直観ひとりごと(114)二人の日本人と一人のアメリカ人のノーベル賞~
この(114)「直観ひとりごと」のブログは。カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(114)
◆二人の日本人と一人のアメリカ人のノーベル賞受賞に思う。
日本人が、またノーベル賞を受賞しました。日本人として、本当にうれしいです。
正確には、二人の日本人と、日本生まれのアメリカ人一人で…。
そのノーベル賞受賞のそれぞれのお名前は、
赤崎勇・名城大教授、
天野浩・名古屋大学教授、
中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授です。
先のSTAP細胞問題では、世界中に日本の醜態を晒したコトで、
当分は、日本人のノーベル賞受賞はあり得ないと、殆どの人が諦めていた中での、
今回の快挙に、関係者でなくても、日本人にとってはうれしい知らせでした…。
草葉の蔭で、きっと笹井氏も胸をなでおろされているコトでしょう。
今回、彼らが受賞した分野は、物理学で、青色発光ダイオード(LED)を開発したコトに対してですが、
それぞれの役割がそれぞれの人柄を物語っていて、とっても興味深い感があります。
ともすれば、その押しの強い性格からか中村教授ばかりが目立ちますが、
私は、難しいことはわかりませんが、直感で感じますに、
本来ならば、赤崎教授や天野教授のほうに、
スポットライトが当たってもしかるべきだと存じます。
それも、特に、地道な天野教授の存在が、
日本人の科学者として模範となるべき人物ではないかと思います。
なぜ、天野教授が日本人の模範として相応しいかと言いますと、
彼は、「人に添う」コトを実践されたのですね。
正直にあるがままに、人に感動し、人を尊び、人を敬い、人を慕い、人に寄り添った、その結果…。
もちろん、赤崎教授も凄いのですが、
彼はもう別格で、なんか聖人や聖職者の域にあるお方のような人なので、
ちょっと、模範にするには畏れ多いのです。
普通の一般庶民には、『蛍の光』の「仰げば尊し我が師の恩」という感じの
仰ぎ見るべきお方でしょうか…。
多くの科学者が陥るように、こねくり回す研究のための研究や、
研究費を稼ぐための研究や、
学位を取得するための研究等々の風潮の中、
彼は、赤崎教授の研究が、未来のための研究、研究本来の研究だと直感して、
赤崎教授の弟子となられたそうです。
即座に決断させる波動の持ち主である恩師の赤崎教授も凄いですが、
やっぱり、それを見抜いた弟子の天野教授の波動も凄いですね~。
この恩師にこの弟子あり、でしょうか。
今回の三人の関係は、二等辺三角形の頂点が赤崎教授で、
底辺の二点が天野教授と中村教授で、この二人はきっと良きライバルなのでしょう。
但し、私は、中村教授の生き方には賛成できませんし、
未来の科学者や研究者には、彼の真似をしてほしくはありません。
会社から1年間も留学させてもらい、研究費も3億円をかけてもらって成功したのです。
退社後、日本からアメリカに鞍替えしてから、そのお世話になった会社を訴える行為は、
そもそも日本人の感覚にはなじめませんし、波動が合いません。
なぜなら、彼一人の研究ではなくて、同じ会社の仲間たちも貢献しているのですから…。
会社で雇われていたからこそ、膨大な研究費をつぎ込んでもらい、研究も成功したのですから…。
かつて、同じ釜の飯を食った仲間たちは、
中村教授のコトを心底、称え、喜んでいるのでしょうか。
はなはだ疑問です。
それが人間の心理なのです。
また、中村教授が訴訟をしたために、会社はその権利を放棄したそうですよ。
200億も支払い義務を要求されれば、大手企業だって無理でしょう。
その結果、彼は8億円以上も手にしていながら、不平たらたら…。
彼は思う存分アメリカでそれを利用して、
結局、アメリカと彼が儲かって、日本には余り恩恵をもたらさなかったのではないでしょうか。
要するに、お世話になった会社や日本を裏切った感じが否めないのは、
私だけでしょうか?
大きな声を上げて騒いだ者のほうが勝ちで、正義となる世の中はいかがなものか?
裁判では、あの朝日新聞もこぞって、中村教授を応援したそうですよ。
彼は今でも、日本や日本の企業を悪く言い続けています…。
やっぱり、彼は他の日本人のお二方とは、違う、似て非なる人種なのでしょう。
私は、今回の日本人の受賞に至った大きな理由は、
日本人の感性と感覚と思想とで開発できたからだと、感じています。
日本人にしか理解出来にくい特殊な日本語で、
試行錯誤したからこそ、与えられた成果だったと思います。
日本人に生まれていなかったら、また、日本語を話していなかったら、
中村教授は開発できなかったと、強く確信しています。
それは、日本人の脳は、他の民族の脳とは、全く思考回路が違うからでしょう。
それは、日本語を話すから、に他ならないのです。
それが証拠に、近年、日本のノーベル受賞者は、
教育界の最高峰である「東京大学」からは出ていないのです。
東京大学は、日本の大学というよりも思想的にも、アメリカナイズされ過ぎた大学です。
また、歴代のノーベル受賞者では、東京大学卒が7人で、京都大学卒が6人だそうですが、
再度、東京大学に入学し直した人が何人かいるので、
実質は、京都大学卒のほうが多いのです。
これって、なんか変、おかしいですよね。由々しき問題ですよね。
そろそろ、教育のあり方を考えないと、いけない時代になっているのでしょう。
明治維新以来、日本の大学には、日本民族の哲学を研究する場がないのです。
それが100年以上経った今も、全く変わりません。一体、なぜ?
