、他人から自分の名前(言葉)を呼ばれると、その「音=ヒビキ」は「言霊」となりますので、あえてそれを避けるために、読みにくい、呼ばれにくい「名」にしたのでしょう。だから、昔の人は、あえて「読みにくい字」を使ったり、あえて「違う読み方」にして、「本心」や「本質」を見抜かれることを回避して、本当の名前を呼ばさないようにしたのでしょう。だから、彼も、本来は、そういう「意識」が働いている…。
実は、私の名前の「三宅」も、今でこそ「ミヤケ」と誰もが、読めますが、私が小さかった頃は、大人の人は「ミタク」と読む人も多かったのですね。きっと、私の先祖様は「身分」を明かしたくなかったのかも…。だから、私はあえて、名前を大っぴらにしないといけないと強く感じて、本名を重要視している次第です。ハイ!
というわけで、今回、「稀勢の里」と「荒磯親方」の姓名解読リーディングをやらせて頂きますので、よかったら、読んでやってくださいませ。
興味のある方は、私の別サイト「姓名本質リーディング」&未来設計(ライフデザイン)の、有名人の姓名解読リーディング(23)元横綱稀勢の里(荒磯親方)には輝く未来が…。をご覧ください。