直観ひとりごと(122)ひつじ年生まれの母親と名前の~
この(122)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(122)
◆ひつじ年生まれの母親と名前の因縁とは?
本年ひつじ年最初の直観ひとりごとに、何を書こうかと迷ったのですが、やっぱりひつじ年にちなんだ話題をと、亡き母親のコトを書くことに致しました。
去年は、父親の干支であるうま年でした。
今年は、母親の干支であるひつじ年なのです。
というわけで、母親のコトを書きたくなりました。
母親とは、生きている間は、お互い苦手な存在同士だったと思っています。
それを払拭する意味でも、今日は母親のコトを書いてみます。
以前に、友人から、「三宅さんの母親は継母だとばかり思っていた」と言われたときは、晴天の霹靂でした。
他人には、そういう風に感じさせるほど、やっぱり不自然な親子だったのかと、その時、ショックに陥った経験があります。
でも、私が、人の名前(姓名)が、その人の人生を大きく影響すると直感したのは、実は、母親のお蔭なんですね。
そのお蔭で、姓名本質リーディングというモノが出来ました。
そして、潜在意識の心理カウンセリングというモノも確立できたのです。
なぜ、母親のお蔭かと言うと、実は、母親は、バツイチの女性で、父親とはお互い再婚同士なのです。
母親は前の夫と離婚し、父親は前の妻と子から死に別れの身だったのです。
幸い、母には子どもがなったことが不幸中の幸いというか、もしも子どもがあれば、離婚していなかったはずですが…。
父は、出産で奥さんを亡くし、その半年後、女の子である幼子も亡くしたそうですが…。
初婚に失敗した者同士の再婚で、お互い前の連れ合いのほうにまだ未練があったのでしょうが、生きるためにはそれも仕方のないことだったのでしょう。
なにはともあれ、二人の結婚がなければ、私たち3人の姉妹弟はこの世に生まれてこなかったのですから…。
言い換えてみれば、私たち3人の生命は、二人の尊い命と引き換えに、この世に出てきたのです。これも、決して偶然ではないのですね。
二人分の命と自分の命と、三人分の命をしっかり生きなければいけないのですね。
しかし、両親の再婚者同士の結婚は、最初からギクシャクしていたようで、私は幼いながらも子供心に、「なんか変???」と常に漠然と感じておりました。
そんな感受性の強い私を母親は、どうも苦手なようで、それがまた、子供心に痛く刺さるのですね。何となく、ワケがわからないだけに、余計に苦しいのです…。
3人の子どもたちには淡白だった母は、いつも一人別世界の人間のようでしたが、それに反して、父は最初の子どもを亡くしているためか、私たち3人には異常なほどの愛を注いでくれました。
唯一母親は、長男である弟だけには、何か子どもに対する愛情とは別のような執着心があるようで、それも私には敏感に感じられて、とても母が疎ましいという思いにも駆られたました…。
まるで、世間の家庭とは、正反対のような母親と父親との愛情に、たった一人私だけは、「なんか変? なんか変? なんか変?」と…。
その疑問が解けたのは、私が結婚・離婚を経験してからでした。
それは、母がある日、ポツリとつぶやいたのです。
「お父ちゃんが、自分の名前を勝手に変えたコトが、絶対許せなった」と…。
実は、母の本名は「貞子」と書き、もともと「テイコ」と読みますが、私たちが物心ついたときには、「サダコ」と呼ばれておりました。
しかしこの呼び方には、母親が我慢がならなかった。猟奇性を帯びた阿部定事件の「サダ」から、絶対嫌だったそうです。それは当然でしょう。
でも、哀しいかな、バツイチの身ゆえ、はっきり主張できなかったのです。
また、母は、異常なほどの無口人間でしたが、あるいは、それがきっかけで、貝のように無口を貫いたのでしょうか。今となっては真相は闇。
母が嫌がるのを無視してまでも、母の呼び方を変えた父親ですが、
その理由は、前の亭主が呼んだ呼び方はしたくないと…。
それって、タダの焼きもちでは?
