心のお薬になる本(61)『「カタカムナって何?」カタカムナで幸せになれるのか?《後編》』三宅麗子編/著
この(61)「心のお薬になる本」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる本(61)
◆『「カタカムナって何?」カタカムナで幸せになれるか?《後編》』三宅麗子編/著
今回ご紹介する本も、《前編》に引き続き、三宅麗子の著書『「カタカムナって何?」カタカムナで幸せになれるのか?《後編》』です。
この本は、カタカムナに対する「疑問集」であり、モノゴトを「哲学する本」です。「カタカムナ」とは楢崎氏や宇野氏は「哲科学」といわれ、学ぶ人は「科学を哲学する」前に、「カタカムナを哲学」するべきなのです。「哲学する」とは、要するに「カタカムナって何?」というコトなのですね。
さらに他の「カタカムナ解読本」とは、一線を画しており、真理や法則よりも、まず、カタカムナ人が本当に「存在」したのか? 生きた「証し」はあるのか? 生きていたならば、それは、一体、どこで、どのようにして、そして、どんな時代を生きたのか? など、カタカムナ人の生きた証、要するに、生きている息吹を感じたくて、そこに焦点をあてて、この《後編》を書かせて頂きました。
私は、「カタカムナ」を知って、ますますこの「国の仕組み」に「疑問」を持ちました。いえ、「国」というよりも、この国の「日本人」に、です。なぜならば、自分の「日本」の国の成り立ち(邪馬台国や卑弥呼など)すらもはっきりとは分からないのに、最初から「カタカムナ」の「カタカムナ人」や「カタカムナ文明」を「ありき」とする、この不自然さというか、不可解さに…。それをまた、鵜呑みにしてしまう、この日本人という「民族」に…。日本人として、一番、大切な「源」に目をつぶっておいて、その「基」の上に、どんな「研究」をしたって、それは100%正解とはいえないのではないでしょうか? 日本人のルーツを証明できないのに、それ以上古い人類や文明を主張する「カタカムナ説」も、もっといろんな点から検証する必要はあるのではないでしょうか?
なぜならば、「カタカムナ」の悟りや真理がまず「ありき」ではなく、それを悟った、あるいは見つけた「人間」や「人類」に焦点をあてないと、それらの「説」は、後世に創作されたものという「汚名」を決して、挽回することはできないからなのですね。それをあえて、日本の「源」をないがしろにするには、故意なのか? あるいは、他意はないのか? 私が考えすぎなのか、という、私の「疑問」は、計り知れないものなのですね…。日本の「古代」を探る「タブー」は、本当なのか? だから一足飛びに、「上古代」にしか、目を向けられないのか?
とにかく、「カタカムナ」を云々するにしても、人類の「起源」や「文明」などが、とても無視できないと感じたために、この本の「テーマ」は、そういう「疑問」からスタートしております。「カタカムナ人」や「カタカムナ文明」などと簡単に言われる方もおられますが、では、実際に、どんな時代で、どこの国の人だったのか、どこに住んでいたのか、どんな民族だったのか、正式に「カタカムナ人」や「カタカムナ文明」を明確に、学術的に、物理的に、科学的に、唱えた方はおられません。
なのに、まことしやかにまるで、真実の如く、一人歩きをしてしまい、それに、正式に、誰も異を唱えた人もおられません。科学者が唱えた「カタカムナ人」であるのに、決してその説は「仮説」の域を出ないのです。いわば、そういう姿勢は、「カタカムナ」を学ぶ者にはふさわしくなく、決して科学的とは言えないのです。「カタカムナ」の謎は、ある意味「日本人」の謎ともいえるので、本来はタブーであって、言挙げしてはいけないのでしょう。世の中には、そういうモノコトがたくさんあり、それは「カタカムナ」の謎とも絡んできますので、今回は、それらに関係のあるモノを「カタカムナ」の謎③として取り上げさせていただきました。
それらを探るコトによって、究極、「人間とは?」「自分とは?」「日本人とは?」「地球人とは?」「宇宙人とは?」などの解明につながるのではと、私は固く信じて疑いません。人間は自分の「霊魂」を求めて、一生、彷徨う生き物だと存じます。その探求は、人間の心があるかぎり、いえ、人間が人間である限り、死ぬ間際まで続きます。もう真理は「わかった」「悟った」「解けた」と究められた方々から見れば、「ナンと、青臭い」と一笑されるでしょうが、結局、「謎」や「疑問」は解けずに、解明された方もおられず置いてきぼりですので、私は一生、追求する所存に存じます。それが「カタカムナ」に関わる者の「使命」だとも痛感しております。現に、楢崎氏や宇野氏が、納得できての「死」ではないはずでしょうから…。
要するに、「カタカムナ」をムヤミに、ヤミクモに信じる人々は、きっと、カタカムナが「なくては困る人」ばかりなのでしょうね。この本を出してから、ますますそれを痛感しておりまして、それはまた、出す前から、懸念していたことだったので、イタク納得しております。この日本という国においては、「歴史」といい、「民族」といい、「言語」といい、真実を探るとどうも生きにくくなるような気がいたします…。誠意ある皆様は、どうか真摯な目線で公平に、私が言わんとする重要な「謎」や「疑問」にのみに、意識を集中してお読み頂きたいと、切にお願いいたします。
