ことわざカウンセリング(18)「縁あれば千里」北川大介さんとのご縁!
この(18)「ことわざカウンセリング」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★ことわざカウンセリング(18)
◆「縁あれば千里」北川大介さんとのご縁!
今日は、ことわざの「縁」についてです。「縁」とは、誠に不思議なモノですね~。
ひょんなコトで、今年のクリスマスには、北川大介さんの「ディナーショー」に行って参りました。1年前には、いえ、数ヶ月前には、そんなコトは、夢にも考えませんでしたが…。
ところが、当社の社長、浜田有弘(作詞家はまだゆうこう)と北川大介さんとの「ご縁」で、また、部下の私まで、そのお裾分けのような細い細い「ご縁」で、貴重な恩恵に預かるコトにあいなりました。
こんなコトを言ってはナンですが、私は、カウンセリングでは、結構というか、よくしゃべるので、すこぶる社交的と見られるんですが、実は、普段は、余りしゃべりませんし、特に、初対面の人と話すのは、苦手なんですね。
さらに、晴れがましい「場」はちょっとどころか、大の「苦手」というか、あまり「好きくない」というほうが当たっています。それは、はまだも一緒で、私たちをよく知る人たちは、もう少し「社交性」を身につけたら、もっともっと「有名人」になれたのに、と…。
昔は、仕事がら、異業種交流やセミナーや講習や研修にと、色んな会合に忙しく飛び回っていて、充実した日々を送っておりましたが、そういう時期も過ぎると、かえって、その反動でか、それからは気の使う、公の「場」には、全く行く気がしなくなったのですね。
だから、そんな人間なので、私的な「ディナーショー」と言えども、殆ど、縁がありませんでした。どちらかと言えば「ディナーショー」よりも、じっくり歌が聞ける「コンサート」のほうが、性に合っているようですが、それも、仕事仕事で、行きたくても行く機会がないという感じ…。
ちなみに、鳥羽一郎や、天童よしみ、古いところでは、岡林信康等に行った記憶を思い出しますが、それも何かのご縁で、チケットが手に入ったという感じでしょうか…。
そんな、ご縁なしの人間に、何を間違ってか、舞い込んできたのが、今回の、北川大介さんの「ディナーショー」。
はまだには、「着ていく服がないから」と抵抗したのですが、「服には拘らなくてもいい」というコトで、シブシブ重い腰を上げたのでした…。
でも、行くと決めたからには、根は楽天家なので、100%楽しもうと決めて、待ち遠しい日々を過ごしておりました…。
そして…。行く前のちょっと気乗りしなかった気分とは、裏腹に、得て勝手人間の面目躍如で、行ってみて、それはそれは、ホント、楽しずぎる「ディナーショー」に、10才ほど、若返ったような感じがいたします。
右の写真が、それを物語っておりますが、行けなかった大ちゃんファンの皆様、ごめんなさいね。
これも、大ちゃんの、ずば抜けた、ファンのためのという「愛」が溢れ、飛び散った「意識」の賜物で、そのトキ、しみじみ感じました…。
歌手という「職業」は、ただただ、歌が好き、歌がうまい、というだけでは、決して、「人気歌手」にはなれないというコト、ナンですね~。
「歌手」って、人を魅了する「何か」が無いと、決して、続かない「モノ」なんですね~。
その、魅了する「何か」とは、やはり「個性」というか、「キャラクター」?
では、その「個性」とは、一体、どうして培うというか、「手」に入れるのでしょうか?
それは、「手」に入れたくても、決して「手」に入るものではなく、生まれ持った、いえ、あの世から、生まれるトキに、「魂」と一緒に、持ってくる「モノ」なんでしょうね。
それが「個性」であり、「本質」であり、それをうまく活用すると、「使命」が全うされたと言えるのでしょうか。
だから、この世に生まれてくる人は、みんな、みんな、人とは違う、人とは比べられない、比較できない「個性」を持って降りてきて、その「個性」に気づくために、「職業」や「仕事」があるんでしょうか。
そして、その「個性」に気づき、それに添って生きた人だけが、満足して、その進化した「個性」を抱かえて、あの世へ還るのでは?
しかし、その「個性」とは、自分だけが喜ぶ、楽しむ一人よがりの「モノ」ではなくて、世の中の人々が、必要とする「モノ」でないと、それは「個性」とはいえないのでは? それを、突き詰めていけば、一人ひとりの個人的な、小さな「個性」でも、後々には、人類のためになる、大きな「個性」に変身する可能性を秘めた「モノ」なのかも…。
そういう意味で、歌手という「職業」は、ナンのために歌うのかということが問われ、それは、ただただファンのため、ファンが喜ぶために「歌う」ということでしょうか? それが強いては、世の中を、「幸福」の波動で包み込んで、マイナス要素を跳ね除ける役目を成すのでは?
だから、若者には、Jポップもいいですが、年配者には、年配者が喜ぶ、活力が出る歌や、病気を跳ね除ける歌など、聞いていて気分が高揚するような歌が、社会貢献する「歌」なのでは? 殆どの年配者が、ビートルズ以後の、エレキやグループサウンドの流行ったリズム感のある歌が好きなんですね。
だから、演歌が廃れるにはワケがあるのですね。暗い、時代遅れの、演歌はもういらないのでは? 例えば、時代に左右されないひばりの「お祭りマンボ」やお千代さんの「人生いろいろ」なんて、とっても、いいでしょ!