なんと身勝手な男の言い分でしょうか…。
父親も罪なコトをしたものです。
しかし、その行為から、父親の並々ならむ母への思いが汲み取れますが、
当の母親がそれをただただマイナスに受け取ってしまったのです…。
そのせいで、父親は、母親が一生、父親から心を閉ざしていたことも知らなかったのですから…。
結婚するまでは、ラブラブだったというのに…。
たった、呼び名を変えただけというコトが、たった、では済まされない。
母親にとっては、決して簡単なコトではなかったのです…。
母の怨念を決定的な事実として理解できたのは、父親が亡くなり、母親も亡くなり、母の前の戸籍を取り寄せた時でした。
それは、母の前の旦那の弟の名前が、実は、私の弟、母の唯一の息子の名前と同じだったのです。
要するに、最愛の息子に、前の夫の弟の名前を付けたのです。母は…。
そして、唯一その子を、溺愛したのです…。
しかし、たった一人の息子にも最後は、引き取っても貰えずに悔しい思いを残したまま、私に看取られて波乱万丈の一生を閉じました…。
でも、母親の生き方は、やっぱり収支はきっちり合っていたのだと思っています。
一番愛した息子は、父親の面倒も、母親の面倒も見ずに、長男の役目を果たさず仕舞い…。
それもこれも、母親が納得ずくで、父親に仕返した人生ですが、その分、きっちり天(神)に仕返しされたのです…。
私は、それでも、きっと、母は後悔していないと信じておりますが…。
そんな母親の生き様から、私は、名前の持つ不思議というか、怖さというか、威力に引き寄せられていったのでした…。
名前を安易に付けたり、疎かにしてはいけないというコトを…。
そして、自分の名前こそ、その人間の生きる指針を表していると、
確信したのでした…。
また、父親の前の亡き奥さんの強い怨念も、私の「三宅家」を覆っているというコトも…。
それが、私が、あの世の存在や、あの世の霊や魂を信じる、確固たる証になっているのです。
いうなれば、父の前の奥さんが教えてくれたともいえるのです。
この世では、良いコトや悪いコトとを、善悪で区別しますが、
あの世では、善悪なんてないので、
この世の出来事も、自分の意識や意志で、善悪を付けなければ、
良いコトや悪いコトも全く無いに等しい、いえ、何も無いです。
だから、母親のお蔭で、
名前の大切さに気付かせて貰い、今の「姓名本質リーディング」があり、
父の前の奥さんのお蔭で、
霊や魂があると信じさせて貰い、今の「潜在意識の直観心理カウンセリング」が
あります…。
本当に感謝しています。
今年は、ひつじ年で、母親の干支なのです。
そのひつじ年の念頭に、母親のコトや父親の前の奥さんのコトを、
ブログで書けるようになった自分に、
ちょっと驚いております。
かつては、心の奥底で、母親を責める自分が、常におりました。
父親が可哀そう、という気持ちが強く、その裏返しで母親が悪いと…。
それが、根底から覆されたのが、母親に関する「名前」だったのです…。
夫婦のコトは、夫婦にしかわかりませんが、わからないながらも、
何か、原因となる片鱗は、日々の生活の中で、出来事の中で、環境の中で、
見え隠れしているものです。
それに気づけるかどうか…。
私は、じぶんが離婚して始めて、母親の哀しみから、その一片を、
気づくことができましたが、
全貌を知ったのは、母親が亡くなってから、でした。
謝りたいときには、すでに母はこの世にはいない…。
本当に、申し訳ない気持ちで一杯です。
と、同時に、母親への愛がとっても感じられるようになりました…。
本当に、産んでくれてありがとう。
感謝します。
そして、お名前で苦しんでいる人や、心の悩みで苦しんでいる人に、
私のカウンセリングを受けていただきたいと
心から願っております。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。