心のお薬になる本(20)『君は弥生人か縄文人か』梅原猛&中上健次/共著
この(20)「心のお薬になる本」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる本(20)
◆『君は弥生人か縄文人か』梅原猛&中上健次/共著
著者梅原猛・中上健次両氏は、「梅原日本学」と言われ、ファンも多くある意味、アカデミックな梅原猛と、被差別部落の出身であり、その虐げられた血から湧き出る体験を持つ中上健次のこの本は、日本人の原点でもあり、ある意味読む価値があります。
この10年来、特に、縄文時代の意識が復活してきているのを感じる今日この頃です。
以前に、あなたは「縄文人」か「弥生人」かというような論争の本もあったのですが、いつのまにか、立ち消えになってしまうのは?
今日のお勧めは『君は弥生人か縄文人か』梅原猛・中上健次著です。
私がそういうこと(縄文人)にとても興味があるのは、以前に霊能者(?)の方から、私自身の魂が、加賀の白山神社に関係があると告げられたことも影響しているのかもしれません。
白山の神様は菊理姫で、この女神様は、不思議な神様だそうで、古事記にはたった一度しか出てきませんが…。
それはともかく、「縄文」と「弥生」という名詞もちょっとおかしい感じがしますね~。
なぜなら、「じょうもん」と「やよい」っていう読み方は、前者は音読み(中国の漢字読み)で、後者は訓読み(日本のナカ読み)…。
これって、何か変?
時代が古ければ古いほど、漢字に毒されていないので、本来なら、音読みは有り得ない。
なのに、新しい時代のほうが、訓読みだなんて?
プロの学者なら、すぐにおかしいと解るはずが、何の疑問も出ないなんて!
歴史学者が「邪馬台国」はどこに、とか「卑弥呼」はだれ、なんてよく論争していますが、その前に、あの漢字はおかしいということは誰も言わないのです。
「邪」や「卑」と言う悪い字をあえて使うなんてコトは自分達の祖先ではないと言っているのと同じで、「邪馬台国」や「卑弥呼」と敵対していたことを証明していると思います。
ということは、この日本の地に昔からいた「邪馬台国」や「卑弥呼」を征服した人々がそういう風に貶めて読んでいたのでしょう。
「縄文」と「弥生」も何か意図が感じられますが…。
「縄文」っていう言い方は、良くも悪くもなく、ただの縄の模様という意味だけですが、「弥生」って言う言い方は、「弥栄」などの「ヤーサカ」に通じ、「ヤーヨイ」で益々良い、栄えると言う良い意味が含んでいるような気がします。
ということは、「弥生」時代のほうが良くて、「縄文」時代のほうは、なんか下で原始的な時代というイメージがしてしまう。
これって、偶然なのでしょうか?
弥生人が、仕組んだ言い方、読み方ではないでしょうか?
今の日本人は、ほとんどが弥生人でしょうが、時代を遡っていけば、やはり、縄文人にたどり着くのではないでしょうか?
東北地震以来、彼等が先祖の方々とこの日本を心配して、この国に戻ってきているのでしょうか。
そして、この瀕死の日本を救うべく力を発揮するために、この国に住みついて、何らかの行動を起こしてくれるのでしょうか。
そういう人々に、この『君は弥生人か縄文人か』は、是非お読みいただきたい一冊とも言えます。
また、もしあなたがこの日本では生きにくいと感じておられるのであれば、きっとあなたは縄文人かも…。
私のルームに来られたり、心の悩みでお悩みの方々もきっとそうなのかも…。
そういう方々にもご自分のアイデンティティを確認する意味でも、この『君は弥生人か縄文人か』は、一読の価値があるのではないでしょうか。
※注)追伸
直感ですが、私は、今では(2018年現在)、弥生人っていなかったのでは? と感じております。もちろん、弥生時代もなかったという意味です…。要するに、騎馬民族渡来説は、誰かの都合のいい説ではないでしょうか…。