直観ひとりごと(173)相撲界の運命を握る評議員会議長 池坊保子氏の「本質」とは?
この(173)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(173)
◆相撲界の運命を握る評議員会議長 池坊保子氏の「本質」とは?
昨日(28日)貴乃花親方の処分が日本相撲協会の臨時理事会で検討されました。
今回の「日馬富士暴行事件」の「本質」からすると、「被害者」側の貴乃花親方なのに、「加害者」側の伊勢ケ浜親方の処分よりも重いのは、なぜ? 「加害者」側の白鵬の宮城野親方や、鶴竜の井筒親方たちには何のお咎めもないと言う…。「加害者」側の親方たちの監督責任を、なぜ、相撲協会は、問わない?
でも、こういう理不尽な処分だったからこそ、やはり、「被害者」側の貴乃花親方は、それを見越し、察知して、一連の行動に及んだのでしょう。もしも、相撲協会が全うな「組織」であれば、何も、警察に駆け込んだりは、しなかった筈…。責任は、一体、どちら?
貴乃花親方に批判的な人々は、よく、もう少し違うやり方があったのでは? とおっしゃいますが、ならば、どういうやり方なのか? それを明確に言わないと、批判する資格なんて、全く、無い? 一体、どんな方法ですか? はっきり、答えてほしい? 公平に答えられる人は、八代弁護士くらいでしょうが、彼は批判者では、無い…。
この事実から、一体、どういう選択肢の解決方法があるのか? 机上の空論も、いい加減にしてほしい。「建て前」だけで無責任にモノを言うのは簡単です。企画やデザインでも、それを批判や否定するには、プロであれば、5~10案の代案を提案しないといけないのです。批判するだけでは、幼児や子供でもできるのです。そんな子供らと相撲協会は全く同じ、貴乃花親方が嫌い、だから…。
それほど、外部の「警察」を頼りにしないといけないほど、警察に届け出て公にしないといけないほど、また、相撲協会にはすんなりと報告できないほどの「闇」があったということの「証し」となった、今回の処分提案でした…。
もしも、今回、相撲協会が、貴乃花親方に何のお咎めも無しという処分であれば、反対に、貴乃花親方のとった一連の行為は、却って、彼自身に非があり、全くの個人プレイであり、売名行為であり、背信行為と受け取られても仕方がないと思うのですが、今回の臨時理事会の「全員一致」という発表に、やっぱり「談合」や「口封じ」が存在する、という思いが湧いてしまい、パラドックスの極みだったような…。
日本の「組織」って、ホント、恐い! 「伝統ある組織」って、ホント、恐い!
「暴力事件」が起きても、警察よりも、相撲協会に届けなかったという行為だけで、「罪」になるなんて…。協会が一丸となっての結束は、まるで、「イジメ」社会を垣間見ているよう…。組織という組織、テレビ局も、新聞業界も、恐い! ひょっとして、貴乃花親方の存在なんて、組織が一丸となれば、吹けばぶっ飛ぶ!
それも、たった一人の横綱の横暴を隠蔽するために、組織ぐるみで、一丸となって…。日本の伝統は、もう廃れたのか? だったら、もう「ちょんまげ」や「褌」などは破棄して、モンゴル相撲を取り入れればいい?
今回の事件の「本質」は、貴の岩が「私は、(ガチンコ)で白鵬に勝った。もう(八百長)のあなたたちの時代は終わった」と言ったそうで、相撲協会とマスコミが、「ガチンコ」と「八百長」という言葉を消したそうな…。これが事実であれば、すんなりと辻褄が合い、有り得る話だと感じますが…。
貴の岩が白鵬にガチンコで勝ったことにより、稀勢の里の日本人横綱が誕生したのだから、モンゴル力士の頂点に立つ白鵬としては、捨て置けなかったのでは? 白鵬自体が、日本の伝統的な大相撲を変えたいという妄想に突き進んでいるような感じがしますが、それでも「貴乃花」一人が「悪」でしょうか…。
そんな「悪」の連中が、一丸となって、裁くのだから、貴乃花を「悪」にしないと収まらない。そうでないと、放っておけば、自分たちが「悪」であるということが益々露見するのだから、今回の処分は、理事たち全員と関係者全員の総意に基づく…。
「悪」が「悪」を裁けるのか? いえ、「悪」に逆らったのだから、貴乃花親方の行為は「善」なので、すると、「悪」は「善」を裁けるのか?
なにはともあれ、今回は、これで決着とはいかず、来年の評議員会の決定に持ち越されたそうで、それはとりもなおさず、その議長である池坊保子氏に委ねられるそうです。これって、ナンカ、変?
なぜ、男社会の相撲界の「組織」のトップが、女性? 日本って、ホント、不思議です。
政界でも、法務大臣や防衛大臣に、わざわざ、女性の政治家を選ぶのと同じ、心理? 男の狡さ、セコさが垣間見える…。それに輪をかけて、シャシャリ出る女性は、男を牛耳ったように錯覚するが、本当は、男の手の平で踊らされているだけなのにも、トント、ご存知ない!