さらに、昔、人気歌手が、自分のヒットした歌を歌いたくないという「わがまま」「気まま」で、引退した人もいたようですが、よくよく考えてみれば、その「歌手」と縁のあった「ヒット曲」も偶然に繋がった「歌」ではなくて、やはり、ツヨイ「絆」で結ばれたかけがえのない「モノ」なのでしょう。だから、その歌を「嫌い」というのは、自分の「縁」も切り、その「歌」に関わった人全ての人々との「縁」も、そこで、切ってしまうコトになるのでは?
その「歌」を引っ張ってくるのも、その歌手の「才能」であり、それは則ち、「個性」のなせるワザなのでしょう。良い作曲家や作詞家や編曲家と巡り合えるのも、その歌手の「力」なのでしょうね。
そういう意味で、北川大介さんは、ホンと、スゴイ!!! 色んな「歌」を歌われていますが、ホント、良い歌が多いのですね。
その、大ちゃんの「個性」とは、一言でいえば、「愛」! それを彼は、「太陽になりたい」と表現されていました。
「太陽」のイメージは、暖かい、温かい、溢れるほどの「愛」でしょうね。
それが、あの「笑顔」に、あの「笑くぼ」に…。
大介さんは、未来の歌謡曲界を引っ張っていく、いえ、マトメていくべき「歌手」以外の、「何かを成す人」なのではないでしょうか?
ともすれば、斜陽と言われて久しい、この苛酷な日本の歌謡曲界を、何らかの形で「救う人」が、北川大介さんなのは?
ただ「歌」を歌うだけではなくて、もっともっと、大きな視野に立って、この歌謡曲界を救える人なのでは?
私は、そう感じたのですね! 大ちゃんの「ディナーショー」に参加して!
私の直観力は、自慢じゃ~ないが、よく写ルンです! いえ、当たルンです!!!
それは、やはり、大ちゃんが、過去に、歌手以外のツライ「挫折」を味わっているからで、一旦、地獄の「どん底」を見て、そこから這い上がってきた人なので、そのスゴサを、感じルンですね!
だからといって、それを意識しすぎれば、それは、実現しなくなりますので、くれぐれも、要注意!
知らず知らずのうちに、いつか気が付けば、瀕死の歌謡曲界を救っている人間に成長していた、というふうになれば、バンバンザイ!
そういう意味で、浜田(はまだ)の会社ジックランドは、一流の企業や一流人間にするのが「目的」というか「使命」の会社ですので、大ちゃんも超~超~一流の「歌手」の仲間入りも間違いなし!!!
なぜならば、私自身が、はまださんにただの「イチバツ」おばさんから、「個性」を引き出してもらって、育てて頂いた、人間でして、今では、知る人ぞ知る? 心理カウンセラーに! 浜田さん、感謝してます~。
だから、今回のご縁という「テ―マ」は、私とのご縁というよりも、はまだと北川大介さんとの「縁あれば千里」や「袖すり合うも他生の縁」という「縁」の諺をツヨクツヨク感じてなりません。全くの偶然ではないような…。
さらに、この北川大介さんとの「ご縁」で、はまだゆうこうも、また、「一流作詞家」の末席に、やっと名を連ねることが叶ったようで、そういう意味でも、大ちゃんはツヨイ「運」をお持ちなようですね~。
浜田の「強運」は尋常ではなく、話すと長くなりますので、ここではやめますが、実は、私は、自分ではあまり運がないと思っていたのですが、ナント、今回の大ちゃんの「ディナーショー」で、その「運」を試されるコトに!
「ディナーショー」の最後のほうで、各々のテーブルには、2人だけに当る仕掛けがしてあって、その座った椅子の裏に紙が貼ってあれば、「当り」だそうで、ナンと、私は、奇しくも、その「当り」の紙を、ゲット! 嬉しかったですね~!
これからは、私も「強運」の仲間入り! 来年は、良い年になるゾ~!
そう、考えれば、ホンと、「縁」や「運」とは、奇遇で、摩訶不思議な「コト」ですね~。
知り合ったファンの方々の雰囲気も、大ちゃんの人がらのような、穏やかな雰囲気でした…。
というようなワケで、今回は、「縁」と「運」、ちょっと、書いてみました。支離滅裂ですみません。
来年まで、あと一踏ん張り、いたしましょう。
ありがとうごさいます。
●「縁あれば千里」
縁があれば千里も離れた所の人と会うこともあるし、結ばれることもあるということ。「縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し」を略した言葉。(ことわざ辞典オンラインより。)
●「袖すり合うも他生の縁」
見知らぬ人と袖が触れ合うようなささいなことも、前世からの因縁によるものだから、どんな出会いも大切にせよということ。「他生の縁」は前世からの因縁の意で、「他生」は「多生」とも書く。「袖振り合うも他生の縁」「袖触れ合うも他生の縁」ともいう。(ことわざ辞典オンラインより。)