直観ひとりごと(120)背骨を丸めて「まる文字」を書くと心の病い~
この(120)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(120)
◆背骨を丸めて「まる文字」を書くと心の病いが助長する?
なぜ、「背骨」や「まる文字」が「心の病い」と関係があるのでしょうか?
これは、「風が吹けは桶屋が儲かる」の諺のように、「こじつけの理論」ではありません。
世界的に心の病いが蔓延しています。
いえ、この現象は、今に始まったことではなくて、
もともと西欧社会では、物質社会ゆえ、その反動からか、
精神を病む人が多かったのです。
それが、物質至上主義の資本主義が日本や東洋に伝播するにつれて、
精神病が具現化され、公に認知されていったというほうが正しいでしょう。
昔の日本では、精神を病む人は少なかったのです。
いえ、というよりも、先天性の人は、生まれる前に間引かれたり、
幸か不幸か生き長らえても、人目につかない所へ隔離されたりで、
殆ど人間らしい扱いを受けなかったのです。
それは、「恥」の文化と言われる日本社会においては、
精神を病むということは、人間としては一番恥ずかしいことで、
もう「人間失格」と見なされて、人間として生きていく道が閉ざされて、
社会から抹殺される運命だったからなのです。
だから、そうならないために、昔の日本人は、
今以上の過酷な条件でも、耐えて耐えて耐え抜いて、
精神を鍛える努力を怠らずに、必死で、生きてきたのでしょう。
それが、ある意味、大和魂や武士道精神を際立たせ、
戦争で惨敗しても、復興では、世界に類を見ない、
今の豊かな日本の繁栄につながった一旦ともいえるのでしょうか。
昔の風習を余りにも美化することはいけませんが、
二元論のこの世である以上、光と闇、陰と陽、があるのは当然の理で、
昔の日本人は、その闇を敵に回して、憎んだり、排除したりして、戦うのではなく、
それが、生きるこの世の定めだとしっかり割り切り、上手に、闇を避け、光に向かうために、
そのスベとして、精神を鍛える努力を怠らなかったのです。
日本人の「あきらめる」とは、「あきらかに」「きわめる」。
その精神は、日本独特のモノなのです。
他民族には、決して真似ができない。
それが、他民族から見れば、「開き直り」と取られ、
畏れられる場合もあるのですね。
本当は、己の精神を制御するためのスベだったのですが…。
知識や学問を学ぶよりも、大切なことで、それは、
まず、精神を鍛えることに重きを置く文化だったのです。
だから、今でも、日本人は、精神の豊かな人物に尊敬と憧れをもって、
そういう人を応援するのでしょうね。
そして、昔は、精神を病まないために、
鎮守や神社に、セッセとお参りしたり、
四季の折々の自然の美しさに触れたり、
生まれ故郷の村々の祭りや行事に参加したり、
あるいは、日々の憂さは居酒屋や縄のれんで飲み流したり、
会社の運動会で汗とともにストレスを発散させたり、
慰安旅行先の温泉で汗を流し、その土地の料理に舌鼓を打ったり、
ありとあらゆる機会を見つけては、
精神を鍛え、癒すことを、生きる目的として、
「人間の智慧」として、生活してきたのですね。
それが、いつの間にか、それらはみんな、ムダでダサいこととして、
さらに、戦争に負けてから輪をかけて、退けらてしまったのです。
そういう日本の文化を考えてみると、
「教育」にも、昔ながらの智慧が、西洋文化を信奉する無知な現代人によって、
蔑ろにされ、退けられて、しまったのです。
昔の教育界での、一番良い例が、
昔は、文字を習得させるためには、
まず「片仮名(カタカナ)」から習わせたと、あります。
いつの頃から「片仮名」を先に習う習慣だったのでしょうか?
最近は、「カタカムナ」が日の目を見るにつれて、
日本人の大和文字は、「カタカナ」だっといういう説が、
見直されております。
古神道の川面凡児も、その膨大な著書の中で、その説を力説しておられます。
私のことで恐縮ですが、私は小学生の頃から大人になるまで、
いえ、大人になっても、猫背がひどく、
そのため、いつもモンモンと何かに悩んでは、
クヨクヨと夜も眠られない日々を過ごしておりました。
その後、色々勉強するうちに、この背骨をシャキッと伸ばすということが、
心の悩みや病いを軽減するのに、
どれほど重要かということを思い知らされたのでした。
そして、背骨のゆがみが「まる文字」につながっていたことも知って、
昔の人は「カタカナ」から先に教えたという、「生活の智慧」に
日本には、昔から、人間としての生き方の模範となる、風習やしきたりが、
ちりばめられている、ということを覚ったのです。
幸い、私は猫背ではありましたが、「まる文字」とは無縁だったので、
猫背を直すだけで、神経質な性格から解放されたのです。
最近の若者は、いえ、結構な年齢の方々も、
まる文字を書く人は多いと思います。
それは女性だけでなく、男性にも広がっている特徴です。
そして、最近では、背骨のシャキッとした、「高倉健」が亡くなられました。
彼の凄さは、あの凛とした立ち居振る舞いにあったのです。
誰でもが真似できるようでいて、決して真似できない、あの姿勢…。
あれこそが精神の人であり、「孤高の人」と言われる所以です。
80才になっても、あの、堂々とまっすぐな背骨を見ると、
彼の過酷でまっすぐな生き様が想像されます。
そして、誰もが少しは彼にあやかりたいと憧れるのです。
もしも、これをお読みに皆さんの中で、
クヨクヨと悩みやすい体質や性質の方は、
一度、健さんのように、少しは、背骨をまっすぐにして、
しっかりとした「カタカナ」を書く訓練をしては、
いかがでしょうか?
あるいは、自分の子どもに躾けてみてはいかがでしょうか?
きっと、何らかの効果は得られるはずです。
まる文字を止めて、背骨をまっすぐにして生きる!
これが、人生を乗り切るコツだった…。
日本人の、昔の先達に学びましょう。
すばらしい、しきたりをありがとうございます。