本当の黒幕って、絶対、表には出ない…。だから、評議員会も本当の力のある人物は、池坊保子氏の外に、別にいる?
しかし、この池坊保子氏が、今年いろいろ世間を騒がせた女性の中では、最後の女性にふさわしく(?)、とっても権力的で、威圧的で、エリート意識に凝り固まった波動で、男性もブッ飛びそうなくらい、トリを飾るにはぴったしカンカン。
というワケで、前振りが長くなりましたが、その話題の池坊保子氏の「本質」に迫ってみたいと存じます。
池坊保子氏をテレビで見て、彼女に好感を抱く男性も、女性も、余りいないのでは? 特に、女性の中では、嫌悪感を覚える人も多いでしょう。
私は、池坊保子氏を見ていると、まるで、彼女の「魂」が泣き叫んでいるような感じがして、とっても、痛々しくて、見ていられないのです。
その強烈な思いを隠すために、日々、池坊氏が生きている意味や行為があるのでしょうか…。
池坊氏の外の顔には、権力的で、威圧的で、エリート意識に凝り固まった波動が渦巻く…。そうしないと生きていけない、認めて貰えないという波動が垣間見えるからこそ、痛々しいのです。こんなに、権力的で威圧的な波動の女性は珍しいのですが、その奥に潜む「闇」がいかに深いかが想像できる…。
こんな見かけのキツイ(?)女性の夫の顔が見たいと思いきや、これが、日本を代表する華道界の池坊専永氏。
夫婦は相似ると申します。それは、夫が妻を育て、妻も夫を育てるのだから…。本来ならば、男性的な夫ならば、妻はより女性的になるはずですが、妻が男性的であればあるほど、夫は妻には頭が上がらず、女性的になるようです。
ならば、専永氏は、女性的な、お方なのか? 世間的にいくら立派な身分でも、自分の女房も抑えられないような男性が、精神的にも立派であるはずなどない、のでは? 男は女で決まり、女も男で決まる。支えている男性がこんなでは、日本の伝統文化も、蓋を開けてみれば、本当のところは…。
先日亡くなられた野村沙知代氏も、同じような、押しの強い方でしたが、しかし、沙知代氏の波動と、池坊保子氏の波動とは、似て非なるモノなのですね。要するに、夫に愛されているか、いないかの違い? やっぱり、強く見えても、良くも悪くも女の人生を100%生き切った沙知代氏と、女性の人生を生きられなかった池坊氏の、「幸せ度」の差というか…。
池坊保子氏の出が、華族か皇族か知りませんが、また、親戚に皇室の方がいるらしいですが、そんなコトは、ちっとも今世の人間の「本質」とは関係ないのです。
きっと、自分自身の根幹的な、依って立つ「モノ」には、全く「自信」がないために、自分以外の環境、つまり、血脈や、婚家の家柄や、交流関係などの外的要因によって、辛うじて、というか、虚勢を張るために、嫌な波動を醸し出すのでしょう。
この傾向は、安倍首相の妻である安倍昭恵氏によく似た現象ですが、ただ、昭恵氏の場合は「女性性」が強く、池坊氏は「男性性」が強くなるような感じがします。それは、男性に愛されたかどうか、だけの違い?
どちらも、女性として容姿には「自信」がなく、かと言って、特に、頭が良いというワケでもなく、肉体的にも、精神的にも、能力的にも、依って立つべき「自分」という「自信」がない。エリート意識を持たねばならない環境にいながら、それらは全く自分の「本質」ではないのです。決して自分には「自信」など無いと感じているのです。潜在意識においては…。
結局、自分の生れ出た「家柄」以外は、何も無い、いえ、無かったと、そのギャップには計りしれない「劣等感」がある…。エリート意識はあるが、それと比例して、いえ、それ以上にコンプレックスもある。立派過ぎる環境だからこそ、劣等感も、尋常ではない。それは、潜在意識には「闇」となって深く重く沈殿される…。
それを、克服するのは、並大抵ではなく、尋常な精神には程遠い。だから、せめて、「結婚」で箔を付けるしかなかったのでは?
その結婚が、期待に反していたら…。政略結婚で、もしも、愛が無いとなれば…。
しかし、いくら、結婚に期待しても、結婚に愛があっても、それは、自分の「本質」ではないのです。まして、その結婚に愛が無ければ、一体、何をスベに、何を糧に、生きればいいのでしょう。妻? 子供? 嫁? ひとりの人間として? 誰に対して、認めて貰いたい?
ゆえに、様々な組織の役職に付いて、自分を「誇示」するのですが、人間的な「精神」はますます荒廃していく…。要するに、自分が一番、自分のことを認めていない、許せないのでは? 依って立つ「モノ」が無い「自分」に…。数々の組織の役員になったところで、また、政治家になったところで、ちっとも、「本質」は満足しない? いえ、反比例して、益々、「魂」はイラ立つ!
