直観ひとりごと(117)好きな帽子と嫌いな帽子からの気づき!
この(117)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(117)
◆好きな帽子と嫌いな帽子からの気づき!
今日は、生き物でないモノからの「気づき」というお話です。
ちょっとの気持ちの向け方が…。
以前に、社用で和歌山に行った折りに、帽子を電車の中に忘れてしまいました。
駅に着き、電車を降りて、改札を出て、だいぶ歩いてからわかったのですが…。
急いでいたので、そのまま目的地に行って要件を済ませました。
でも、その帽子はとても気に入っていた帽子で、10年以上も使用し、
どこに行くにも一緒だったのです。
見つからないと覚悟はしたのですが、
やっぱり諦めきれずに、帰りの駅で、
「帽子が落ちていなかったですか?」と駅員さんに聞くと、
何と、「拾って保管している」とのコト。
信じられない!
本当は、99%はダメでもともとと思っていたのですよ。
こんな有り難い(ありうべき)コトが起こるなんて!
なんと、ラッキーな!
本当に感謝、感謝、感謝!
話しはまだ続きます。
最近、もう少しつばの広い帽子がほしかったので、
新しく買い求めたのです。
ところが、その帽子は設計が悪いのか、どうもかぶり心地が良くないのです。
かといって、処分するのも、新しく買うのも勿体ないし…。
かぶるたびに、なんとなくイライラさせられる…。
ひょっとして、古い帽子の焼きもちなのか、
いえいえ、たかが帽子にそんな気持ち(意識)はあるまい。
でも、当分はこの新しい帽子で我慢するか、と諦めていた矢先、
お墓参りに行った折りに、帰りに喫茶店に入って席に座ったのですが、
その席が落ち着かなくて、他の席に移動したのです。
そして、しばらくして、店を出て、帽子がないのに気が付き、
慌てて店に取りに引返したら、もう帽子は跡形もなく消えていた、トホホ…。
最初の席でなのか、次の席でなのかわからないが、
まだ新しかったので、誰かがこっそり持ち帰ったのでしょう。
店員さんに聞いても、「しらない」との答え。
今回、帽子の話を書いたのには深い意味がありました。
古いというコトが「幸い」して戻ってきた帽子と
新しいコトが「災い」して無くなった帽子。
古いことが「良」に働き、新しいが「惡」に働いた…。
古いが「正」で、新しいが「負」だった…。
だから、モノコトには絶対という概念はないのでね~。
或るのは人間の固定概念だけ?
古い帽子が見つかったのも、新しい帽子が無くなったのも、
すべて、私の意識の成せるワザ、だったのですね。
私の深層にある心理(意識)であり、
それらは、まぎれもなく私の隠れたる希望だった?
だから、別に不思議でも偶然でもなんでもないのです。
なるべくしてなった出来事、だった…。
要するに、好きな帽子は、長い時間紛失しても見つかるべくして見つかるのです。
でも、嫌いな帽子は、短時間でも紛失してしまいもう決して見つからないのです。
これって、すべて私が望んだコトだったのです。
嫌いな帽子は、無くなってほしいという無意識の願望だった…。
でないと、それをずっと使い続けなければならないのです。
それには、苦痛が伴うのです。
でも、捨てるのも帽子に悪いと思っていたのです。
だったら、物理的に無くならない限り、
新しい帽子を買うのは気が引けるのです。
その結果…。
というコトは、この世の中で、
自分に起こる出来事は、
全て自分が望んだコトなのです。
自分にとってマイナスと思えるすべての出来事も…。
例えば、嫌なコト、辛いコト、悲しいコト、腹が立つコト、
あらゆるすべてのイイコトもイヤナコトも、
自分の思い(意志や意識)が引き寄せたコトなのです。
それに気が付いた私は、無くなった帽子さんに、
「ゴメンね」と誤りました。
そして、貴重な気づきを「ありがとう」と…。
帽子さん、他の人に拾われて、良かったね。きっと幸せになってね。
私は、帽子に気づかされたのです。
日本人だから、「物質」と「モノ」の違いが解るのですね。
モノとの縁も大切にしないといけないというコトを…。
だから、安易に簡単に手に入れてはいけないモノもあるのですね。
自分には必要のないモノも…。
それがわかれば、「物質欲」から逃れられる…。
この世の中も、物質主義から新しい「〇〇主義」に変われるのかも…。
モノさんありがとうございます。