直観ひとりごと(215)「梅原古代学」の哲学者梅原猛氏の「死」に思う…。
この(215)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(215)
◆「梅原古代学」の哲学者梅原猛氏の「死」に思う…。
新年早々、今年も著名な方々が、お亡くなりになられ、日本の行く末を思うとなんとなく、心が痛みます。
その中でも梅原猛さんの「死」に、私は、遠い昔、彼の「梅原古代学」の「著作集」を全部書い求め、熱中したことを、昨日のように思い出されます。
確か、20巻ほどあったような記憶がありますが、その内、何回か引っ越しをしたり、人に貸したりで、現在は、2,3冊しか残っておりません。
しかし、この「著作集」は、とても分厚くて、さらに重くて、手に持って読むには、重労働でして、寝て読むクセのある、私にとっては、とっても読み辛くて、結局、同じタイトルの、手軽な「文庫本」を買い求めて読んでいた記憶にあり、ちょっと、彼の名を思い出すと、忸怩たる苦い思いが沸いてまいります。
確か、禅の大学を辞めた後で、「梅原古代学」に関わったような感じで、その後で、「カタカムナ」に関わっていったような流れでしょうか…。
また、梅原氏の説は、「梅原古代学」と呼ばれるだけあって、あまりにも突拍子なので、その当時の私は、素直に信じることができなかったようですが、しかし、彼のお蔭て、日本の古代史に触れるきっかけとなったようです。
梅原氏の「聖徳太子像」をきっかけに、その後の私の中の「聖徳太子像」は、今もはっきりとした「白黒」のイメージが描けないでおります…。人間って、完全な善人も完全な悪人もいないようで、一体、聖徳太子は日本にとっては、良き人だったのでしょうか? それよりも以前に、聖徳太子って、日本人?
鮮明なイメージを描けないのは、空海もしかり、坂本龍馬もしかり、西郷隆盛もしかり…。一方から見れば「善」でも、片一方からみれば「悪」にも…。単純でない複雑な人のほうが、この日本には、何かのお役目で生まれてこられたような…。きっと、「カタカムナ」の楢崎皐月氏もそうでしょうね。特に、この日本では、それが言える。なにしろ、昔から日本は、「二本」ゆえ、二つの流れがある…。それは、日本の隅から隅まで、上層から下層まで浸透している…。
今の現代の世でも、複雑怪奇な人ほど、本当は、重要な人物かも…。
それはさておき、哲学者の梅原氏が、なぜ、日本の「古代学」を哲学されたのでしょうか?
異分野の人が、日本に興味を持たれて研究される「例」は、精神科医の河合隼雄氏がおられ、彼は「古事記」や「民話」などを心理学的目線で研究されています。
なぜ、歴史学者や、神道家や、宗教家が、たくさんおられる中、他の分野の人たちが、そういう専門家の「学説」に飽きたらずに、独自に研究されるのでしょうか?
要するに、そういう専門家たちの「学説」が信用できないということでしょうか?
私は、つらつら考えますに、巷では、「日本人のルーツ」はわからないとよく言われますが、本当にそうでしょうか?
それは、わからないのではなくて、分かってはいけない、という意味ではないでしょうか? 本当は分かっているけれど、公表できないのでは?
なぜならば、昔昔の大昔、日本は、列島ではなくて、大陸の一部だったことを考えれば、日本民族という単一民族などではなくて、大陸の東の端の端の端っこに追いやられた人たちと言えども、陸続きの人たちと同じような人種だったのでは、ないでしょうか?
北からは、ロシアやアラスカの方から北朝鮮や韓国経由で来た人や、西からは、モンゴルや満州や北京や韓国軽油で来た人や、南からは、インドやインドネシアから台湾経由で来た人や、オーストラリアから来た人や、東のハワイの方から来た人などなど、色んな人が入り混じっていたのではないでしょうか?
