直観ひとりごと(210)安い居酒屋の酒の肴の「紙一枚」に感動!
この(210)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(210)
◆安い居酒屋の酒の肴の「紙一枚」に感動!
今日も、何か、明るい話題はないものかと考えていましたら、ありました、ありました!
1ヶ月ほど前になりますが、それは、ある「催し物」の帰りに、浜田社長が、「三宅さん、世界で一番長い居酒屋に連れていってやるよ」と言ったので、私は、「そんなとこ、あるの?」と半信半疑ながらも、楽しみにして、その場所へ連れていって貰いました。
すると、そのビルの地下に、ナンと、お店が三軒並ぶほど長いカウンター式の居酒屋が、目の前に、ド~ンと、出現したのです。
さらに、そこには、小さな木の椅子が、ズラ~ッと、並んでいて、それはそれは、壮観で、ほとんど、満席に近く、思わず、「ウッソ~!」って感じ!!!
しかし、そこの椅子に座るには、椅子を思いっ切り、後ろに引いてからでないと坐れないほど、詰め詰め状態でしたが、なんとか辛うじて、座らせて頂いて、一日の疲れを癒したのでした…。
その長い居酒屋で、感動した出来事が、今日、書きたい話題です。
ある程度、喉を潤して話も弾んでいた頃、たぶん、お客さんの誰かが注文した「一口カツ」の盛り合わせを掲げて、店員さんが「どなた~?」と声をかけても、応える人は誰もいなくて、みんな知らんぷり!
よくあるコトなのか、困っていそうもない店員さんでしたが、私は思わず「それ、貰います」と言ったら、店員さんは「よろしいんですか~」と、ちょっと嬉しそうでした。
手渡されたその注文者不明のお皿を見ると、ナンと、そこには、お皿の上に薄い紙(ペーパー)が一枚ひかれ、その上に一口カツがデンと(?)鎮座ましましておりました。
私は「???」、ナンデ、こんな安い居酒屋(失礼!)に、まるで「高級料亭」のような、丁寧に扱われた「一口カツ」がでてくるの? っていう感じ!(この、単純な驚き、わかります? 長いお店と、油物の一枚の薄紙に、私は、ちょっと、興奮気味!)
トンと、高級料亭等には縁がありませんが、今ドキの高級料亭でも、薄紙を一枚ひいて、「油もん」を乗せてくる、周章なお店は、少ないのでは? それが、ここではシッカリと、出てきたのでした…。
私は、ビックリすると共に、改めて、そこの店員さんたちをジックリ見回すと、やっと合点がいったのですね。なぜならば、彼ら男性の店員さんたちは、ほとんど「定年」を終られたような年配者で、まだまだ人生をリタイアせずに、元気に働いておられるような、そんな雰囲気の方々だったのですね。これは私の主観ですが…。
だから、他の出される酒の肴も、とても安くて、美味しかったです。本来、安ければ安いなりに、それなりの「味」なんですが、やはり、作る人が、心を込めてキッチリ作っているからなのか、波動が違うんですね~。
お造りを頼んでも、チャンと、その造りには、刺身のツマに真っ白い大根の千切りと海草類のワカメが乗っている…。私は、いっぺんで、ここが気に入ったので、また、来ようと、美味しい肴とお酒を飲みならが、感動していました…。
やっぱり、そのお店の魅力は、そこに働く「ヒト」が、モノを言うんですね~。その「場所」で、心意気のある「ヒト」が、逸品「モノ」を生み、客が感動する「コト」の三拍子が揃うと、鬼に金棒の繁盛店になる…。お客が感動する「何か」を与えると…。
そして、一番大事な「コト」は、そういう感動する「ココロ」をいつまでも、持ち続ける「意識」ではないでしょうか?
それには、年なんて、全く関係ない! いえ、本来、人間とは、年がいくほどに、感動する「ココロ」が研ぎ澄まされる「モノ」なんですね。なぜならば、還暦を過ぎると、人間は、赤ちゃん還りが始まり、忘れ去られていた「童心」が甦るのですから…。
その、目に見えない「コト」を感じる、感動する、「何か」を探すために、人は、リタイアしてから、探す旅に出る…。いえ、別に定年でリタイアしなくても、いつでも、感動の「旅」に出れるのですね。ココロ(意識)さえあれば…。
だから、年配の皆さん! 健康のためにも、日本のためにも、昭和生まれの私たちが、両親や祖父祖母から、普通に躾けられた「コト」から、その目に見えない「何か」を、平成人や来たる新元号に生まれる人のためにも、意識して伝えていきましょうよ。
これからは、外国人も、ドンドン入ってきますので、ますます、私たちのような昭和生まれの「意識」が尊ばれます。そのときこそ、胸を張って、彼等外国人が望む、日本の「何か」を与えられるように…。
それが、お皿の上の一枚の薄紙に通じる、「何か」…。それは無くてもいいですが、あると、ナンか、幸せな気分にしてくれる、なにげない、さりげない「何か」、なんでしょうね~。
その「何か」が、ドンドン無くされ、消えていくのを止めるのも、昭和生まれの人間の「使命」なのでは?
たった一枚の薄紙から、天の「神」を感じてなりません。日本人であるゆえに…。
これからも、そのたった一枚の薄紙から、感動できる人間でありたいです。
日本人として、良かったと思える人間でありたいです。
ありがとうございました。