直観ひとりごと(77)「他界した」ってどこへ? 「息を引き取る」って誰に?
この(77)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(77)
◆「他界した」ってどこへ? 「息を引き取る」って誰に?
今日は、人間であれば誰でもが経験する「死」のお話です。
昔の日本語は、本当に、よく本質を表しています。日本人の多くの人は「他界した」というと、それは「死んだ」ことと理解します。
「他界」という言葉は、何の疑問もなく、不思議とも思わず、当然のコトとして、
西洋思想に毒されたお医者さんも、物質欲にまみれた政治家も、教養あると自負される学者も、
すべからく日本人ならば殆どの人が…。
これこそ、おかしい!!!
「他界」って、他の世界? 別の世界? それは一体、どこ?
しかし、誰も何も、その言い方(他界)はおかしいとはいわないし、否定もしないのです。
暗黙の了解で、殆どの日本人が認めているのです。
この度、父が他界いたしました…。
この度、父が身まかりました…。(「まかりこす」と言う日本語がある)
この度、父が永遠の旅に旅立ちました…。等々。
これって、ちょっと「変」?
なぜ、変って、世間の常識や公的には、「あの世なんてない!」 というコトになっているのですよね。
名目上は、死んだら、それっきり、終わり! おしまい!
一応の、建前では…。
科学の世界では、強制的といってもいいくらい!
にも関わらず、「他界する」という言葉は、何の不自然もなく、今でも堂々と、使われていますよね。
医師や医療界でも…。
葬式などでも、仏教系のお坊さんたちも…。
そして、あの世を認めていない色々な組織や集団でも、「他界」という言葉は使うのです…。
殆どの業界でも、何の疑問も持たず、「他界された」は日常語としてまかり通っている。
この不思議?
日本人って、暗黙の了解で、「他界」は、あると認めている?
ただ、お偉いオカミに楯ついてまで、この国の人たちは、言揚げしないのですよ。
いえ、オカミといわれる方々でさえ、「他界」って否定しない。
ホント、不思議の国、ニッポンの面目躍如、でしょうか?
不思議な日本語って本当に多いですよ。
もっと疑問に思うのは「息を引き取る」って、とっても変???
死者が、一体、誰に「引き取られ」、どこへ「引き取られて」行くのでしょうか?
行くというよりも、還っていく…。
それを、西洋医学の医者も、何の不思議も感じず、臨終になったら、「今、息を、お引き取りになられました」と…。
ということは、あの世に引きとる人(?)がいて、この世の死者を引き取りに来るんでしょうか? 迎えにくる人(?)がいる…。
ということは、あの世に、人(?)らしきモノがいる?
もし、それを否定する頭の固い人がいたら、一体、この言葉はなぜ、出来たのでしょうか?
それを深く考えもしないで、見えない世界のコトを否定するのは、それこそ、神に唾する罰あたり?
また、「次元」という言葉も、全くおかしい。「次の元」ということは、「元の元」というか、「元」の世界があるのでしょうか…。
いえ、あったのでしょうか…。
そんな疑問に何の異も唱えず、「三次元」だの「五次元」だのって?
だったら、「〇次元」って「元」のどの元のこと?
ますます、こんがらがってくる…。
だから、何の心配もいらないのです。
全く心配しなくとも、日本人は、きっちり、潜在意識では「あの世」とやらを刻印しているんですよ~。
なぜならは、「他界する」ということは、「あの世へ行く」ということなんですから…。
では、「他界」って一体、どの「界」なの?
この世は、「現世」或いは、「今世」。
だから、「他界」って、「あの世」のことで、「幽界」や「霊界」或いは「神界」なのでしょうか?
とにかく、「他界」という言葉があると言うコトが、「現界」以外の別の世界を認めていたのでしょうね~。
ずっとずっと、遠い昔昔から、信じていたのでしょう。
それが、いつの間にやら、信じられなくなった…。
そして、「あの世」について云々することすら、タブーになった…。
知識階級の人間、高学歴の人間ほど、信じなくなっている…。
しかし、本当に、そうでしょうか?
