ことわざカウンセリング!(22)「坊主の不信心」
この(22)「ことわざカウンセリング」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★ことわざカウンセリング(22)
◆「坊主の不信心」
世の中に、宗教というものは、本当に必要なものなのでしょうか?
安倍氏の死から、宗教団体、旧統一教会の是非が問われています。かつて、世間を騒がす恐ろしい事件を起こした集団もオウム真理教という宗教団体でした…。
今の日本は、宗教団体は、自由に活動できますし、自由に造れます。
私も、以前は、出家をして尼さんになりたいと思い、本当に、仏教の禅の大学に通っておりました。
でも、あまりに恋い焦がれ過ぎたその反動からなのか、その理想と現実のギャップに、大きな挫折感を味わってしまい、結局、無理して社会人入学したのにも関わらず、あっさりと辞めてしまいました。それでも、決して、後悔はしておりません。
それだけ、今の宗教って、どうしようもない、職業団体や職業坊主に成り下がっている人々のいかに多いことか?
今では、疚しい職業をカモフラージュするために、宗教団体と名乗っている集団も多いと聞く…。
昔ながらの由緒ある宗教団体でも、内輪揉めで、権力闘争をしているところもあると言う…。
やはり、人間が集まれば、何らかの欲と得が絡み、地位や名誉を求める輩が出てきても、決して、不思議ではない…。
僧侶も坊主も神主も宮司も、本当は、無用の長物?
昔は、「霊の臣(ひのおみ)」といって、臣とは、「君」と「民」の間の取り持つ位…。だから、とても崇高で神聖な職業だったのに…。しかし、今の神職や僧侶は、そんな尊敬するような人はいないのでは?
だから、私は、あっさりと、禅の大学を辞めてしまったのですが、その反動のせいか、この世の中でも、その傾向が強い組織や集団などには、やっぱり嫌悪感を覚えてしまいます。なぜならば「坊主の不信心」の人があまりにも多すぎるからなのですね。宗教にからめて税金を払わない団体なんて…。
宗教団体にも、きっちりと税金を課せば、もっと団体も少なくなるのでは?
それに、国自体も潤う…。
せめて、自分だけは、「坊主の不信心」のような人間だけにはならずに、生きたいと思っております。
人間は年をとれば、年々、欲望も減ってくるものでしょうから…。
ひょっとして、人間って、欲望をなくすために、生きる動物なのかも…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。
●「坊主の不信心」
他人には立派なことを言いながら、実行が伴わないことのたとえ。人に信仰を説く坊主が信仰心がないという意から。(故事ことわざ辞典オンラインより。)