それよりもずっと以前には、ムー大陸があって、彼らは現代の人種とは別であり、その生き残りが日本人だという説が昔からあります。その説を証明するように日本人の遺伝子が他の民族と違うという説も、これを後押しするような形になっていますが、仮にそうであっても、現在の日本人の中には、もはや遺伝子の違う彼等を探すのは難しくて、かつては沖縄やアイヌに多く、日本政府次第が、彼らの存在を、一体、どういうふうに扱っていたのかを見れば、一目瞭然であり、同じ民族としては、ありえない仕打ちに、現在の日本人の置かれた立場は、誠に危ういものといわざるを得ませんが…。
だから、本当の「日本民族」って、一体、どんな人を指すのでしょうか? 日本民族の前は、「倭国」があり、「倭人」がいたことは、分かっておりますが、さて、この「倭人」って、一体、どこを拠点に生活していたのでしょうか? その「倭人」と「ヤマト民族」と「日本民族」は同じ民族、いえ、同じ人種なのでしょうか? 或いは、「倭人」と「沖縄人」と「アイヌ人」は、同じ人種? 同じ民族?
さらに、「天皇」のことも、なぜ天皇の「皇」は、「白い王」と書くのでしょうか? 天皇家は、倭人? 日本人? それとも、何人? そして、元に戻りますが、やっぱり、日本人って、何人?
そういうことを、なぜ、もっと歴史学者は、研究し、追究しないのでしょうか? その理由は、研究すると、ヤバイと分かっているからではないでしょうか? 一体、誰にとって、ヤバイのでしょうか?
こういう「原点」や「根幹」ともいえる「モノコト」をはっきりできない「日本」の国は、一体、これからどうなるのでしょうか? それを考えると、これからの世界は「日本が中心になる」とよく言われますが、それは、「今の日本人が中心になる」という意味では、どうもないような気がいたします。日本国は存続しても、そこに住むのは、日本語をしゃべる人たちではありますが、決して私たちと同じ「日本人」ではないような…。かつての歴史が繰り返される…。
モンゴルの日馬富士が、祖国モンゴルで、日本学校を作り、日本語で、相撲や剣道や柔道を教えて、日本に送る計画があるようですね。去年は生徒が700人ほと集り、今年は1000人以上が集まるそうです。まさしく、蒙古襲来、元寇の再来でしょうか? 5年後、10年後、20年後は、モンゴル人の住む日本国…。でも、一部の説では、源義経がジンギスカンだという説もあるので、モンゴル人が日本に来るのは、長い年月をかけて、里帰りともいえるのかも…。
そういうコトを、今年の初めにツラツラ考えていますと、この哲学者の梅原猛氏の「死」のニュースに、ちょっと、胸が締め付けられるような感じがした次第です。天皇が変わるという意味は、地震よりももっと、重大な意味がありそうで、ヒタヒタと時代が、大きく変革していくうねりに、呑み込まれないようにするには、一体、私たち庶民は、何を成せばいいのでしょうか?
それは、ジタバタせずに、自分の「直霊(ナオヒ)」と産土の神様に、お祈りすることが、重要なのでしょうね。そして、自分の今世での「本質」と「使命」を全うすべく、真摯に生きるのみ…。
こういう時こそ、「直霊(ナオヒ)」と産土の神様頼みです。
一心不乱に、「ミヤケレイコノミコト」様、ありがとうございます。
産土の神様、ありがとうございます。
書いていると、ナントかく、ホッといたします。
書きたいことは山々あれど、去年から、あまりマイナスのことは書かないと決めています。
プラスのこと、楽しいこと、嬉しいこと、を思い、意識しましょう。
この世は、「遊びやせんと生まれけん」で、楽しく遊んだ人の勝ち?
あなたにとっての、楽しい「遊び」って何?
きっと、梅原猛氏は、哲学することが、「遊び」だったような…。
そして、梅原猛様、安らかに、お眠りくださいませ。
いえ、どうか、眠らずに、天国で、私たち日本人を、お守りくださませ。
ありがとうございました。