直観ひとりごと(49)お子さんを右利き、左利きよりも両手利きに育てましょう!
この(49)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(49)
◆お子さんを右利き、左利きよりも両手利きに育てましょう!
実は、なにを隠そう、私は、「左利き」、昔でいう、「左ギッチョ」なのです。
「左ギッチョ」は差別用語なのでしょうか?
昔は、肩身の狭い思いで、偏見にも晒されていたのですね。
今では、「左利き」は、右脳の関係で、プラスに捉えられているようですよ。
同じモノコトでも、時代が変われば、概念も変わるものですね。
ということは、この世に正しいと、今思っているコトも時代を経れば、変わっているかも?
さて、私の「左利き」のお話ですが、ギッチョはギッチョでも、私は、「両手利き」
もともとは、れっきとした「左利き」なのですが、両親が、この不憫な子(私は普通の子と違って、ちょっと変わっていましたので)が、更に「左ギッチョ」では、可哀そうだと思って、あえて、日常、頻繁に使う、「お箸」と「鉛筆」だけは、右利きにせねばと強い決心(?)のもと、躾けたそうです。でないと、お嫁にも行けないと…。
その結果、可哀そうな子ども(私)は、両手利きに大変身したのですね。
お箸で食べること、鉛筆で書くこと、また、テニスや卓球、ギター、レース編みの一本針の編み物、等は右手で…。
ハサミや包丁で切ること、ボール投げや素手でのボール使い、和裁や洋裁の針で縫うこと、消しゴムで消すこと等は左手で…。
要するに、元々は左手が利き手だったのですが、矯正したお陰で、テニスやギター等は右手が使えるようになったのですね。
でも「力」を入れることや「正確さ」を重要視するコトなどには、どうしても左手になってしまいます。
小学校の家庭科の時間に、雑巾を縫うことになって、先生が見回りにきたら、針を右手で持ち、先生の目が見えなくなったら、左手に持ち替えて、スイスイ縫っておりました。
その結果、両手が使えるようになっていたというわけです。
テストのときは、右手の鉛筆で書き、左手の消しゴムでスイスイと消して…。
とっても器用に、何より便利に…。
でも、テストの点数は余り芳しくありませんでしたが…。
しかし、両手利きは、何を意味しているかといいますと、両手を使えたお陰で、理科系にも文化系にも好き嫌いがなく、算数や理科が好きになり、また、音楽や体育も得意になりました。
ただ、ウソの多い歴史や暗記物は苦手でしたが…。
でも、左利きのままだったら、きっと、理科系も苦手となっていたでしょう。
そういう意味で、両手を使えるように躾けてくれた両親には感謝、感謝です。
その当時は、子ども心に「何で?」と恨めしく思ったのもですが…。
今でも、経理やWebコーディング、またプランナー、或いはカウンセラーとして生きていけるのも、この両手利きのお陰だと信じて疑いません。
なによりも、人一倍、器用な人間と思っています。
それは短所ばかりと思って育ったわりに、唯一の長所となって、見えない自信となっているようでした。
だから、何にでも挑戦できるのでしょうか。
それは、とりもなおさず、考え方にも影響し、偏らない広い視野で物事を捉えられるとも思っています。
だから、お子さんをお持ちの方々、特にお母さん方、ご自分の子どもが左利きだと知ったら、なるべく、早めに、食べることと、書くことだけは、右利きにしたほうがお子さんの生きるためにいいですよ。
両手利きは、万能です。
だから、最低限の躾けをしてあげましょう。子どもの行く末のために…。
その他は、自然のままでいいのでは…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。