直観ひとりごと(42)日系アメリカ人尊厳の世界~GAMANの芸術!
この(42)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(42)
◆日系アメリカ人尊厳の世界~GAMANの芸術!過酷な環境になればなるほど…。
今日は、日系アメリカ人がテーマです。
涙、涙、涙なくしては、見られない、そして、日本人の誇りをありがとう、というお話です。
日本人の誇りといっても、NHKのテレビ番組「クローズアップ現代」のお話ですが…。
いまでは、日本にはこう言う崇高な人はいない。
日本でも虐げられ、それゆえ国外へ出て行った人たちだからこそ、忍耐の精神があったのです。
今の日本人とは、もう人種や、民族が違うのです。
失ったものの大切さに身震い致します。
THE ART OF GAMAN=「我慢の芸術」は、第二次大戦の最中にゴミや木切れなどから作られた日用品が並ぶ異色の展覧会。
「GAMAN(我慢)の芸術~日系アメリカ人 尊厳の世界~」
いま、アメリカ・スミソニアン博物館で開かれている『THE ART OF GAMAN』=”我慢の芸術”。第二次大戦さなかにゴミや木切れなどから作られた日用品が並ぶ異色の展覧会だ。作者は強制収容所で不自由な生活を強いられていた日系アメリカ人たち。不安と苦悩の日々を乗り切るために作られた杖やブローチ、表札、置物などは、収容所という過酷な環境とは思えない精巧なデザインに加え、“生への強烈な意思”が込められている。いったい、収容所の日系アメリカ人たちはどんな思いで作品作りあげたのか。50年の時を経てガレージや倉庫から作品が次々とみつかっている理由とは何なのか。極限の状況下でも、日系アメリカ人たちが決して失うことのなかった、人間の「尊厳」に迫る。
私は、今回の番組は、絶対、義務教育の教材にすべきと、痛感しました。
日本人って、心が震えるほど、誇りと尊厳に生きる民族だったなんて…。
そんじょそこらの安っぽい我慢なんかではないのですね。
今の日本人は、収容所に入れられなくても、差別、差別と不平不満をいって、傍若無人に振る舞う人種、民族が多い中、少しはこういう方たちの爪の垢を飲んで欲しい限りですが…。
そのテレビ番組の内容ですが、日本の真珠湾攻撃の後、日系人というだけで、殆どの人が、財産を没収されて収容所へ送られた。
そして、何も無い、あるのはただ絶望あるのみの中から、その極限な過酷さに耐えるために、黙々と、モノを作り続けた…
それは生活のために、生きるために。 決して、後世に残る芸術品をつくるためにではない!
そして、その貴重な作品が、戦後、始めて、孫たちとも言える日系人と、その収容所を作ったアメリカ人たちによって、スミソニアン博物館で展示された…。
そういう、日系アメリカ人のお話です。
その絶望と我慢が、大きな大きな実を結すび、芸術の領域まで昇華されたのですね。
日本人には芸術品はいらない、人間に役だつ工芸品があれば…。
人間の自己満足だけでは、生きられない、それほど過酷な環境のなかででもより使いやすく、シンプルに、という目線で出来たモノには、全人類にとって、永遠の価値があるのでしょう。
なぜ、見る者に涙を誘ううほどの感動を与えるかというと、彼らは、世間に出てからも、一切、不平不満は言わず、作品も一切見せずにいたという、その信じられないほどの、潔い、気高い、姿勢にあるのですね。
その理由は、自分たちの子どもがアメリカの社会に溶け込むように、反感を持たないように、持たれないようにという、信じられないような配慮をしながら生きたのです。
彼ら、日系人こそ、神の国の人…。真の日本人…。
その彼らが、日本人を捨て、日本国を捨て、日本人の誇りだけで生き抜いたのです。
しかし、精神は誇りある日本人ですが、現実は、立派なアメリカ人として…。
そして、祖国日本を敵国として闘ったのです。真のアメリカ人として…。
そして、その尊厳の生きざまが、虐げた側のアメリカ人に、感動を与えるのです。
番組の中では、日系の娘さんは、両親たちが収容所の話を楽しそうにするので、そんなに楽しいところなら自分も入りたかったと、ずっと両親のする話を信じていたそうです。
両親は、決して、不平不満を言わず、楽しい話しかしなかったからと…。
しかし、両親が亡くなってから、それらの作品が見つかって、なぜ、自分に見せてくれなかったのか、隠していたのか、理解ができず…。
今回、番組の取材に参加して、遠い収容所を訪れて、始めて、その過酷さにヒシヒシと涙が込みあげてきて…。
花束の作品の材料になる貝殻は、土の中、深くに埋まっていた、かなり掘らないと手には入らないことを知って…。
なぜ、両親はその作品を封印したのか、しなければ生きられなかったのかを…。
余りの過酷さに、思い出すことを拒否するために…。
極限になると、不平不満も、言葉にならないのではないでしょうか。人間って…。
言葉とは、そういうモノではないでしょうか。
言葉とは、神の領域に存在する、宇宙のエネルギーだから…。
私は、極貧の中から、あんなに素晴らしい作品が生まれるなんて、もう涙なしではテレビを見れませんでした…。
徹底的に敵国の囚人として扱われた人たちがこれほどまでに、崇高な作品を作れるとは…。
何も無いところから…。豊かな感性だけで…。
尊厳がなければ、決して生まれなかった芸術品です。
やっぱり、彼らこそ真の日本人!
