感動のカウンセリング!(50-1)3回目の相談者様は、カウンセラーの資質と技法を試すことに…。
この(50-1)「感動のカウンセリング!」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★感動のカウンセリング!(50-1)
守秘義務に則りまして、決して相談者様の特定ができないように重々考慮して書かせて頂いております。
◆3回目の相談者様は、カウンセラーの資質と技法を試すことに…。
今回の相談者様は、この「5時間で1回きり」のカウンセリングが始まって以来の、「初」の3回目のカウンセリングを受けられた人のご紹介です。ある意味、私にとっては、30余年培ってきた、心理カウンセラーとしての「資質」も「技量」も「技法」も全部試されるような、精神的にも厳しい「現実」を突き付けられたセッションとなりました…。
「1回きり」と豪語(?)しているこのカウンセリングにおいて、心理カウンセラーとしては、「2回目」はまだ受け入れることができても、「3回目」というのは、もう無視できないのですね。しかし、例外的には、病気や薬を飲んでいる相談者様には、2回目、3回目も、「有り」なのですが、今回の相談者様は、全くそういう「病人」や「難しい人」ではなかったのです…。いえ、「3回目」をお引き受けする時点では、そう思っておりました…。
本来ならば、今回のセッションはブログに載せるのを躊躇するのですが、これを載せないと、心理カウンセラーとして、今までの勉強してきた貴重な「何か」が、失われてしまうような、或いは、このセッションがその「何か」で、今までが「ウソ」にまみれてしまうような、そんな、「何か」大きな「問題」を残したまま、それを避け続けていると、このままでは、このセッションを続けることができず、未来に進めない、というような、複雑な「意識」に囚われたことも事実ですので、その当時を振り返りながら、ここに、勇気を出して、載せることにいたしました。
この潜在意識の「心理本質カウンセリング!」のやり方に切り替えてから、今まで、「2回目」を受けられた方はおられても、「3回目」の方はいなかったのです。ところが、今年の夏に、初めての、「3回目」の相談者様からのメールが…。しかし、私はそのトキは、うかつにも、まだ何回目かも思い出すことができなかったのですが…。
色々メールのやり取りをしている段階で、相談者様が「3回目」だと判明して、私はそのトキ、とても複雑な気持ちになりました。本来、「カウンセリング」とは、カウンセラーとクライエントとの「縁」というか、「相性」がとても重要視されます。普通のカウンセリングでは、1回で終わった人の中には、「良くなった」から「行かない」という人もおれば、その反対に、「良くなかった」から「行かない」という人もおられるはずなのですね。それは、カウンセラーやクライエントの「責任」もありますが、やはり、お互いが「肌が合う」とか「虫が好く」という感情ではなかったから、ともいえるのですね。
きっと「1回目」で「ダメ」であれば、人間の「心理」としては、もう二度とはそのルームには「行かない」はずですし、反対に、そのトキ「直った」と感じても、トキが経つと、殆どの内容を忘れてしまうために「元の木阿弥」で、「やっぱり直らなかった」とホゾをかむ人も多いのですね。人間は、そのトキの熱い「意識」を持続するのが、不得手なような気がします。やっぱり、熱が冷めてしまうんでしょうね。だから、「あそこはダメだったので、もう二度と行かない」という心境になっても、それはそれで自然なのかもしれません。重要なのは、常に、カウンセリングを選ぶ、カウンセラーを選ぶのは、受けられるクライエント様や相談者様の「意識」に委ねられているのですね。