日本人の99%は、きっちり、信じているのでは?
何千年も、いえ、何万年もの民族の意識はそうそう変わらないのでは?
日本に仏教や儒教が入ってきてから、それが、おかしくなってしまった…。
でも、日本人である限り、「魂」はそれを許さない。
血が許さない。
もともと、仏教、いえ、お釈迦様は、あの世を認めていない、というよりも、「無記」、何も触れていないのです。
なぜなら、お釈迦様は他国の人、異国人、外国人。
日本人ではないので、理解できなかった。だから「無記」。
だから、納得できます。
だから、あの世は、わからない。
また、魂の生まれ変わりも、わからない。
さらに、魂があるということも、わからない。
当たり前、のことなのです。
だから、後世の人々は、「無」といったり、「有」と解釈したり、都合のいいように脚色したのです。
しかし、昔から日本では、「あの世」はあると信じ、死んだら行くところと実感していたのでしょう。
だから、「死ぬ」と言うコトは、「他界する」という意味と同じなのです。
ということは、体は動かなくなってこの世で朽ち果てますが、あの世へ還る何かがあるのですね。 魂というか霊というか、旅立つ何かが…。
すごく、はっきりしていたのです。
迷いも全くなかったのです。
だから、精神的迷い、心の迷いもなかったのです。
心の迷いと、>心の病はまったく別物だったのです。
今の人は、心の迷いであって、心の病に冒されている人は、本当は少ないのです。
それは、あの世、他界を、潜在意識では信じているのに、顕在意識の知識では、否定しているから、おかしなことになってくるのです。
思考が分裂してしまう、そして心が分裂状態を引き起こす…。
だから、言葉と意識、感情と考え方を一つにすることが大切なのです。
それは、あの世をしっかりと信じきる「覚悟」をして生きればいいのです。
昔の人の言い伝えはとっても真理をついています。
見えないからといって、信じられないというのは、科学万能に毒された、詭弁です。
見えないモノでも信じているモノはいっぱいある。
電気、電波、気圧、磁気、電磁波、紫外線、赤外線、X線、ツボ、経絡、神経、精神、心、気持ち等々。
自分の都合のいいモノだけを信じているのは、やっぱり、神からすれば「傲慢」の何物でもないのでは?
謙虚そうでいて、実は…。
だから、神の逆鱗に触れることに…。
今からでも遅くはないのでは?
しっかり、心の中に、あの世も他界もあると信じるだけで、波動が変わる。
すると、細胞は変わる。すると精神が変わる。
そして、心が変わって、心の悩みなんて、なくなるのです。
一つ、一つ、この世の矛盾を、自分の直感で無くしていくことが、この世で生きるという意味があるのでしょう。
そのためにも、まず手始めに、「死」とは「他界する」。
昔の尊い人は、「死」のことを「お隠れになる」とも言っていたのです。
それは、この世から身体ごと、隠すこと。
昔の天皇は、そういう「隠り身」は当たり前だったそうです。
きっと、天孫族以前の天皇は…。でもその時代は「天皇」という呼び名でなかったような…。
「隠り身」とは、身体ともども、あの世に持って行く、他界にもっていくこと。
江戸や明治でもそういう人は稀ですが、いたのでしょうね。
それは今の言葉でいえば…。
2012年12月、その日が来ると信じている人もいますが…。
なにはともあれ、「他界する」方が多くなるやも…。
それは、もう既に25年も前から始まっているそうな…。
そして、あと25年でこの日本は…。
しかし、私達は、それでも、あわてず、心配せず、身柱に添って神の計らいにゆだねるだけ…。
人間の意識の動揺が、大いに関係するとも言われます。
そういうことは、全て天(宇宙)にゆだね、私達は、ただ、ひたすら、与えられた仕事に没頭致しましょう。
それが、苦しいと信じられている「死」をも乗り越え、「他界」出来るスベでもあるのですから…。
まず、あの世があると信じましょう、いえ、「他界」があると…。
そうすれば、死んだ時は、きっちり、天国にいる人(?)が引き取りにきてくれますよね。
信じる者は救われる…。