祖国を捨てたけれど、立派な日本人!
人種、民族問題って、神(宇宙)の領域の問題なのでは、ないでしょうか?
神(宇宙)の領域には、本当はそういう問題はないのですね。
だから、人間知で、世の中の現象だけで、判断してはいけないのでしょうね。
そして、最も重要なのは、どんな過酷な状況で虐げられても、その人本人の意識の問題なのですね。
意識がどういう風に考えるか、思うか、感じるか…。
常に、神との対話をしないといけないのですね。
神との対話とは、結局、自分の中にある神との対話なのですね。
それを、やり続けたのが、日系人の尊厳として私たちに感動を与えるのでしょね。
そして、そういう、誇り高き血が、私たち日本人に流れているということに、感動を通り越し、魂がフツフツと痛みました…。
彼らが、今の日本を見たら、一体、どういう思いをするでしょうか?
きっと、神に委ねているのでしょうね~。
日本を捨てるという行為は、日本でも差別や迫害にあっていた日本人だったかもしれません。
祖国を捨てるということは、やぱり、祖国では生きにくかったということでしょうから…。
そして、希望をもって渡ったアメリカでも、やっと軌道に乗るという矢先に、日本の真珠湾攻撃で、すべてを無にされた…。
そして、アメリカに、想像を絶する過酷な環境に貶められて…。
でも、誇りある彼ら、日系人たちは、きっと、祖国日本を恨んでいないでしょうし、第二の祖国アメリカも、決して恨んではいないでしょう。
二国に対しての、愛国心のみ、でしょう。
彼らは、どちらの国に対しても、憎国心なんて、決して持たなかったでしょう
恨みや憎悪は、神から人間として見放される行為なのですね。
やっぱり、やっぱり、神の国に住む人たちなのですね。
国が何をしてくれたか、国に何をされたか、ではないのですね。
自分たちの精神が、国ではなく、神に全部を委ねたのですね。
大切なのは、自分の精神、いえ、良心なのですね。
もう、国は、この世では、この地球では、必要ないかもしれませんね。
拘る人はもういらないのかもしれません。
あるがままに…。
でも、現に存続する現在は、一国民の生きる道は、やっぱり、今いる国で、今いる土地で、今喋っている言葉で、それに対して、忠誠を誓わないと、人間としての誇りも尊厳も捨てたことと同じになるのではないでしょうか。
それには、愛国心が、不可欠なのでしょう。
生きている私たち、日本人が命がけで、この国を守らなければ、日本人として、生きる資格はないのではないでしょうか。
過酷な環境になればなるほど、人間としての本質が現れるのです。
日系アメリカ人の殆どは、もう日本語を話せない人ばかりのようですね。
誇りと尊厳は捨てなかったけれど、100%アメリカ人として生きるために、生きる覚悟で、日本語を捨てたのでしょうね。
英語(米語)の言葉を使用するためには、祖国と戸籍、そして、母国語まで捨てて、きっちり、覚悟して、アメリカ人になりきった…。
なんという潔さ、尊厳の証でしょうか。
日本人でありながら日本を恨み憎悪する人たちに、「GAMAN(我慢)の芸術~日系アメリカ人 尊厳の世界~」の日本人の毅然とした生きざまを、是非、知ってほしい。
そうすれば、きっと、意識が変わる?
同じ日本語を話す、日本人だから…。
そうすれば、日本も変われるのです。
憎悪からは、何の芸術も、発展も、繁栄も生まれません。
一生、精神は無国籍のように、彷徨うのです。
この世での生きざまがあの世で審判されるのです…。
私たち日本人も、潔く、覚悟して、神に委ねることにいたさねば!
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。