心のお薬になる歌(6)「人間なんて」吉田拓郎/歌
この(6)「心のお薬になる歌」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる歌(6)
◆「人間なんて」吉田拓郎/歌
昔、若かりし頃、色々悩んでいたトキに、慰められた曲を、最近、やっと、見つけました。
それは、若かりし頃の吉田拓郎の「人間なんて」です。
最近、毎日聞いています。
あの当時は、反戦歌や労働歌が主流で、吉田拓郎って、ちょっと軟弱っていう感じがあったのですが、今思うと、吉田拓郎の「凄さ」って、昔からある日本のモノやコトや言葉で、自分の新しい音楽を追求していたようで、英語やカタカナ文字を使わないで、ニューミュージックの旗手と言われていたのですね。これぞ、日本人の中の日本人!
さらに、その「凄さ」は、全く政治色を排除していて、大層に人生を語ったり、生き様を主張したりしないで、等身大の身近にある飾らない普通の言葉で、「何か」を表現できる才能って、もう尋常じゃあないでしょうね。
カッコイイ言葉や、綺麗なコトバを並べるワケでもないのに、心にス~ッと入ってくるですね。
この感覚は、同世代というよりも、世代を超えて、日本人、いえ、人間としての感性に訴えてくるというか…。
しかし、また一度も生のライブを見たことがないので、大阪に来られたら、是非、観に行こうと決めていますが、いつになりますやら…。
それまで、動画で我慢します。
みなさんも、どうか、彼のスゴさを堪能してくださいね。
また、背広なんてゼンゼン似合わないのに、日本武道館では、それを着て演奏している、吉田拓郎って、チョ~、カワユイ!
こんな純真なトキも、あったんですね~。
年を取る儚さと、年を経る愛しさをヒシヒシと感じます…。
「武道館のライブ」と、「篠島のライブ」と、「永松よしひろのギター演奏」の三曲ありますが、いずれもそれぞれに良いです。
『人間なんて』in 篠島 79′ Island concert 吉田拓郎→
やっぱり、歌の力を感じます。人間の力を感じます。
悩める若者に、年老いた私が、捧げます。
いえ、全ての日本人に、歌って頂きたい、聞いて頂きたい、日本の歌です。
拙い文章の一服に、どうか、心をお癒しくださいませ。
以下に、歌詞を載せておきますが、最後の最後が、ちょっと意味不明ですが、お許しください。
歌詞も、心に届きますよ。ホント!
みんな、何かで悩んでいるのですね。だから、人間なんですね!!!
カウンセラーなんて、この歌に比べたら、何の力もない、と感じます。
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『人間なんて』 吉田拓郎 90′ 日本武道
作詞・作曲:吉田拓郎
何かが ほしい オイラ それが 何だか わからない
だけど 何かが たりないよ いまの 自分も おかしいよ
空に 浮かぶ 雲は いつか どこかへ 飛んでいく
そこに 何かが あるんだろうか それは 誰にも わからない
ホントの ことを 話してよ ホントの 声を 聞かせてよ
黙り こんで しまうなんて 臆病 者になって しまうよ
からっぽに なっちまう 前に せつなさを あきらめる 前に
オイラの こころを 満たしてよ からだを 何かで 突きさしてよ
人間なんて ラララ ラララ———〈四回 繰り返し〉
誰かに 叫ぶ 声が 届かない 理由は 何だろうか
愛して いるって こたえてくれ 旅する 人に 伝えてくれ
迷って しまっても ここにいる 遅れて しまっても そこにいる
頼れる 者を 忘れないで 行方 知らずを 見捨てないで
オイラの こころは ここに捨てよう 疲れた 楽しみを そこにおこう
きのうの 風に 預けた夢が 叶わない ものなら 投げ返してよ
人間なんて ラララ ララララ———〈四回 繰り返し〉
かすかに ふるえる 声で 人間なんてと 叫んで 見るけど
大きな 何かに 吸いこまれて やるせない 隙間も うずめられない
何かが どうしても たりないよ ホントの ことが 知りたいよ
人間なんてと いえないなら オイラの いのちかける ものしてないよ
人間なんて ラララ ララララ———〈繰り返し〉
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