直観ひとりごと(152)ゆっくり、だらだら、のんびり、ぐうだらに、気儘勝手に、生きよう!
この(152)「直観ひとりごと」のブログは、守秘義務に則りまして、決して相談者様の特定ができないように重々考慮して書かせて頂いております。
★直観ひとりごと(152)
◆ゆっくり、だらだら、のんびり、ぐうだらに、気儘勝手に、生きよう!
新年、明けましてお目出とうございます。今年も、どうかよろしくお願い申し上げます。
2017年、お正月も終わり、今日から、初出勤という方も多いのではないでしょうか?
私も、今日から仕事初めです。
お正月は、いかがでしたでしょうか?
海外に出られた方も、日本の名所で過ごされた方も、実家や自宅で、過ごされた方も、良いお正月をお過ごしのこととお慶びいたします。
だんだん年を取りますと、年末までに、正月を迎える準備は中々できず、毎年、やり残すことが多くなり、お正月は、何となく罪悪感というか、正月を迎える気持ちも、億劫になってまいります。
今年は、そういう引きずったマイナス意識から抜け出すために、年末までに、正月料理や年末大掃除も全部済まさなくてもいいのだ、と断固として、自分に言い聞かせました。
そして、年末の暮までは、「おせち料理」だけは、きっちりやろうと決め、後は、知らんぷりを決め込みました。この目的や目標を持って意識することがいかに大事なことか…。
そして、おせち料理が終わったところで、紅白歌合戦等をテレビ鑑賞し、ゆっくりと、スムーズに、心平安に、新年を迎えることができました。
いつもならば、やり残したことで気分が沈み、かといって、正月早々に、それらを片づけることもままならず、あれよあれよと、三が日が無駄に終り、結局、四日目から、あくせく、ドタバタ、トキを過ごすというコトの繰り返しでしたが…。
でも、今回から、お正月元旦は、一日かけて、ゆっくりと、だらだらと、台所を念入りに、掃除して、綺麗にしました。
そして、お正月二日目は、一日かけて、これも、ゆっくりと、やっては休み、休んではやり~の繰返しで、居間と応接間の掃除にいそしみました。その間、好きなテレビや本なども鑑賞したりして…。
そして、お正月三日目は、自分が一番くつろげる寝室やトイレやお風呂場を、休み、休み、一日かけて、みっちりと片づけることに励みました。
そして、今日の四日目は、その他の気になる所をチョイチョイと済ませ、本当に、清々しく、気持ち良い雰囲気で、初仕事を迎えることができました。
一昨年までの、あの罪悪感に苛まれた、年越しと年明けは、一体、何だったのでしょうか?
それもこれも、常識への囚われと、縛りだったのでしょうか?
年末だから、年越しだから、お正月だから、やらねばならぬ、せねばならぬ、できないのは自分がだらしないから、自分がダメだから、云々と、全部、自分自身を縛っていた、決めつけていたのですね。
でも、私が、一生懸命できないことをやろうとしても、結局、困るのは、一人身の私自身なのです。
できない自分に困るのも、例え、あくせくしてできたとしても、しんどい自分に疲れ果てるのも、結局、どっちにころんでも、そこには、喜んでいない自分がいるだけ、なんですね。
だったら、自分が喜ぶように生きねばソンだ、と気が付き、だったら、ゆっくり、だらだら、のんびり、ぐうだらに、気儘勝手に、生きよう、と決めた途端、ホント、とっても清々しい気持ちで、元旦の朝を迎えることができたのでした…。(部屋の中は、散らかり放題ではありますが…。)でも「心は錦」。気持ちを優先するって、ホント、大事なことで、生きるコツだったのですね。でも、原則として、絶対、人様に迷惑をかけてはダメ! これだけは、人間としての基本中の基本でしょうか。
そして、お正月であろうと、掃除がしたいと思えば、やっていいんだと思える自分が、なんだか、自由な、別な自分に生まれ変わったようで、これも、新しい発見というか、新鮮な気持ちです。
そして、今年は、お掃除には、年には念を入れることができました。去年は散らかり放題でしたが…。
去年に、20年以上飼っていた最後の病猫が亡くなり、今年は正真正銘の一人身になったので、彼らがこの世に念を残さず、しっかりとあの世へ旅立てるように、彼らの居場所も全部きれいさっぱり処分したのでした…。
私と縁があった猫ちゃんたちは、みんなそれぞれに私の人生の先生でして、いずれ、また、本にでも書きたいと思っております。
ぐうたらに生きることを教えてもらったのも、猫たちのお蔭ですし、病気やお金にあくせくしないようになったのも、すべて彼ら猫たちのお蔭です。というか、自我を捨てて、意識しなくてもいいモノには意識しないという生き方を教わったのも、猫たちの生き様からでした(ちなみに、一番の病気持ちの猫が、一番、長生きいたしました…。そんなもんですよね、人生って、いえ、猫生って!)。
そんな最愛の猫たちともお別れして、今年は、心機一転、やりたいことを実行する年が始まったと感じております。猫たちが、与えてくれた、気づきの人生が、これから始まろうとしています…。
人間の人生、120年は、無理としても、100年はもうまじか。あとの人生を、一体、どう過ごしましょうか。これからは、定年も無しの時代が到来しますよ。結婚も、60歳で一旦ケリをつけて、お互い、それぞれの人生を自由に生きる時代の到来かも…。
浅見宗平氏が、人類最後の審判の時代が、1960年から始まっているそうで、終了するのが、2080年だそうです。前半の60年間、つまり、2020年までは、人間が増え続け(動物が人間に生まれ変わっている為)、でも、オリンピックが終わってからは、人間の人口は減少に転じるそうです(人間として生まれる人はいなくなる為)。そして、2040年前後が、人間としての、お験しのトキなのでしょうね。地球が上に上昇するのか、下に下降するのかの…。
この世の地震も災害も、すべて、人間の意識が絡んでいるそうですので、すべての人が、一切の「恐怖」を持たず、一切の「心配」もせず、ゆったりと構えて、「安心」して、トキを過ごすことが、今の世の私たちの生きる「義務」だと存じます。
政府や行政が出す「南海トラフ」の予測に、慄くなんて、もってのほか、愚の骨頂、今までの地震情報で、当たったタメシありますか? 一体、恐怖心を煽ってどうするんでしょうね~。恐怖心で地震を誘発するというこの原理を知っているはずなのに…。
私たち庶民は、そのトキがくれば、潔く、運命に身をゆだねればいいだけなのですから…。
生きるも地獄、死ぬるも地獄ならば、潔く、人間のその選択は、一切を、「神」にお任せいたしましょう。自分自身の「神様」に…。
よく、次元上昇すれば、もう身体は無くなり、霊魂のみで生きられると言う人もいるようですが、どうも、そうではないようで、そうなるには、あと1000年ほどの年月が必要だそうですよ。
ただ、今とは全く違うのは、言葉を発しなくても、思ったことは即、実現するようで、これは、ちょっと怖い気がしますが、これも早い話、昔昔の神代の時代に戻るような感じがいたします。そして、この世でもあの世でも、もう名前など無くても、生きられる時代になるのでしょうね。
だから、何か起こっても、私たち人類は、現代、そういう時代に生きているという覚悟を、深い心の底辺に持っておき、そして、あるがままに身を任せて、生きてまいりましょう。
そうすれば、嫌なことも、マイナスもことも、自分の意識から消えていきますよ。意識しなければ、それは無いのと同じなのだから…。
今年も、だらだらと意味のない文章から始まってしまいましたが、それもお許しあれ!
では、今年も、ぼちぼち、よろしくお願いいたします。