池坊保子氏の行為は、女性の立場で日本船舶振興会の会長職についた作家の曽野綾子氏とは全く「重み」が違うと思います。曽野氏も権力的な女性には違いがないのですが、曽野氏はもともと、ご自分が「作家」という才能も実力もある才媛と自他ともに認められての抜擢なのでは?
要するに、本質的に「格」のレベルが違うのですね。曽野綾子氏には、わざわざギャンブルの競艇の会を引き受けるだけの、自分に対して何か、正統な「思惑」があったのでしょう…。因みに、私は、権力的な曽野氏にも、共感や、尊敬はできませんが…。
池坊保子氏のあまりの波動の荒さに、改めて、ネットで調べたら、出るは出るわ。その中でも、特に注目に値するのは、「1984年に雑誌『PENTHOUSE JAPAN」』にセミヌード写真を掲載」というのがあって、
これで一挙に「謎」が解けた感じがして、自分の直感が間違っていないと確信いたしました。やはり、想像した通りのお方なのでしょうね。40代で、セミヌード写真を公の雑誌に載せるなんて、ありえねぇ、冗談じゃねぇ、という感じなんですが、その写真を出すに至った、池坊氏の異常な心理とは、如何に?
これも、「自己顕示欲」の一つの表現でありますが、池坊氏にとっては、「存在」の確認なのかな? そういうことまでしないと、存在意義が、持てなかったのか? 何とも「哀れ」で「悲惨」ではありますが…。しかし、マスコミは飛びついた。自分を認めてくれた。たとえ、どんな方法であっても…。
この頃にはもう、夫婦仲は壊れていたのでしょうか? そうでないと、夫である池坊専永氏が許さないのでは? 顔に泥を塗ることになるのでは? 普通の夫でも烈火の如く怒るでしょうから、尚更、伝統的な華道の名門の妻ですよ。
うがった見方をすれば、夫に当てつけのため? ひょっとして、夫にもそれを押さえられない、何か疚しさがあった? 愛人がいるとか…。子供は一体、そういう母親をどう見ていたのでしょうか? 子供にとっても、悪い影響が及ぶのでは? 或いは、子供は母親に同情して、母親の味方なのか? 私は、こういう母親を持った、娘たちの人生が心配ですが…。
きっと、池坊保子氏は、女性としての「幸せ」も手に入らなかったのでは? 子供は手に入れたけれど、夫婦としても、仮面夫婦なのでは? ここが、昭恵夫人とは、違います。彼女は、子供はいないけれど、安倍首相からの愛はあるかな?
しかし、こういう波動の荒い、愛のない池坊氏が、いろいろな日本の組織の役員に関わっていること自体が、相撲協会の「闇」に一層拍車をかけていると思うと、何となく納得できないですね~。いえ、だからこそ、今の迷走する相撲協会には、納得できるのか?
池坊保子氏の「存在」は、日本のエリート層の「存在」でもある…。
池坊保子氏の「意識」は、日本のエリート層の「意識」でもある…。
私たち日本の国民や庶民は、大相撲の不祥事で、改めて、組織の「長」のレベルの低さに驚嘆するとともに、日本のエリート層ともいえる人々のレベルの低さも垣間見るコトができました。
今回、私が注目させられたのは、公益財団法人日本相撲協会評議員会議長という肩書の池坊保子氏の「本質」とその「闇」でした…。
ウィキペディアで検索すると、まあ、なんと立派な方なんでしょう、肩書だけは…。
その多さが、深い精神的な「闇」を現しているようで…。
しかし、その「精神」は、その「魂」は、その「本質」は…。
一生、泣き叫んでいるような…。
日本って、本当に、大丈夫?
日本人の代表ともいえる、エリート層って、大丈夫?
そろそろ、日本の国民や庶民は、気が付くべきトキにきたのでしょうか?
でないと、一緒に、人間として、神(?)から引導を渡されるやもしれませんが…。
今回、池坊保子氏がクローズアップされるのも、全くの偶然ではなく、必然でありましょう。
それは、そのエリート層を認める、日本人の「弱さ」でもありましょう。
その弱さの「意識」は、日本人の「神頼み」に通じる、外への依存です。
それが、アメリカであり、官僚であり、政治家であり、エリート層なのでしょう。
しかし、もうそろそろ、彼らに頼るのは間違いであることを気づかないと…。
頼りは、外にはなく、自分自身の「意識」の中にあり、それは「本質」を見つめること、なのでしょうね。
だから、私は、庶民の方々にたいして、一対一の「本質」のカウンセリングを、5時間掛けて、やり続けていく決心なのです。
これは、来年も変わりません。
池坊保子氏が、愛のある人生を生きられますように…。
お顔から、権力的な波動が消えますように…。
ありがとうございました。