さて、《後編》の内容は、「《前編》第四章「カタカムナのウタヒ」の謎②の追加」「第一章 「カタカムナ」に関わる常識や通説の謎③?」「第二章 「カタカムナ」が書かれた書物」「第三章 「カタカムナのウタヒ」の「第五首と第六首」の各人の解読」「第四章 まとめのようなもの」「第五章 カタカムナを人生のスベとするには」です。
さらに、【付録】として、宇野多美恵氏の【「カタカムナ」解読…四十八音一覧】と関川二郎氏の【「カタカムナ」解読…四十八音一覧】を載せさせて頂きました。ただし、《前編》でお知らせた「古事記」「言霊」「数霊」「祝詞」は紙面の関係上、省いておりますことをご了承ください。
引用文の本の「著者名」は、楢崎皐月、宇野多美恵、江川和子、北一策、関川二郎、麦田彰、山田久延彦、竹内睦泰、布施泰和、秋山眞人、浅見宗平、三井誠、小熊英二、岡正雄、吾郷清彦、松本道弘、深見東州、荒深道斉、米林悦子、松下井知夫、勅使河原大鳳、坂本政道、中矢伸一、浜本末造、浅川嘉富、酒井由夫、山下弘道、神衣志奉、桜沢如一、ジェネビーブ・ボン・ベッツィンガー、カール・ジンマー、ダリル・アンカ、ジュード・カリヴァン、A・ゴルボフスキー、トニー・アール、エゴガ―・エバンス・ケイシー、ジョージ・アダムスキー、リサ・ロイヤル、キース・ブリースト、オムネク・オネク、ペトル・ホボット、トム・ケニオン、ヴァージニア・エッセン、などなど(敬称略)。引用させて頂きまして、感謝しております。
また、「おわりに」の抜粋では、「(略)この本をお読みいただいたあなたはきっと私に対する疑問やご批判なども出てきたと存じますが、たとえそれに対してご質問をいただきましても、私があなたには決して成り代われないために、私がお答えする「答え」は結局のところ、それは私の「意識」での答えであり、それはあなたが期待されるあなた用のお答えでは決してないと存じますし、また、たとえいくら誠心誠意尽くしてお答えしても、それも究極のところ、私自身のための誠心誠意、いえ、言い訳けにすぎないと存じますので、決してご満足いただけるお答えにはなり得ないのですね。ゆえに、そのあなたのご質問は、私に対する質問のように見えますが、本来は、あなたがもう一人の見えないあなたに対して質問して解決すべき、貴重なあなただけの「疑問」ではないでしょうか。今回は、そういうあなたの「心」の奥に巣食う隠れたる「疑問」を炙り出すために私があなたになり代わって書かせていただいたともいえるかもしれません…。(ややこしくてすみません。)(略)」
かつて学術的な「アカデミズム」に批判的な方々であっても、信奉する「カタカムナ」が「アカデミズム化」するのには目を覆い、いえ、それすら意識されず、謎や疑問には一切、無視される方々に、是非「第五章 カタカムナを人生のスベとするには」のマゼランの例にある、長老や島民の「見えども見えず」の箇所を、じっくりとお読み頂きたいと、切にお願いいたします。近々、来る大変革の時代には、ここに書かれた情報が、いずれ、「生死を分かつ運命の分かれ道」となると言っても過言ではございません。なにはともあれ、同じカタカムナを学ぶ同士の一人として、今回、老婆心ながらも、書かせて頂いた理由の一つでもあります。
《前編》を出して感じたことですが、カタカムナに「疑問」を持って、こういう本を出すのは、「全うな人間」でないと、本は出せないのでしょうか? あるいは「正式な出版社」からでないと、価値のない本なのでしょうか? なぜならば、カタカムナの「著書」は、そもそも主婦である宇野多美恵氏が「自費出版」のような形で出された本なのですから…。どうか、カタカムナの信奉者の方々は、私が感じた「疑問」を、真摯に「哲学」して頂きたいと、切に願います。
私の願いは、まずは《前編》で、人間としての「尊厳」と「考える葦」を取り戻して頂き、さらに《後編》で、一日も早く、マゼランの長老や島民の「意識」から目覚めて頂きたいと、心から願っております。そして、一人ひとりの「真の日本人」としての意識が蘇れば、「カタカムナ」の意識も、必ずや蘇ってくると信じております。知識の高い方々や学歴の高い方々は、「来世」では苛酷な人生が待っているようですので、日本人と生まれたからには、日本人としての天命を全うできますように、この《前編》、《後編》がお役にたてればこんな嬉しいことはございません。
どうか、初心者の皆様、宇宙の真理を追究する前に、せめて《前編》だけでも、お読み頂ければ、こんな嬉しいコトはございません。真理を追究される前に、ぜひ、一読を…。《前編》が、私が本を出した「目的」でもありますから…。
《後編》の目次等詳細は、こちらへ→〔予告〕三宅麗子のAmazon POD本が9/25に発売!
●Amazonの三宅麗子の『カタカムナって何?』《後編》のサイトへ→
※出版社様へのお願い)この本は、AmazonのPOD本ですので、一般の書店では販売されておりません。なので、この本を、自費出版ではなく、普通の一般書籍として出版してくださる出版社様、どうか、ご連絡くださいませ。お待ちしてしております。