直観ひとりごと(12)なぜ学校教育で万葉集や和歌や俳句を教えないの?
この(12)「直観ひとりごとのブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(12)
◆なぜ学校教育で万葉集や和歌や俳句を教えないの?
今日も、昨日に引き続き、教育の疑問。もう一つ、教育で疑問に思うことは、万葉集や和歌や短歌や俳句のこと。なぜ、そういうものを学校では教えないのでしょうか?
日本国は、古より、和歌の国。なのに、万葉集や和歌や俳句をなぜ、もっと真剣に学校教育として教えないのか? 能や歌舞伎や文楽などよりも、もっともっと大事なはずなのだ。日本人の精神なのだ、万葉集や和歌や俳句というのは…。皇室ではいまでもそれを行っているというのに…。
これも、本当に不思議なことだ。
でも、現在の教育業界を牛耳っているのは、人権、人権と声高に叫ぶ人たちばかり…。彼らの本音は、アメリカ憎しといえども、アメリカに抑え込まれているこの「日本の在り方」を良しと、肯定しているに等しいのです。要するに、日本が心底、復活してほしくない?
だから、日本の文化や伝統を破壊する方向に教育も進んでいるのでしょうね。結局、教育業界を牛耳っているのは、真の日本人ではない人たちばかり? だとしたら、もう日本はダメだワ~。
昔からの和歌や万葉集を教えてこそ、日本民族に流れる精神が保たれるというのに…。俳句など、日本人にしか理解できない、究極の文化なのに…。いや、今ではそれは違う、外国人のほうがよっぽど理解できる。日本民族の精神を教えない教育にこそ、問題なのだ。どうも日本の精神を残したくないらしい。この国の教育者たちは…。
こういうことを考えると、2000年も前の、昔の権力者や為政者は、真の日本の人間ではなかったような気がしてならない。というよりも、昔の日本人って、真のヤマトの人ではないような…。だから、まっとうな歴史は教えられない。いえ、教えたくても教える日本人の歴史なんてないのです。
もともと、「日本(ヤマト)」って、本当の「倭(ヤマト)」はいろんな豪族たちが寄り集まった倭人の国々で、だから彼らが平和に「和」して、大和になったから「大和(ヤマト)」というのでは?
だから、本当は「日本(ヤマト)」と「大和(ヤマト)」は違うのでは? 超勘性人間として、強く感じる…。ということは、邪馬臺国と耶馬壹国は別々の国だったのかも…。だから、単一民族なんかではないのでは? 山民や海民、あるいは源氏と平家、あるいは高天原(たかあまはら)と高天原(たかまがはら)、日本(にほん)と日本(にっぽん)など、なぜ、二つ、ある?
これからも、一つになれない、哀しい国が、この日本…。日本人であって日本人ではない、一部の国民。歴史を抹殺したい一部の日本人たち。漢字の前に文字はなかったと言いたい一部の日本人たち。2000年前は野蛮人の国と言いたい一部の日本人たち。彼らって、本当に日本人? 日本人に成りすました人びととは…。
漢字が重宝されていることからもそれがうかがえる。そのしきたりが今でも官公庁には色濃く残っている。いえ、益々、増えているようだ…。もはや、巣食っているのでは?
漢字を読み書きできることは特権階級としての証であったのだ。やっぱり、渡来人の天下だったのだ…。もともと日本には文字はなかったというが、そうではない。
なかったのなら、そっくり、漢字国になっていたはずなのだ。支那(中国)と同じように…。言葉も中国語に…。まして、かな(カナ)の生まれる余地などなかったはずだ。もし仮りにあったとしても絶対に許さず、抹殺されていただろう。
それが、ひらがなもカタカナもある。女文字や不完全な文字なんて、絶対に嘘だ。と言う事は、最初からこの国には、そういうものはあったのだ。だから、駆逐できなかったのだ、抹殺できなかったのだ。そうとしか思えない。
日本を野蛮で文化も何もない国として貶めたいために、なかったことにしたのだ。日本の歴史を無視しなければならない何らかの理由があったのだ。鋭い勘の人間ならば、わかるだずだ。
征服した人間が、都合のいいように変える必要があったのだ。それが歴史というものです、よね。学者も分かっているのに、生きるために追随している。御用学者の天国、日本!
征服者らの理想は、最終的には祖国に帰って、祖国をも自由にしたかったのだろうか。中国や朝鮮半島を…。その証拠に、首都を京都にして、東西南北に「京」という字をいれて、一大勢力の国を造ろうとしたのではないか?
なぜ中国に「京都」という中心を意味する都市がなくて、日本にあるのだろうか? 東京、北京、南京はある。ないのは西だが、それも西安という名がある。
「京」も、「安」も、地名に用いる意味としては同じだろう。これらから感じるに、日本にきた征服者は、中国での権力者、もしくはその側近者ではなかったか?
隣国で、戦争が起こり、戦いに負けて逃げてきたのだ、敗者は逃げのびる必要に迫られていたのだ…。何度も何度もそれが繰り返されてきたのだ…。
昔、中国の一部の特権階級では、日本は神の国、不老長寿国、或いは蓬莱国と信じられていたのではないか? 仙道の世界ではそう信じられていたらしい。
だから、日本に来る必要があったのだ。逃げるには都合がいいのだ…。海を渡れば敵は攻めてこないのだし…。「呉越同舟」っていう熟語もあることだし…。呉も越も、確かに日本には存在する…。秦の始皇帝が徐福を日本に派遣したのもうなずける。徐福伝説のように…。不老長寿国があったのだ、すなわち神の国が…。中国から東には、日いづる国、日本という神にも似た国が…。
皆さんも、おかしいと思いませんか? やっぱり、日本を治めていたのは、まぎれもなく他国人なのだろう。そういうところが気になりだすとおかしいところだらけですよ。この日本という国は!
自民党から民主党に変わった…。いま、やっと、長い長い植民地からの脱却が図れるのかもしれない。いえ、民主党が、反日なんて、我欲に囚われる政治をすれば、しっぺ返しにあうでしょう。
真の日本人として、この国をどうするのか「神」に問われている…。いやいや、小さい国の日本国は、もういらないのかも知れない。それが日本国民にとっていいことなのか、悪いことなのかは、神のみぞ知る!
せめて我々、日本国民は、勘で、感じよう、ではありませんか? 皆さん! もう他国からの押しつけられた日本イメージを払しょくする時ではないか?
大国の顔色をうかがう外交から、真の誇りある外交へと切り替わる時が、今なのです。今を逃したら、もう日本の未来は、ありません。
芭蕉のように俳句や、天皇家のように和歌を、我々の、日本民族の中に根付かせましょう。芭蕉は、伊賀忍者だったという説もあり、さもありなんとも思います。あれだけの研ぎ澄まされた精神の持ち主は尋常ではない。
今の世のは、そういう精神が必要ではないでしょうか。でないと、生き残ってはいけないでしょう。
日本の素晴らしいものをもう一度、堀り起こす教育をするのが、真の教育ではないでしょうか?
「歴史」がウソで固められて教える自信がないのなら、せめて、万葉集や和歌や短歌や俳句を教えましょうよ。ね、先生!
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。