直観ひとりごと(141)現在のお雛様の男雛と女雛は左右反対で間違い?
この(141)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(141)
◆現在のお雛様の男雛と女雛は左右反対で間違い?
今日は、桃の節句、雛まつりの日です。昔は、女の子のいる家では、お雛様を飾って、桃の節句を祝ったものですが、最近はどうでしょうか?
日本の伝統文化が、だんだんに廃れていくのは、なんとなく寂しい感があります。
不思議なことに、毎年、祝日がドンドン増えているのにも関わらず、古来からある日本の節目の日が、殆ど祝日にならないのは、一体、どうしてなのでしょうか?
例えば、七草の節句、桃の節句・雛祭、端午の節句、七夕、菊の節句等は、だんだんと心に留める日本人も少なくなってきているような…。なのに、「なぜ、こんな日が祝日に?」と首をかしげることも多くなっています。
沢山祝日を作らないと、日本人は中々休みを取らないそうで、日本人の勤勉さが他の民族から「独り勝ち」の脅威となってしまうのでしょう。それは日本民族が、働くことを「美徳」とする民族で、その理由は、働くことは「神様の代わりの行為」という意識が潜在意識に流れているためでしょう。他国の民族は、働くことは「悪」で、人生の負け犬という感じが強いのです。最近は、そういう考えの人も日本人には増えたように感じます。
でも、今日は、そういうお話ではなくて、お雛様にまつわる「陰陽」のお話です。
現在、売られているお雛様の男雛(お内裏様)と女雛(お雛様)ですが、左右の位置は、昔は「京雛」といい、今とは違い反対になっています。現在は、「関東雛」といって、男雛が向かって「左」、女雛は向かって「右」ですが、これは、国際儀礼の西洋式の流れを受けて「右が上位」の考え方を、大正天皇の時代に取り入れられたモノだそうです。明治維新の弊害がこういうトコロにも現れています。
でも、日本は古来から、「左は右より格が高い」とされていたそうですが、私は、そういう昔からの由来に真理が隠されていると思っています。
私は、ズット、ズット、「陰陽」や「水火」に悩んでおりました。かれこれ30年以上も…。
でも、やっと、自分なりに確信が持てるようになりました。
それは、世間では「男」が「陽」で、「女」が「陰」と言われ、私たちも何の疑いもなく信じてきましたが、私は、ある若い時期に、「???」と感じたのです。
男が陽で、女が陰が正しいとすると、男が先で女が後の「男女」というコトバができたのでれば、「陽陰」と、陽が先で、陰が後にならないとおかしいのではないでしょうか?
なのに、なぜ、女の陰が先の、「陰陽」という言い方をするのでしょうか? トンと解せません。
こんなおかしい作り方はしないのでは?
それは、ゴクゴク簡単なコトなのです。男が陰で女が陽だから、「男女」といい、「陰陽」といったのでは?
だから、陰陽は、男が陰で、女が陽。
だから、月日も、男が月で、女が日。
だから、左右も、男が左で、女が右。
だから、天地も、男が天で、女が地。
だから、上下も、男が上で、女が下。
しかし、ここで間違いやすいのは、自分を中心にしてではなく、要するに、自分から見ての「左右」ではなく、相手から見て、いえ、神様から見ての、男が左、女が右という、「左右」なのです。
自分から見ると、向かって、右が男、向かって、左が女で、これは、古来からの位置関係、お雛様で言えば、「京雛」の並び方が正しいことになります。
更に、陰が男であるならば、水が男で、火が女では?
だから、水火で、男が水で、女が火。
だから、夜昼で、男が夜で、女が昼。
なぜならば、一日の始まりは、夜の0時から始まるのです。暗闇から一日がスタート、だから男が夜。
ナント理に適ったコトでしょう。
疑いを持たれる方は、どうか、霊能者である浅見宗平氏の『不思議な記録』を、とくとお読みください。
そこには、この世は「浮世」で、この世の元初めの神様は「水の働き」を受持の水の神様で、「夜」を受持っておられる、のだそうです。
だから、この世の中は、夜の中で、現在でも大宇宙は暗闇の世の中です。
だから、この世の全てのモノは、水の神様の中で存在しているので、水の中の魚の如く、その水を薄くして、空気という水にして、その中で人間は息をしているのです。
だから、水の神様の働きは、上げ潮(膨張)、下げ潮(収縮)で、呼吸の出す息と引く息であり、息とは、生きであり、生命であります。
だから、水の神様の働きは、生命であり、水=生命となります。
このように、元初めの時、水の神様だけがあり、水の神様みずからこの夜(世)を造られたので、この夜(世)の創り主、創造主は水の神様であり、この世の始まりは、夜の中の零時(0時)より始まります。一年の始まりも、夜の理である冬から始まります。これが正しい「順序の理」だそうです。
順序の理を蔑ろのすると、宇宙の理に反することになり、大変なコトになるそうです。
そして、水の神様はこの夜(世)を明るくする為に、ご自身の右半分の身を切って、火の女神様としました。
ご自身の水の神様は左で、火の女神様は右なのです。
だから、元初めの水の神様が一之大神様であり、火の神様は二之大神様だそうです。
人間にしても、水の神様の働きにより、水気一滴が男性を通して、火の女性の体内に宿ることによって造り始まるのです。
漢字の「明」は、向かって「右」に「月」、向かって「左」に「日」。これが反対ならば、字になりません。
だから、現在の、お雛様の関東式の並び方は、間違っているのですね。
だから、今の天皇陛下と皇后陛下の並び方も、違っているのだそうです。
早く改めないと、大変なコトになるそうですよ。
昔のしきたりを無視して、西洋や西欧の思想を取り入れる傾向が、明治維新より進んできてしまい、今では、何が正しいのか、益々分からなくなって「闇世」に戻りつつありますが、それも、「陰極まれば陽になる」の諺にもある通り、変革時代の最終章に入っているのでしょうか?