ゆえに、私が、一番重要視しているのは、その「相性」を見極めるためにも、カウンセリングは「5時間で1回きり」で充分だと思っています。それほど、人間の一瞬で人を見抜く「目」というか「直感」は鋭いモノなんですね。それを「お互い」が見極められれば、もはや「良く」ても「来ない」し、「悪く」でも「来ない」ので、だからこそ「1回きり」で「良し、良し」なのですね。そして、相談者様が「嫌や」ならばもう「2回目」はないし、「好き」で再度「来たい」のであれば、私は、最後の最後の「2回目」と心に刻んで、セッションをお受けするのですね。(でも、例外的には、病気のある人や薬を飲んでいる人は、1、2回ではなく、数回は、必要だと思っていますが…。)
そして、本当の精神病や精神障害を患っている相談者様とわかれば、即刻、良心的で信頼のおける精神科医に委ねるべきなんですね。それが、心理カウンセラーの重要な「仕事」だとも感じます。そういう意味でも、カウンセリングは「5時間で1回きり」で充分だと思っています。だから、私の「意識」には、普通に生活できる人の「3回目は無い」のです。いえ、今まで「無かった」ので、これで「良し、良し」と感じていたのですね。それが…。
この相談者様の過去の「1回目」のセッションのブログですが、私はこのブログは今回セッションが完全に終わるまで読みませんでした。というか、このブログがこの相談者様のブログだったとは、トンと忘れておりました。(すみません)
「相談者様の声(22)セッションを終えてやっと長年の夢を現実にする決心が…。」→しかし、「2回目」のブログは書いてないので、あまり印象には残らなかったのかもしれません。後で、相談者様に聞くと、「もう来るな」と「2回目」はかなりキツイことを言ったようですが…。(これも、すみません)
しかし、今回の相談者様が「3回目」と言っても、何かの精神的な病気だったら、私も「3回目」を受け入れる準備はできたでしょうが(相談者様は、来られたトキは、以前よりも痩せていたので、私は軽くダイエットでも? と…。しかし、心身ともに限界をきたしていたことが、後でわかったのですが…。)、外見的には全く普通の感じだったので、私は、「1回きり」とうたっているので、「2回目」もダメならば、このカウンセリング自体、考え直さないといけないのでは? とのちょっとヤバイ思いに…。
普通、相談者様が、ここで「2回目」や「3回目」を受けられるよりも、ここは「ダメだ」と「1回目」で引導を渡してくれて、他の所を受けられるほうが、カウンセラーの私にとっては、精神的に「楽」なんですね。なぜなら、相談者様の「引導の思い」は、カウンセラーの私には知る由がないので、ある意味、無責任な言い方ですが、くよくよ悩まずに済むんですね。そうして、私も含めカウンセラーという職業は、来なくなった人のことは、キレイに忘れ去ってしまわないと続けていけない、不遜で厳しい「仕事」なのかもしれませんが…。
だからこそ、この最初で最後の「一期一会」の「1回きり」に、命がけ、いえ、一生懸命にならないと、相談者様に申し訳ないという「意識」で、毎回、セッションをやらせて頂いておりますが、そんな状況下でも、チラホラと、2回目を受けられる人もいたのですが、さすがに、3回目を受ける人は、今まで、いなかったのです。その異変が、この夏に起こったのです…。
私がなぜ、「ヤバイ!」気持ちになったのかと言いますと、相談者様が2回目、3回目と申し込みをされて、「直らないのは相談者」という思いにさせるかもしれない、この「カウンセリング」って、ちょっと、これは、ヤバイ? もしかして、これは、私に突き付けられた「気づき」なのでは?
