直観ひとりごと(105)午年の年頭に午年生まれの父を想う…。
この(105)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(105)
◆午年の年頭に午年生まれの父を想う…。
今年は午年で、私にとっては感慨深い午年です。
実は、私の父は、すでに亡くなってはおりますが、この午年生まれです。
今回は、父親の自慢話をさせていただこうと思います。
父親はとても個性的で稀に見る強運の持ち主なので、何かの参考になれば幸甚に存じます。
強運といってもやはり波乱万丈の一生で、強運を呼び込んだのも、父親の意志が強固なゆえでしょう…。
父は、13人の兄弟姉妹の中では、一番の出世頭の人間でした。私が小さい時には、その兄弟姉妹は、13人の内、父を含めて4人しか生き残っておりませんでした。貧しい庶民の出なので、本来ならば、大学はおろか、大企業とも縁がなかったはずですが、父親の午年の性格が幸いしてか、無一文からたたき上げて、大企業の事業部本部長にまで昇りつめた、本当に努力の人間でもありました。
しかし、そこに至るまでには、壮絶な人生があり、共同で事業を起こした会社が倒産して、その社長が雲隠れしてしまい、父親の肩に巨額の負債が全部のしかかり、毎月20万円ずつ20年かかって返済したそうです。だから、私の家は小さい時から、ずっと貧乏でした。でも、父の余りの律義な性格に、借金取りのやくざも、最後には、父親のファンになったそうです。
父の大学卒業は、勤めながら、結婚して子どもを3人も抱えながらで、そんな厳しい条件のなか、首席で卒業したそうで、その頑張りは私たち子どもたちにも良い影響を与えているようです。先見の明もあり、これからは「消費の時代」だと直感して、家具のデザイナーを辞めて、ゴミ焼却炉のエンジニアになり、ドイツまで勉強しに行き、その後、日本人で4人目の技術士に合格し、特許もやっと取り、その特許を大手企業に譲り渡して、自分の活躍する場の一つの部をつくってもらい、それから運が開けたそうです。
なぜ、大手企業に入社したかったのかと聞いたら、父は、「公共の施設(ゴミ焼却炉)の入札は、大手でないとなかなか受注できなくて、今まで小さい会社でとても悔しい思いをしたので、大手に入れてよかった」と…。また、父は、若い時から縁のあった部下たちを、その大企業に一緒に連れていったのです。その会社は大学卒でないと正社員にはなれなかったので、父は部下たちを大学や短大に通わせて、正社員にしたそうです。もしも、父がいなかったら、その会社には入れなかった人もいたでしょう。それも、後で聞いたら、「自分一人ではできない仕事なので、それも当然のこと」、という答えが返ってきました。父は自分の子どもたちよりも、部下たちを可愛がっていて、よく私や弟は淋しい思いをしたものです。官公庁の焼却炉の入札で仕事が入ったら、現場監督でずっと単身赴任という状態だったので、何年も出張で家に帰ってこないのはざらでした…。
また、父がその大企業に入る前には、他の大手からも1億円という破格の条件で誘われたのですが、父は「部下たちと一緒でないと行かん」、とケンもほろろに断ったそうです。母から聞いた話ですが、母はその当時も決して裕福ではなかったので、その会社に行ってほしかったとこぼしておりました。そんな父親を私は誇りに思っていますし、父親のように人を助け、人のお役に立てる人間になりたいと常に願っております。
父は、大手企業の事業本部長という立場ゆえ、たくさんのお歳暮やお中元を業者から贈られてきたのですが、家に送られてくる高額の金品は一切受け取らず、全部母親に返すように申しつけておりました。ある時などは、何百万もする毛皮のコートを母親宛てに送ってきたそうですが、強い口調で「返せ」と言ったそうで、その時、母親は「そのコートだけは返すに忍びなかった」と諦め顔で話していたのを思い出します。商売人の家に育った母親にとっては、少々の付け届けには寛大というか罪の意識はなかったのでしょうか。とにかく、父はお金にはとても潔癖症で、それは私自身も見習うべきことだと思っています。父の成功への道はこの「お金に執着しない」というコトも関係しているようですね。
そんな父親ですが、60歳の定年を迎えて、その大手企業を定年退職する殆どの人が、他の子会社に社長や役員として天下り(?)する風習だったそうですが、父親はその誘いを一切断り、どこにも勤めずに、潔くその会社を辞め、人生の定年をきっちり60才で迎えました。その後は、10年ほどは、自由に暮らしておりましたが、70才の声を聞いてからは、好きな絵を描くこともせず、他の趣味もなく、妻とも心の通った会話もなく、一人で楽しく人生を生きるスベも知らず、とうとう最後は、認知症を患い、自分や家族の名前も忘れ、淋しく病院で息を引き取りました。しかし、最後まで、その大企業の名前を忘れず、引き立てて頂いた社長や役員の名前を口にして、感謝しておりました。