小学校、中学校、高等学校、大学校からとずっと、16年間の長きに渡って、
日本の伝統文化や哲学を教える正規の教科は、全くないのです。
一体、どうして?
かつて、かの川面凡児(神道家で霊能者)も、こう嘆いておられました。
「帝国大学には却って欧州哲学の講座はあり、印度哲学として仏教経論の講座はありと雖も、日本民族の生命ともなり、標準ともなるべき講座がないとすれば、学生精神の帰趨は、何に依りて求むる事が出来ませうぞ。
欧米哲学の講座のみでは、欧米思想を養成し、欧米民族を造り出すに過ぎない。仏教経論の講座のみにては、印度思想を養成し、印度民族を造り出すに過ぎない。
常に自国を賤みて欧米を崇拝し、印度を崇敬する学生こそ卒業せしむるなれ。その悉く然らずとも、少なくとも不知不誠の間にその弊害に陥るのである。
莫大なる国費を支出して、日本民族の生命標準のたる講座なしとは、いかにも残念の至りである。」とある(『祖神垂示霊魂観』より)。
こういう間違った教育だから、真のトップの日本人たちが育たず、
真理を真理と見極めることができずに、
あの第一次大戦や第二次大戦が起こったといっても過言ではないでしょう。
さらに川面凡児は、
「而して大和に於ける神代文字とは、外ならず、今日現在伝え来れる片假名文字である。片假名と名付けたるは、奈良朝以後の事で、奈良朝以前には大和文字と呼びたるものである。」とある(『川面凡児全集第一巻』より)
日本古来から存在していたのが、カタカナ文字で、それは大和文字と呼ばれていたそうです。
これは、あの楢崎皐月が解読した「カタカムナ文字」を意味します。
また、現在の世に、楢崎氏が生きていたら、
ノーベル物理学賞は、当然受賞されていたと思いますが、
選考委員のレベルが低ければ、楢崎氏などは、その範疇から漏れてしまうでしょうね。
楢崎皐月には、「物理学賞」ではなく、
「命理学賞」や「者理学賞」や「人理学賞」など、
この世で、まだ誰も解明していない分野での、受賞がふさわしいと思います。
それほど、彼もまた凄いのです。
日本人が日本人であることが凄いのです。
でも、それを自覚していない日本人がほとんどなので、
東京大学のように、西欧社会に毒されたしまい、
おまけに、将来はアメリカに合わせて、
新学期を9月なんてふざけたコトを導入するつもりです。
もしも、それが実現すれば、、
今後はもう、日本人のノーベル受賞者が出てないということでしょう。
川面凡児が生きていたら、その憤懣やいかに!
また、中村教授のように、自分の利益のためには、
日本国籍をさっさとすてて、アメリカ人になってしまう人が増えたら、
この日本が亡国の一途をたどってしまいます。
だから、皆さん、これからマスコミ等で、中村教授が称えられるニュースが氾濫しても、
右往左往しないでください。
くれぐれも、事実は、彼はまぎれもなく、現在はアメリカ人であり、アメリカに住んでいるのです。
彼が批判する、この日本で生まれ、
生まれた時から、世界で一番美しくて、特殊な日本語をしゃべり、
その影響で、偉大なノーベル賞が取れたというコトも、また隠せない事実なのです。
大事なコトは、彼が今回、ノーベル賞が取れたという事実は、
とりもなおさず、彼が日本に恩をきて、
日本人としてあり続けるコトが、今世の彼の「使命」なのです。
だから、今後の彼の生きる目的は、日本国と日本人に役立つために、
残された人生を生き切らないと、ダメなのです。
でないと、来世では過酷な人生となるでしょう。
今回、私たち日本人が模範にするべき人物は、
赤崎勇教授であり、天野浩教授なのです。
決して、中村教授ではないのです。
いくら彼が声高に言い訳しても、いえ、言い訳すればするほど、
お天道様がお許しにならないでしょう。
人間の人生って、そういうもので、
死ぬまで、わからないモノで、
死ぬまで、気が抜けないモノなのです。
だから、面白いともいえるのですね。
今回、感じるコトは、継続は力なり。
日本人の誇りをありがとうございます。