直観ひとりごと(22)言霊の〈水〉と〈火〉は…。
この(22)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(22)
◆言霊の〈水〉と〈火〉は…。
今日は、言霊のお話です。
専門家ではありませんので、ごくごく簡単な、素直に感じた疑問を書きますね。私は漢字以前に日本にカナがあったと信じていますし、それが日本語のもとになったと思っています。
昔から色々な人が、言霊では、色々なことを打ち立てておられますので、一体、誰を、どれを信じていいのか、こんがらがってしまいます。
でも、よ~く、調べていくと、大勢の学説も、その源は、数人の人が広めたことを基にしているように感じます。霊的と言われる人も、人の真似だったりして…。
だから、私は、オリジナルな説に魅力を感じます。でも、だれが言ったかわからない言い伝えや伝承等にこそ、本当は真理を告げているのかもしれません。
言霊では、「水の霊」とか「火の霊」とか「水火の霊」なんて出てきます。「水」は縦、「火」は横をあらわすと書かれていますが、これが全く解せない。
水は横で、火は縦ではないのか? 水の水面は横だし、ろうそくやマッチの火は縦に上ります。でも、よくよく、調べてみると、水は最初は雨となって天から降ってくるし、水蒸気となって天高く昇っていくと。
また、火は、山火事などは、横に走る。家の火事なども、横に火が廻ると。でもやっぱり、これって、納得できないのです。陰極まれば陽になる、かもしれないが、まだ極まってもいない時に、水は縦、火は横、では何かおかしい。要は腑に落ちないのだ。いくら偉い人に説得されても、無理なのだ。きっと、これは、「天」からの見方と、「地球」からの見方によって、変わるのでは?だったら、やはり人間が応用、活用できる「地球」からの見方が重要なのでは?
さらに、火水を「カミ」と言ったり、水火を「いき」と言ったり、五十音だったり、七十五音だったり、四十八音だったり、「ス声」が大事といったり、いや「ウ声」だ、いや「ア行」だ、いや「は行」だと。もういい加減うんざり! と言いたいのですが…。
まるで心理学と同じ…。皆さんは、一つや二つの説で満足されるのでしょうか? 本当に信じられるのでしょうか? 自分の魂、というか霊というか、細胞が認められない。もちろん、本質も納得しない。
やっぱり、「地球」からの見方で、わたしは水は、横をあらわすと思うし、火は縦をあらわすと思うのです。手ですくうと横に平らだし、マッチで火を付けると縦にのびる…。しかし、この水と火という二元論も、何かおかしいような…。
水や火だけではないように感じるのですね。水はわかるが火は、解せない。
なぜなら、人間は水がなければ10分も生きていけないが、火がなくとも当分は生きていける。まして、水は最初からこの世にあるが、火はない。日はあるが、火は人間が起こさなければ、自然にはないのです、あるのは山火事くらい。ならば、火に変わるのは何かと聞かれれば、気(空気)でしょうか? あるいは、風?でもこの「空気」という言い方も、おかしいのです。
気は空(なにもなし)なんかではなく、充満しているのです、何かが…。日本には、無の概念やゼロの概念がなかったような気がしますが…。昔昔は…。物質文明に影響された中国やインドの影響でしょう。勘で生きていた日本の人々の思想ではないような…。偽物といわれたり、偽本といわれるもののなかに真理が埋もれているような…。やっぱり、真実は、自分の本質が納得するか、腑に落ちるか、肝にすわるか。
ここでちょっと質問です。肝とは、腹の事ですが、なぜ、昔の武士は、腹を切ったのでしょうか? 一発で死に至る方法なら、喉か心臓でしょうが。女性は喉をさしますが…。なぜ、切腹なのでしょう。男は…。この世で生きるのは、やっぱり、男の一番大事な場所は、腹なのでは。肝とか丹田とか腑とか。
私は、疑問を持ったときは、この腹がすわらないのです。気持が悪い。そして、だんだん腰が痛くなる。いろいろ、調べると、言霊でも、違う系統のものがあって、面白い。疑問を持つと、次から次へと知らなかった説へとたどりつくことができる。新しいことを勉強するのもいいけれど、古いことをもう少し、じっくり、勉強するのも、新しいことが発見できるし、この宇宙の仕組みがわかったりして、いいものです。
「温故知新」。
それが、古いインドやチベットなどの言い伝えと同じだったりすると、地球はつながっていると。また、古いヨーロッパの神話と似ていたりすると、これもやっぱり、なんて感心させられます。というわけで、昔の文献は正しいとは決して言えないし、間違いとも断言できない。
要は、自分が腑に落ちるか、落ちないか、自分自身がハカリ、目安、アンテナ、センサー。そのためにも、自分の本質を「素(ス)」に保つことが、大切です。大阪では、うどんは「スうどん」に限ると、通の人はいいますが…。「ス」ってだいじなんですね。
素・基・元・旧・源・本・許…。そして、あとは、自分をアンテナとして、天に聞けばいいのです。神帰る(考える)。そうすれば、感じることができますね。えっ、結局、水と火はどうなったか。すみません。
それは、水も火も、縦でも横でもない。そんなことはどっちでもいいのだ。ということでしょうか。
水は水、火は火、この地球上ではそれでいいのでは? あの世では、また別の本質が見えるでしょう。きっと。物事をあまり、複雑にひねくりまわさないほうがいいのでは? 物事は、感じたまま感じるのがいいのでしょうか。頭で考えるとロクなことはない。考えるとは神帰る、なかなか実行できません。
余談ですが、「カゴメ歌」の意味も色々あって面白い。わらべ歌でも、解明できないのに、言霊が解明できるわけがない。うしろの正面、だ~れ。うしろの正面てなんのこと?つるとかめがすべったってどういうこと? 「よあけのばん」っていつのことで、どういうこと。私は小さい時、これで悩んで、ちょっと、体の具合が悪くなりました。今でも、謎が解けません。色々な人が色んなことを言いますが…。解けたと思っている人、本当にそうでしょうか。
こんなことを考えるのは、バカげているでしょうか…。バカが多いほうが生き良い世の中ですよ。ね。「よあけのばん」が目の前までせまっていますよ。その前に、火と水が解ければいいのですが…。死ぬまで追求、でしょうか…。
結局、もっと、重要なことは、人間智で、この「水火」を考えてはいけいないような…。なんかそういう感じがいたします。だから、理解できないと思ってしまうのでしょうか…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。