直観ひとりごと(143)「カンブリア宮殿」の「さすらいの眼科医服部匡志」に感動感激感謝!
この(143)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(143)
◆「カンブリア宮殿」の「さすらいの眼科医服部匡志」に感動感激感謝!
この「直観ひとりごと」のブログも、今回で、200回を数えることになりました。記念すべき200回目なので、どうしてもプラスの情報を書きたくて、なかなか書く事ができませんでした。
でも、やっと、心から感動を与えて頂いた情報に巡り会えましたので、ここに書かせて頂くことにいたしました。
それは奇しくも、私が疑問や批判をしている、「医療界」のお医者さんで、眼科医の服部匡志(ただし)という方です。でも、普通のお医者さんではなくて、彼はフリーランスのお医者さんで、テレビ東京の番組「カンブリア宮殿」のタイトルでは「さすらいの眼科医」と呼ばれています。
多くの人々を失明から救う さすらいの眼科医 016/05/19(木)22:00
私は、医療の中では、一番、眼科が難しいのでは? と思いっています。だから、服部匡志医師が「赤ひげ」のような、人から尊敬される方が
「眼科医」というのは、やっぱりと一人感慨に耽りながら、涙とともに拝見させて頂きました。
この世知辛い日本の世の中で、そしてエリート層でもある「医師」の中に、「聖人君子」と見まがうお方がおられたなんて…。彼は患者さんから、「神の手」と言われることを「潔し」とされていないのですが、普通、人間は、自分の仕事や職業に対して称賛されるのを厭う人は、皆無に等しいと、思っていましたが、彼は違っておりました…。それも、私にとっては、「意外」で大きな驚きでもありました…。
テレビやマスコミに出る医者等は、私はあまり信用しておりません。「テレビに出る暇があったら、一人でも多くの患者さんを助けてあげたらいいのに」、という思いで、昨今のタレント化した「有名医師」を斜め目線で苦々しく眺めておりました。
功績を紹介するドキュメントに取り上げられるのは「良し」ですが、巷のバラエティー番組と見まがうようなお茶の間番組に出て、「壁の花」と化す医者達には、「この人達は一体、何の為にテレビに出ているのか?」と甚だ疑問を持っておりました。
医者が大学から製造生産され、世の中に、ドンドン排出されながら、一向に、病気や病人が無くならないのは、なぜ? そして、殆どの医者は高給取りで、贅沢な暮らしをしているのは、なぜ? そんなに、医者って儲かるのですか?
まあ、批判はこれくらいにして、そんな医師業界の中で、もの凄い「お医者さん」が服部匡志という方でした…。それも私が、医者の中でも「眼科医」は特別と感じるその眼科医の中に、その超~尊敬に値するお方がおられたのでした…。彼は知る人ぞ知る人物で、知らなかったのは「私」だけか…。(トホホ)
私が、内科でもなく、脳外科でもなく、眼科が一番難しいと感じるのは、「目の光」とは、人間の体の中で唯一、形のないもので、目には「魂」が宿るからと信じているからかもしれません。だから、目は「神」の境域を表わす場所で、目の光とは、神が鎮座まします「神籬」や「磐座」など、神の「依り代」ではないでしょうか?
「目」に「童」と書いて、「瞳」というのも、「童」とは、「神」の領域を行き来できる、「魂」を忘れていない人間だから、と思っています。
でも、今回、神の「化身」のようなお方は、ホント、見るからに庶民的で、エリート人間には程遠い、温か~い感じの人でした…。そこが彼の「凄さ」なのでしょう。「真の人間」とは、聖人君子とは程遠い雰囲気を漂わしているのですね~。大阪のどこにでもいる「気さくなおっちゃん」という感じ。リコゲぶっている白衣を纏った善人には、「真の人間」はいないのでしょう…。
今回、カンブリア宮殿を拝見して、私自身も「ポスト服部匡志」を目指しながら、ルームに来られる相談者様にも「ポスト服部匡志」を目指して頂きたくて、自分の体の中に、新たな闘志がみなぎっていくのを実感しております。
そして、自分の「使命」を再認識して、私なりの人生を全うしたく、精進、精進させて頂きたいと念じます。
また、私たちは、官僚や公務員は、自分の手で選ぶコトはできませんが、唯一、政治家だけは、国民が選ぶことのできる制度です。ということは、私たちが選ぶ基準にすべき一番重要な点は、その人間が、何らかの「障害」や、過酷な「環境」や、劣悪な「挫折」に関係するかどうか、を基準にすべきなのですね。
そして必須の条件は、その人が金銭的に「無欲」な人かどうか? 総理大臣は? 東京都知事は? 国家公務員は? 地方公務員は? それらを強く意識すれば、自ずから、投票する人や、選ぶ人が選別できるのではないでしょうか?
国や企業の低下は、国民の低下にほかならないのです。私達は、選ぶ人にも注意を要しますが、それよりも何よりも、自分自身が、「ポスト服部匡志」の生き方を目指さないと、この国は決して、良くならないのです。自分自身が、模範となるべきが、人間として生まれてきた「使命」なのでしょう。
私は、まずは金銭的欲望から「無欲」になりたいと願っていますが、でも、やっぱり「お金」を儲けて、自分の希望を叶えたいという思いもあり、ちょっと、悩むとこではありますが、「足るを知る」を肝に命じて、「服部匡志氏の爪を垢を煎じて飲む」覚悟で、進んでまいります。
こういう模範となるべき人の特集は、ドンドンテレビで放送して頂きたいと念じてやみません。ありがとうございました。それが、民放がNHKに勝てるスベかと存じます。無料の放送は何よりも、庶民にとっては、貴重なのですから…。
それが、彷徨える多くの日本人にとってのお手本となり、希望となるでしょう。人間、死ぬまで、人生の成功か、不成功かは、わかりません。不成功と諦めた時が、実際の敗者となるのです。その断を下すのは、紛れもなく自分の「魂」なのでしょう。
自分の「魂」が喜ぶ、真の生き方を、死ぬ間際まで、求めて続けましょう。それは、次の世での「魂」が生きる世界を意味するのですから…。