直観ひとりごと(119)高倉健さんの「男の掟」を~
この(119)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(119)
◆高倉健さんの「男の掟」を政治家も見習ってほしい。
高倉健さんが亡くなって、ショックの方も多いことでしょう。
私も、大の大の健さんファンでした…。心よりお悔やみ申し上げます。安らかにお眠りくださいませ。
昨日(19日)は、スポーツ新聞等を片っ端から買い漁り、健さんの亡くなる最後の情報に食い入りました。
そんな無駄なことをしても健さんは帰らないというのに…。
でも、そう、せずにはおれない人って、そうそうこの世にはおりません。
それが、健さんの健さんたる所以です。
日本人なら、健さんを嫌いという人は、よっぽどのへそ曲がりの変わり者か、
あるいは、日本人ではないのでしょうね。
いえいえ、健さんだけは、中国や韓国でも、ファンが多かったはず。
日中韓の架け橋になれる人だった…。
そう考えると、私たち日本人は、大きな大きなモノをなくしたと同時に、
もうそのあとを継げる人はいなののではと、暗澹となってしまいます。
健さんのエピソードは色々書かれていて、もう手垢にまみれている感が否めませんが、
私たち団塊の世代以前の人ならば、健さんのの映画に勇気づけられた人も多かったはず。
私は、先輩後輩のけじめの厳しい職場で、仕事帰りに、
同僚たちと行く、健さんの「任侠映画」に、観たあと、一服の心の清涼感を味わって、
仕事の糧にしていたことを、懐かしく思い出しております。
もしも、健さんの映画がなかったら、
今の若者と同じように、心の病いで悶々となっていたことでしょう。
映画を観終わったあとには、
女の私でも「よ~し! 明日もくじけず頑張るぞ!」という気になるのだから、
男たちが、肩で風切って、健さん風に映画館を出ていくのも、
まんざらうなずける気がいたします。
健さんは、なぜ、こうまで、日本人の心を魅了してやまないのでしょうか?
それを、つらつら考えますに、
健さんには、普通の人ならできない、悲壮な「男の掟」というか「男の法則」が、
あったように感じます。
辛いからこそ、一生懸命頑張れる掟や法則…。
その法則とは、まるで「我慢の法則」といってもいいような…。
だから、誰にでもできるこっちゃあない!
健さんにしかできない、だからこそ、それが、観る人の心に突き刺さる。
いえ、心の琴線をきりきりと切り刻む。
本当の「小田剛一」は、
お酒も、おしゃべりも、女性も、子どもも、家庭もとっても大好き人間、なのです。
きっと、性格も、あまり良くはない、感じ!
だけと「高倉健」は、
お酒も好きだが、飲むと酒乱になるのでやめておく。
おしゃべりも好きだが、役のために無口をつらぬく。
食べると太るので、1日1食でがまんする。
惚れっぽいが、妻は一人と決めている。
子どもも好きだが、死んだ子を胸に生きる。
家庭も好きだが、妻や子のために、一人で生き切る。
これが、「男、高倉健」の生き様であり、
それが「男の美学」などともてはやされる。
それは、普通の人にはできない美学だから…。
「我慢の掟」だから…。
要するに、高倉健は、「小田剛一」を捨てて、一生涯、「高倉健」を演じている…。
だから、「偉大」なのです。それ以外の、なにものでもない!
私も、それを常に意識して生きている。
そして、それが迷いの念を吹っ切る糧となっている。
普通の人の幸せは望まない。
健さんの爪の垢の一片でも飲ませて頂くという、
揺らぎない信念を頂いた、と勝手に思っている、一人です。
そういう風に影響を与える人は、もうこの世に、いない…。
日本人の多くは、自分ができない、やりたくないから、
それを「高倉健」に押し付け、あれは健さんだからできるんだと、特別扱いして、
自分ができないことを正当化する…。
そして、「日本人とは、何と素晴らしい民族だ」なんて、
捻じ曲がった優越感に酔いしれる。
日本人って、ひょっとして、一番ずるい民族なのかもね~。
良い人間も世界一だか、悪い人間も世界一の民族かもね~。
多民族の悲しさゆえか…。
今も、有史以来他国民が、幅をきかせて歴史を捻じ曲げていると聞く…。
真の日本人が目覚める前に、彼らはドンドンこの世から消えていく…。
そして、この時期、奇しくも、安倍総理が解散総選挙をぶち上げた。
新聞には、健さんと安倍総理の顔が並ぶのも、あながち偶然ではないような…。
解散、解散とマスコミもこぞって声高に叫ぶが、
高倉健の精神を持つ、貴重な政治家はいるのでしょうか?
なってほしい政治家は一体何人いるというのか?
