直観ひとりごと(100)「半沢直樹」の最終回に、カウンセラーとして思う…。
この(100)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(100)
◆「半沢直樹」の最終回に、カウンセラーとして思う…。
テレビドラマ「半沢直樹」の最終回がいろいろ話題になっています。
主人公の結末の待遇に、「なぜだ?」という意見が多いのは、見ていた世の多くの男性が主人公に感情移入し過ぎた証拠でしょう。
当然ですが…。
私は、今回は、ちょっと違った意見を述べて見たいと思います。
カウンセラーとしてというよりも、やっぱり、人間として、という意味で…。
今回の主人公の半沢直樹の処遇には、見た瞬間は、やっぱり「エッ! ウソ!」という思いに襲われましたが、
日が経つにつれて、よくよく考えて見ると、やっぱり、あれはあれで正解だった、という思いに至りました。
あの半沢の行為は、たとえ、いかなる理由があろうとも、イチ銀行員のなすべき行為ではなかった。
組織で生きる者の取るべき行為ではなかった、と…。
それは、あの場面(役員会議)で、大和田常務を土下座させたのは、
半沢の私情の混じった「仇討ち」以外の何ものでもないからなのです。
正義に名を借りた、独りよがりの「復讐」だった…。
中野渡頭取が、「そこまで!」と命令しても、半沢は聞き入れなかったのです。
その時点で、彼は、大和田常務の上司である頭取にまで、刃を向けてしまったことに気がつかなかった…。
イチ銀行員が、踏み込んではいけない、禁断の掟を侵してしまった。
なぜならば、銀行(会社)という組織は、一人の行為も、その上司の責任となる仕組みです。
ならば、大和田常務の全ての行為は、最終的には、中野渡頭取の責任となる。
さらに遡れば、大和田常務が若かりし頃、半沢の父親にした仕打ちは、
それは、銀行としては手柄にあたるのです。
だから、常務にまで、登り詰めることができたのです。
大和田のしたコトは、銀行が命令したコトと同じなのです。
銀行からすれば、大和田常務は、成績優秀な前途ある有望な銀行員なのです。
だからこそ、中野渡頭取は彼を常務に昇格させたのですから。
そういう風に考えれば、その大和田常務を批判し、土下座に追い込むというコトまで、
要するに、いち銀行員が、土下座を命令するコトは、銀行に歯向かったコトになるのです。
まして、私情を、大勢の役員の前で持ちこみ、大和田常務に恥をかかせる半沢の行為は、
銀行の代表者である中野渡頭取にも挑戦状をたたきつけたコトになるのです。
もしも、土下座をさせるのであれば、二人だけの場面であれば、まだ許されるかもしれないが、
役員会議の他の大勢の役員の前で、それを要求し、実行させたというコトは、
半沢自身、公私混同した甘い考えの何ものでもなかった。
自分の要求している行為は、きっと、中野渡頭取も許してくれるだろうと、
タカをくくったのかもしれません。
中野渡頭取を陥れようとした、大和田常務を、自分が暴いたのだから…。
きっと、頭取も許してくれるはずだ、と…。
その思いは、まさに、半沢自身が権力を傘にきて(頭取を味方にして)、
土下座させたコトになるのです。
その時点で、半沢自身も、自分が一番軽蔑していた、銀行員の意識に成り下がってしまったのです。
しかし、当の中野渡頭取の思いやいかに?
頭取にまで上り詰めるほどの人間の考えるコトは…。
イチ銀行員と同じ思いに至るだろうか…。
そして、その結果、中野渡頭取の意識に、半沢の存在が大和田常務に取って替わり、
新たな「敵」という意識が芽ばえたのではないでしょうか。
その結果、出向という処置に…。
もしも、半沢が、あそこまで、大和田常務を叩きのめしたのであれば、
銀行を総括したのですから、
即刻、半沢は、颯爽と銀行を辞めるべきなのです。
なぜならば、大和田常務といえども、組織(銀行)の一員でしかないのだから…。
半沢の行為は、銀行を敵に回して、「銀行の悪」を暴くために行動していたのですから…。
それをはき違えているのです。
敵とした組織に、ぬくぬくと居座ろうとしたことが、彼の浅はかさとも言えます。
いくらドラマとはいえ、世の中、そうそう甘くはないのです。
噂では、主人公には実在のモデルがいて、その人は、自殺していると言うではありませんか?
作者は否定していますが、もし、それが事実であれば、
なんとも、後味の悪いドラマですね~。
死んだ人は、一体、草葉の蔭でなのを想うのでしょうか…。
彼の魂は、浮かばれているのでしょうか…。
残された彼の家族は、あのドラマを見てどう感じるのでしょうか…。
また、関わった先輩や同僚や何を想うのでしょうか…。
こういう人の身になって考えることも、人間って、必要なのではないでしょうか。
つくづく感じます。
人間は、踏み外してはいけない「道」というものが、この日本には、あるように感じます。
それは、目には見えないですが、古い古い時代から、日本人の精神をつくっている「何か」…。
根底に流れている「何か」…。
侵すべからずといわれる「何か」…。
それは、人間が人間を裁くことを許さない厳然たる「何か」…。
人間が畏怖する「何か」…。
それが、今回、「半沢直樹」の最終回で、感じた「何か」だったのです。
願わくば、最後の最後で、半沢は大和田常務を許さなければいけなかったのでしょう。
でないと、半沢自身が、自分自身、己に対して、罪を犯してしまったことになる。
己の良心に背くコトになってしまった…。
もしも、私が、カウンセラーという人の「心」を感じる生業をしていなかったら、
こういう思いには至らなかったかもしれません。
カウンセラーという職業は、最近、安易になる人が多いですが、
クライアントの「心」に向かうこともさることながら、
世の中の出来事にも、カウンセラーの「心」で、いえ、その前に人間としての「心」で、
感じないと、悩める人の「心」に添うことはできないと、
今回のテレビドラマ「半沢直樹」で痛感させられました。
これからも、感性を養っていきたいと存じます。