周囲から見たら憐れを誘う人生ですが、私は、父は決して悔いてはいないと信じています。潔い生き方にきっとあの世でも自分の生きざまに納得していることでしょう。好きだった絵を思う存分描き、きっとなりたかった画家にも挑戦していることでしょう。官公庁や公共事業の仕事はもう二度としたくないと口癖のように言っておましたが、きっと、権力と札束が飛び交う世界は、父親の性格としては、許せなかったのでしょう。だから、あっさり、60才で引退したのでしょうね。それはどこの世界でも一緒! 人間であるかぎり欲と得から逃れられないのがこの世の仕組み! せめて父親のようにそういうコトを避けて通るスベを見つけたいものです…。
また、父親のような認知症にはならない人生をどうすればおくれるのかを常に模索しております。そのための新たな勉強をして、人様にお役に立てるモノコトを考えております。
午年の人は、気性が激しく、博打や賭け事とも大好きとありますが、父は、気性は激しかったけれど、一切、賭け事はしませんでした。きっと、本当は大好きだったのかもしれませんが、すると溺れてしまうと感じていたのでしょうね。裕福な環境で生れていたら、きっと放蕩息子になっていたかもしれません。そういう意味では、貧乏な家に生まれたことが幸いしたのでしょう。
そんな努力家の父を私は、尊敬し、また父の歩いた足跡を想うにつけ、私自身にも何かできる、といつも、自分を奮い立たせることができました。いくつになってもその思いは変わらず、この午年の年頭にあたり、昔、自分に立てた誓いというか、モットーというか、それを、新たな気持をもって、ここに載せることにいたしました。
欲得社会に翻弄されずに生きるには、日本人としていかに生きるべきか?
それを突き詰めていけば、答は出てきます。
「恥を知る」「恩を知る」「分(人のつとめ)を知る」。
これを忘れたら日本人じゃ~ないそうです。
私も含め、日本人とは、いえ、人間とは、を考え直さないと…。
戦争問題も、単純です。
戦争で潤う国があるということが問題です。
それが、答です。
そう考えると、武器を売る国の罪は大きい。
日本も武器を製造し、輸出しているそうな…。
いずれ、そういう国はこの地球から抹殺されるかも…。
そして、この日本国に目をむければ…。
政治家は命を犠牲にしても政治をやりぬき、
医者は人の命を救うことに身を粉にし、
経営者は時勢を捉えた目線で経営に携わり、
ビジネスマンは自分のビジネスに誇りを持って、世の中の為になっていると自覚しながら毎日を生きる。
また、
先生と名のつく人達は、生徒におもねず、威厳と慈しみをもって生徒に接する。
生徒は、新鮮な知識を吸収する謙虚な態度と、勉強しながら仲間と励まし合い時にはライバルとなって切磋琢磨させる。
主婦は、自分がこの家庭を守っているとの強い信念と深い愛情で家族を包み込む。また、家族の高齢者が病気になっても極力在宅介護を覚悟する。
高齢者は決して寝たきりやボケ老人にならないという堅い誓いのもとに少しの奉仕を心がけ、周囲に感謝される生き方を創造する。
子供は自分が産まれてきた環境は、自分が選んで、産まれてきたのだという自覚と納得をしたうえで、素直に生きる努力をする。
等々、人間それぞれが、毎日を真剣に生きることが、私たちの地球の高いエネルギーとなるでしょう。
人間の生きるための波動を高めれば、地球の波動も高まり、邪心や邪悪な戦争は自然消滅していくでしょう。
自然に戦争や犯罪は起こりません。全て、人間が引き起こすのです。
人間の意識が高まれば、それらとは無縁になります。人間の意識の問題です。
だから、宗教や教会や教団は21世紀には必要ありません。
自分自身の己の神を信じればいいのです。
私は人様に偉そうにいえる人間ではありません。
反対に人様から、後ろ指を指されるような人生の失敗者でした。
だから、こそ、真理を求めてさまよう生き方を選んだのかも知れません。
死ぬまでさまようことでしょうが、決して、悲観はしておりません。
反対に、真理を求められる人生に感謝しております。
命さん、魂さん。心さん、意識さん、本当に有り難うございます。
潔い父親の子どもとして生れたことに感謝です。大好きな父親に感謝です。
本当に有り難うございます。
親孝行、子孝行ができなかった分、他の人のために生きたいと強く願ってやみません。
父親の生き様を、見習うべきところは見習い、また反面教師とするべく、頑張ってまいりたいと存じます。
日本人が、地球人の模範となりますように…。
地球の原発が無力になりますように…。