その後、私は、何か、心の奥底に、大きな得体の知れない「モノ」が沈殿してしまったようで、それから目を逸らそう逸らそうとして、かえって深い深い闇の底に落ちていくような、ワケのわからない焦燥感とでもいうような…。
しかし、それでも、「1回目」の他の相談者様のセッションでは、普通通りに、無難に、今まで通りにこなせていたのですね。だから、なおさら、心では焦りながらも、気づかないようにしていたのかもしれません。
なぜならば、この相談者様は、入院するほどの病人でもなく、別段、普通に仕事勤めをされている普通の会社員だったのですね。だから、3回も来ないといけないというのが、本当はおかしいのでは? いえ、相談者様が、ではなく、私の、何かが、カウンセリングの方法がおかしいというか、通用しないのでは? とでもいう漠然とした「恐怖」でしょうか…。相談者様に「問題」や「原因」というよりも、このカウンセリング自体に、何か、大きな「欠陥」があるのでは? 「5時間で1回きり」は無理では? と…。
そして、そういう深い「思い」にも完全に気づかないまま、当日、「3回目」のセッションは思ったほど心配したこともなく、スムーズに進んでいったのです。そして、無事にというか、なにはともあれ、「3回目」のセッションが終わったのです。
実は、これが「よくない」のですね。どこが? 何が? それが、よく分からない? いつもと何かが違う! 何かが足りない! 何か、手ごたえがない! のですが…。
ただ、「1回目」の他の人との、終わった後に感じる「達成感」というか「感動」というか、「やり切り感」が全く無い…。何かが違う、ちょっと…。そして、その「直観」が案の定…。
相談者様は、かつても、終わった後に、質問のメールを送って来られて(これは後でわかったことですが…)、今回の「3回目」でも、又、長い質問のメールを送って来られました…。私が稚拙な文章で書くよりもずっとわかりやすいので、ここに載せさせていただきます。
■相談者様のセッション後のメール
(前略)どうしようもない私の、時間超えのセッションをして頂き、心より感謝申し上げます。魂に呼びかけるセッションをして頂き、実践すべく考えていたところ、お聞きしたいこと、お話ししたいことが出てきてしまい、セッション後のメールは、甘い考えと思いますが、メールをさせていただきます。 私は他人に与えるヒビキで、スタイルがエレガント、色は青と、お話して下さいました。私の中では、シンプルなカジュアルスタイルが好きで、着心地(中略)、履きやすさを選んでしまいます。シルエットがエレガントなものはどうしても「自分らしくないな」と思ってしまいます。(中略)荷物が多く、使いやすさを重視したり、ごそごそものを探したり、カバンがパンパンだったり、いつもどんくさい自分がいるので、エレガントとは程遠いという気がしています。(中略) 色は青でした。ジーンズの青はとても好きですが、他のお洋服は寒色よりも暖色の方が黄色白い私の肌の色に合うと感じてきました。(中略)持ちものもジーンズの青以外は選ぶことはあまりありませんでした。自分でも見た目、服装も変わらないな、もう少し大人っぽくしなければいけないなと思ってもおりましたが、好みと、身体、感触を優先してしまう自分なので、仕方ないかと思っていました。そういったところを変えていくのも幼いままの自分を脱却する一つになるのでしょうか。(中略) あと、〇〇〇の部署で、今後(中略)社会貢献の一環や〇〇〇OGも参加し地域の皆様へ向けての、〇〇教室などをしていく「〇〇〇〇〇クラブ」を作り運営する夢を上司が語られていたことを思い出しました。(中略)でも、〇〇〇の中でここでどっぷりやっていく、しかも〇〇〇〇の〇〇〇という小さい枠の中でこのままキャリアを積む、人生このままそれで良いのか、心の中では素直に同調できませんでした。(中略) あるいは、他部署を経験させて頂き、キャリアアップを目指すのか、これをする場合も、すっぱり全て踏ん切りつけて、この組織という中でずっとやっていく決心になりますが、人生このままそれで良いのか、これは平凡な人生な気がしてしまう自分がいました。ただ会社がダメにならない限りは、暮らせていけるので普通で幸せにはなれるんだろうな。(中略) このような今後先の見えない自分が見えてきて、悶々としていたこともあります。(中略)教室は、今も少し活動はあり単発で教室はしていますが、私自身は人前に立ち、教室を仕切っていくというのは好きではなく、苦手で荷が重いです。上司からは依頼されていることですが、こちらの仕事はどのように思われますでしょうか。 昨日セッションして頂き、ようやくたどり着かせていただいた方向性があるにも関わらず、このようなお話をしてしまい誠に申し訳ございません。セションして頂き、このようなモヤモヤから脱却するためにも、この一年は、まずは今までのことに感謝の気持ちを忘れず、会社の仕事の中で〇〇〇〇〇〇〇がより良くなるように努め(中略)別で自分磨きを頑張って行きます。 恵まれている環境、生活させたいただいているのに、悶々としたまま人生を終わらせないように、鏡で見たくない自分で終わらぬように、感謝の気持ちを忘れずにしたいと思います。(後略) |