政治家とは、なって欲しい人がならず、
なってはいけない人間がなりたがる…。
そんな人間を選べというほうが酷なのでしょうね。
しかし、先のAPECの日中首脳会談での心無い習近平氏の様子が全世界に放映され、
日本人は、いたく感じたはず。
もしも、安倍総理ではなく、他の人間だったら、一体どういう風な態度になったかと…。
ああいう仕打ちをされてまで、冷静に対応できたかどうか、
安倍総理のあの毅然とした振る舞いは、まさに、高倉健に通じる、振る舞いなのです。
虐げられても、虐げられても、卑屈になることなく、耐え忍ぶ、映画のヒーローと被さるのです。
これぞ、日本人といえる態度を、安倍総理は、全世界に示したのです。
他の人では、ああはできない。
習近平氏と同じようにムッとするか、睨み返すかがオチでしょうね。
一緒になって怒るのなら、小学生の子どもでも、誰でもできる。
しかし、安倍総理がとった態度は、誰も真似できないのです。
それだけ、今回の態度は、立派だった…。
だから、安倍総理の存在感が光ったのです。
まさに、日本人の「武士道精神」にも通じる光るモノ…。
それはもっとさかのぼれば、神道以前の失われし「神ながら」に通じる光…。
あの安倍総理の態度を見て、世界の指導者たちは、
かえって安倍総理の人間の偉大さや寛大さに、感動すらおぼえたことでしょう。
まさに、あの態度こそ、日本人の本質なのだと…。
いえ、全人類の持っている「人間の本質」なのだと…。
どんな目に遭っても、他者を敬い重んじる精神…。
それが、人間の叡智なのでしょうね。
それは、他の政治家には無理なのです。
なぜならば、安倍総理には、高倉健の「男の掟」があるのです。
彼の生い立ちは、最初から総理大臣を目指していたのではなく、
また、決して周囲から期待されていたわけでもないのです。
きっと、ご本人は、いまでも政治家には向いていないと思っていることでしょう。
しかし、子どもに恵まれないということが、選ばれし人としての証なのでしょうね。
A級戦犯の岸首相とノーベル平和賞受賞の佐藤総理の両極端の人を親戚に持つ、
数奇な運命の安倍総理だから、やっぱり、選ばれし人なのでしょう。
決して偶然ではないのです。
彼は、一体、どちらの総理を模範として、今後、生きていくのでしょうか?
私は、そういう目線で、彼の今後を期待したいと存じます。
野党からも敵対されますが、きっと味方であるはずの与党からも敵対される、
大きな大きな存在なのでしょうね。
まるで、孤高の高倉健と同じ生き様では?
また、それは、成りたい、成りたいという人には、決して成れないように、
成りたくないからこそ、神はそういう人に白羽の矢をあてるのです。
高倉健も、決して映画スターなんぞには成りたくなかったのですから…。
そういう、選ばれし人は、己の私利私欲に走らないのです。
走った途端、神から、見放されることを感じるのです。だから…。
健さんは、「大人になるよりも、男になりたかった」そうです。
それを、政治家に問いたい。
「まず、政治家である前に、男になれ」と…。
男の中の男になってこそ、国民から信頼される政治家になれる…。
私がその人を評価する唯一のモノは、
いかに、この世で我慢して、捨てているモノがあるかどうjか…。
それを基準にすれば、人の心も実によくわかる。
暮れに近づくにつれて、テレビでは、リバイバルの映画が、よく再放送されます。
大晦日やお正月にかけて、高倉健の映画もこぞって、テレビは放送することでしょう。
これも偶然ではなく、日本人の失った精神を取り戻すために、
神が仕組んだ仕業なのでしょうか?
森繁久彌や森光子の命日も11月10日と聞くと、
年末に向けてのデモンストレーションのような気がします。
偉大な人は、死ぬ日も自分で選んでいるのでしょうか?
変革の時代を生き抜くためには、
私たち日本人は、お偉い方々の著書などは横に置いておいて、
今からでも、高倉健のl渾身の映画を見ようではありませんか?
そうすれば、選挙で誰を選ぶのか、
あるいは、今現に、ご自分の生き方に自信のない方も、
きっと、何らかの答えを、
健さんのしぐさやセリフからヒントがもらえるでしょう。
下手なカウンセラーよりもよっぽど信頼できる…。
巷では国民栄誉賞を健さんにという声が上がっておりますが、
くれぐれも、民主党の「なでしこジャパン」のような無様な授与は止めて頂きたい。
なぜなら、あれ以来、国民栄誉賞の価値がぐんと下がってしまったのだから…。
国民の間から、湧いてくるのを待ちましょう。
それが、健さんの遺志でもあるのでしょう。
「忍ぶ会」や「お別れ会」などはいらないと言っていた健さんの遺志を知ると、
最後の最後まで、見事に、
「高倉健」を演じ切って、旅立ったのです。
あの世では、「小田剛一」の本質通りに生きていってほしいと、
願ってやみません。
この世では、私たちファンは、「高倉健」の永遠のファンの一人として、
誇り高く生きていきましょう。
合掌!!!