直観ひとりごと(249)関西出身の優勝力士徳勝龍の「自分なんかがいいんでしょうか」に感動!
この(249)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直感ひとりごと(249)
◆関西出身の優勝力士徳勝龍の「自分なんかがいいんでしょうか」に感動!
大相撲の初場所は、正月気分が抜けきれなかったのか、二横綱が休場で、精彩を欠いていながら、終わってみれば、やっぱり、「幕尻」徳勝龍が初優勝!
上の者よりも、下の者が活躍するのは、やはり令和時代にはふさわしい?
下剋上の時代というよりも、今の時代は、上になる人は、昔とは違い、それほど、責任感にも、使命感にも乏しいということでしょうか?
だからなのか、初場所の優勝者の徳勝龍は、「幕尻」の力士だそうです。
だから、あの「自分なんかがいいんでしょうか」というセリフが出たのでしょうか…。
この言葉は、関西人ならではのセリフでしょうね~。
関東人ならばきっと、これを、卑下と受け取るでしょうが、これは決して、卑下なんかではなく、強いていえば、謙虚さからくるセリフでは…。
でも、卑下と謙虚は、似て非なるモノ。
徳勝龍からは、卑下慢の卑屈さは全く感じられないのです。
あのセリフを聞いた人々は、ほのぼのとした雰囲気に、思わず笑みがこぼれたはず…。
「幕尻」とは、「幕内の最下位。前頭の末尾の地位。また、その力士。」
要するに、幕内で最も下位の番付だそうで、幕尻力士の優勝は、平成12年春場所の貴闘力以来で20年ぶりだそうな…。
また、徳勝龍の33歳5ヶ月での初優勝は、年6場所制が定着した昭和33年以降では旭天鵬、玉鷲に次ぐ3番目の年長記録だそうな…。
さらに、奈良県出身力士の優勝は大正11年春場所の鶴ヶ浜以来98年ぶりだそうな…。
私は関西人なので、関西人の力士が優勝されるのは、メッチャ、嬉しい~、です。
また、徳勝龍の優勝時のインタビューでは、場所中に優勝を意識したかというアナウンサーの質問に対しても「意識することなく取り組んだ」と言ったあと、直ぐに、「それはウソで意識した。優勝インタビューの練習をしていた」と冗談をまじえて答えました。
これには、聴いていた人々の間からも、微笑ましい笑いが起っていました。
それは、正に、関西人の、本音を言わないと、何か、申し訳ないというか…。ウソがつけない、いえ、建前で答えられない、いえ、綺麗ごとですませられないというような、サービス精神旺盛な、関西人気質が垣間見えて、何となく、こちらまで、苦笑してしまいました。
きっと、他の地方の人であれば、彼の気持ちは、あまり理解できないでしょうね~。
関西人は、とかく、その特徴ある言動で、誤解されやすいのですが、それは、その場の空気を和ませたい、ゆるめたい、リラックスしてほしいという、サービス精神旺盛のあまりの、表れなのではないでしょうか?
それが、お笑いの文化として、「漫才文化」に繋がっていったのでしょうか。
オチを言うというのも、自分を茶化して、和を和ませるという、意識の表れかも…。
それが高じて、下品になったり、相手を叩いたり、ドタバタに走り過ぎたりして、私のような関西人でも、見ていても、若干見苦しい感じはありますが、それでも、演じている彼らはちっとも悪意はないのですね。
でも、やはり、あの独特な関西弁に眉をひそめる、関東の人々もおられます。いえ、本当は、関西の人も多いのです…。
ここは、やはり、誰が聞いても、ほほえましいと思われるには、関西人は、もう少し、「上品」を意識することが、必要かと感じます。
そして、関東人には。ユーモアをもう少し、取り入れて、建て前よりも「本音」で喋るということも、必要かと感じます。
そうすれば、同じ日本人、もっと、意思の疎通を交わせるのではないでしょうか。
今回の、徳勝龍の謙虚な言葉を聞いて、本当に、彼は性格が良い、関西人としての模範人間だなあとイタク感じた次第です。
やはり、卑下と受け取られるか、謙虚と受け取られるかは、その人の「人がら」や「人格」次第だと、つくづく感じます…。
その「人がら」や「人格」を、磨くことに、私たち、現代人は、もう少し、ひと昔前の日本人に焦点を当てるのもいいのではないでしょうか?
ありがとうございました。