それが証拠に、「マイナス金利」なんていうバカげたコトが、誰も不思議に思わず、疑いもせず、洗脳されてしまっておりますが、この「負」のモノコトは、本来この世ではあり得ないコトなのです。いえ、あってはならないとっても恐ろしいコトなのでしょう。マイナスなんていう「金利」も「お金」もこの世にはないのです。幻想なのです。
だから、「お金」や「株」や「金融」がそろそろ終焉を向かえる方向に進んでいると考えるのが妥当なコトでしょう。
それを担っているのが「日本」なのでは?
そういう今までの概念を変えるコトには、必ず日本が利用され、使われる仕組みが、この世の文明なのでしょう。
原発問題も、かつて原爆で苦しめられながらも、安全神話が横行したために、気が付けば原発が50以上もできてしまい、先の東北大震災の地震と津波で、やっと、原発の放射能は人間にとっては「悪」だと気が付いたのです。でも、もう単に原発反対では、もうすまされないほど、地球規模で建設ラッシュです。いかに、放射能の無害化や原発の安全性に真剣に取り組まないとダメなのです、それが出来るのが、日本人であり、日本のカタカムナの知恵なのでしょう。
さらに、次は「マイナス金利」で、日本の国債がドンドン消失していって初めて、「悪」だということに慌てふためいても、もう後の祭りという「お知らせ」なのでしょう。
結局、苦しむのは、国民、いえ、庶民だけです。「民」とは、「目を潰されて逃げられなくされた奴隷」という意味ですよ。
宇宙の真理も、地球の真理も、人間の「幸せ」にはあまり関係がないように感じます。
それらを知ったところで、「幸せ」に生きられるとは限らないのですね。
また、人間の真理にも、上流で生きる人間と、底辺で生きる人間の二通りあるように感じてなりません。
さらに、人間の真理といっても、本当は、人の「間」の真理が、「幸せ」に関係あるように感じてなりません。
人の「間」の真理を解いてこそ、人間は「幸せ」に生きられるのではないでしょうか?
また、「常識」といわれるモノも、人間の「幸せ」を阻害しているように感じてなりません。
「常識」に囚われ過ぎて、固定観念が固まってしまって、それが潜在意識からの脱却を阻んでいるのではないでしょうか。
世間で「常識」と言われているモノコトの間違いの一つが、「陰陽」の「男女」でしょうか。
今日は、お雛様の並べ方で、間違いの検証をしてみました。
やっぱり、昔の日本、いえ、日本人は偉大でした。
その源流は、やっぱりカタカムナ人?
でも、これもそのまま、現代の常識で読み解くと、大きな間違いとなります。
そのヒントは、「我即神也(われそくかみなり)」、これの「真理」は本当は、「神即我也(かみそくわれなり)」。
「わたしがかみ」ではなく、「かみがわたし」。
この自分が中心の私目線ではなく、神目線、いえ、他が中心の他者目線で考えられないコトが、全ての間違いの始まり。
この原因は、西洋や西欧式の、「われよし」主義、からきているのです。
名前も、西欧は、個人の名前から始めるが、日本は、先祖の姓から始まる…。
モノ目線でも、「向かって右」「向かって左」という相手目線が、昔の日本の主流でした…。
これをもう一度、日本に取り戻さないと、真理から外れるコトになってしまうのですね。
その最初の一歩が、皇室の天皇様と皇后様の並び方、なのでしょう。皇室の方々、八咫烏の皆様、どうか、早く気が付いてください。なにはともあれ、日本の皇室が倒れると、日本はおかしくなるのは間違いないそうですから…。
天皇陛下がインフルエンザだそうですが、どうか、お元気になられますように、日本人の一人として、お祈り申し上げます。