直観ひとりごと(68)今年は日本人にとって意味のある年に、来年は…。
この(68)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(68)
◆今年は日本人にとって意味のある年に、来年は…。
今年も今日で、とうとう最後の日となりました。2011年は、日本の歴史の中で、最も忘れられない年になるでしょう。
日本人が、こんなに窮地に陥る時は、何かの啓示なのではないでしょうか?
今年ほど、日本人として「神」の存在を、確かめたかった年もありませんでした。
もし、神がいるのならば、なぜ、この日本に震災と津波と原爆の三重苦を課したのかを、お聞きしたい…。
でも、高次元のレベルの神々は、そんなことには、きっと答えてはくれないでしょう。
それを知りたければ、自分の直観を磨くしかない、と感じる次第です。
私にとっても、今年は、カウンセラーとしても、もう一段飛躍すべき年となりました。
そして、ますます、疑問も湧いてきた1年でした…。
心理カウンセラーは、心の悩みをお聞きして、改善する仕事ですが、医者では、その分野は、精神科や神経科の分野になります。
これが、私には、全く腑に落ちません。
皆さん、おかしいと思いませんか?
神を否定する、科学や医療の分野において、なぜ、神の文字が付く「精神科」や「神経科」があるのでしょうか?
全く解せません。精神科の先生方にお聞きしたい。なぜ、「精神科」に「神」が付くのかと…。
モノやコトの概念は、その本質や性質や機能を表します。
心理学も、本来、おかしな言葉なのですよ。
心を理するって、一体、どうするんでしょうか? 心を科学するとは?
古語では、理って、「コトワリ」ですが、心のコトワリって何?
日本人って、漢字にしてしまえば、なんとなく意味が解っているように、錯覚してしまうんですね。
本当は、何にも解らない…。全く解っていないのに…。
そういう意味で、精神科医って、何を直す医者なんでしょうか?
神経科医と、どう違うんでしょうか?
私なんて、もともと単純で、頭も決して良くないのですが、精神科医や神経科医といえば、何か「神様」のことを認めていて、理解していて、病気との関連を、きっちり解いてくれる偉い人というイメージがありますが、本当は、全く、神様とは無縁な人種が多いそうな…。
ご本人たちは、気持が悪いことはないのでしょうか?
自分の職業に「神」の文字が付いているという違和感に…。
私なら、きっと、無視できず、仕事そっちのけで、「神」という字がなぜ付くのか、徹底的に調べないと気が済みませんが…。
患者さんに対しても申し訳ないし、自分に対しても気持ちが悪い…。
考えてみれば、人間をとりまく中に、精神や神経という、「神」の文字が入っているということは、これは、きっと、本当は、大変な意味があるのでは?
60才を過ぎても、こんなことを悶々と感じている人間なんて、きっと、奇人変人と言われるのでしょうね~。
でも、還暦を過ぎたからこそ、真剣に、「神」のことを考えられるのかもしれません。
神のことを考えていくと、色々、また別の疑問も湧いてきます…。
人間って、一生、疑問との闘いなのかもしれません。
そんな、様々なことを、未曾有の年の瀬に考えてしまうのも、きっと、偶然ではないようです。
来年、再来年、そして、その次の年も、また、その次の年も、日本人が平安に、安泰に過ごすためには、今年がターニングポイントになるようです。
日本人が日本人としての「誇り」と「謙虚さ」を民族の特質としていつまでも、持ち続けていくことが、永遠に日本民族が生き残る術なのでしょう。
はっきり感じることは、この日本に住む日本人よりも、他国に住む日本民族の人たちのほうが、宇宙の仕組みを無意識に理解しているように感じます。
一番、忘れてしまっているのが、実は、この日本に住む、日本人なのかもしれません。
もうこに日本に住む権利が無くなるやもしれません、名前だけの日本人は…。
そういう意味で、もう一度、日本語の中に潜む「神」という文字を真剣に意識してみてはいかがでしょうか?
きっと、太古の時代の意識を思い出すかもしれません。
そうすれば、きっと、様々な疑問も、解決するやもしれません。
神降ろし、神懸かり、神隠し、神さびる、神棚、神頼み、神無月、神代、神業、神意、神威、神域、神韻、神苑、神火、神格、神学、神学校、神官、神姫、神気、神技、神器、神祇、神鏡、神宮、神経、神経質、神経衰弱、神経痛、神剣、神権、等など。
まだまだ、「神」の含んだ単語がありますが、それでも、日本人は、いえ、学者や文化人たち、アカデミズムは、「神」を認めてはいないのです。
見えないはずの原子核は認めているというのに…。
これって、本当に不思議です。
私は、来年も、再来年も、その次の年も、その次の年も、考え続けたいと存じます。
それが、カウンセリングにも何か、いい結果をうむような気がします。
来年は、良いとしてありますように…。
日本人の覚悟を世界に示すことが出来ますように…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。