心のお薬になる歌(12)「スタートライン」馬場俊英/歌
この(12)「心のお薬になる歌」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる歌(12)
◆「スタートライン」馬場俊英/歌
「スタートライン」馬場俊英/歌、横綱 稀勢の里関に送ります…。
初日から3連敗の末、とうとう、稀勢の里が引退を発表するというニュースを知りました。
日本人の「美学」が相撲界から、抹殺された瞬間でしょうか? 日本人の横綱稀勢の里の「引退」を喜んでいるのは、「モンゴル互助会」? 彼らは、本当に、バンバンザイと、感じているのでしょうか? もし、そうであれば、もはや、日本から相撲道は無くなった…。
マスコミが様々に、稀勢の里の「怪我」が、何か、自分の不注意で、階段からでも落ちて、偶然に「怪我」をしたような、報道に終始していますが、この「怪我」は決して、偶然ではないのですね。この「怪我」に大きな疑問というか、意味があり、その「怪我」をさせた相手は、紛れもなく、モンゴル人の元横綱日馬富士なのです。それをマスコミは、一切、問題にしないのです。日本人には厳しく、他の国の人々には、優しすぎるマスコミの対応は、いつも通りです…。
ちなみに、稀勢の里の「怪我」は、2017年3月場所の13日目の日馬富士戦での「怪我」です。(さらに、この稀勢の里を横綱にしたキッカケの力士が、あの貴の岩関で、彼に怪我させたのも、日馬富士です…。)ホント、この世に偶然はないって、このことですかね~。ここから貴乃花の不可解な行為がはじまり、彼を相撲界から抹殺した、因の因は、稀勢の里の「横綱取り」から始まっていた…。
しかし、本来、横綱が、他の力士に「怪我」を負わせるというのは、ありえない! それだけでも、日馬富士は、横綱失格でしょうね。なぜならば、横綱というものは、自分より下の力士に立ち向かっていって、怪我を負わすことは、横綱としては恥ずべきことなのですから…。横綱とは、受けて立つだけ! それが横綱という名誉ある「位」なので、それが、相撲道としての、「品格」品位」なのですから…。
そして、この「怪我」は意図的という、噂もありますが、当の本人の日馬富士は、日本から大金を持ち帰り、モンゴルで第二の人生を華々しく再開しております。さらに、これからも、正々堂々と、モンゴルと日本を行き来して、益々活躍することでしょう…。日馬富士は、有望な二人の力士の前途と未来を、一瞬にして奪ってしまったことは、紛れもない事実ですが、公に、責められることは一切なかったのです。
それは、なぜかと言いますと、彼の思惑というか、私心ではなく、彼、日馬富士は、そういう役目(日本人の横綱を許さないコト)を負わされた力士だからなのでしょうね。だから、それを知る人たちの間では、個人攻撃はしにくいのでしょう。責められるべき「者」は?
但し、日馬富士の「直霊(ナオヒ)」というか、魂は、これからの、日馬富士の生き方を、じっと見ているでしょうね。日馬富士を裁くのは、決して他人などではなく、自分自身だけなのです。だから、よけいに、怖いのですね。
これからは、横綱が他の力士に、「故意」に、怪我をさせた場合は、即、その横綱を引退させるべし、という強いルールを設けなければ、日本の「相撲道」がダメになる…。もはや、手遅れかも?
さて、その犠牲になった、日本人の横綱、稀勢の里が「引退」です…。
「がちんこ相撲」が滅びる瞬間なのでしょうか? もし、そうであるならば、決して「相撲」などというものは、日本の「国技」や「神事」などではなく、ただの「スポーツ」で、「レスリング」などと同じなのでしょうね。
日本人も、もう熱い思いで、日本人力士を贔屓にする必要はないのです。日本人の、その贔屓する歪なファンの「意識」が、モンゴル人の力士の「意識」を追い詰め、徒党を組んでしまうのですから…。
これからの「相撲」は、日本の古いしきたりや風習など、きっぱりと、振り捨てて、もっと明るく楽しく、様変わりしないと、ダメなのでしょうね。だから、時代遅れなチョンマゲもふんどしも、もはや、いらないのでは? それを、一番、願うのは? やはり、モンゴル人かも…。これからは、モンゴル相撲が、日本の「国技」となる?
今回の稀勢の里の「引退」に関しまして、次の歌を傷心であろう稀勢の里に送りたいと存じます。
———————————————————-
歌詞
「もうダメさ これ以上は前に進めない
そんな日が 誰にだってある
だけど 雨でも晴れても何でもいつでも
その気になりゃ 何度でもやり直せる 何度でも
これからのことを思うと 負けそうになる
心配なことがあって しゃがみそうになる
あと少しだけ もう少し 強くならなくちゃ
でも 大切なことはいつも 誰も教えてくれない
だから そうだよ
くじけそうな時こそ 遠くを見るんだよ
チャンスは何度でも 君のそばに
この道の先に何が待ってるのかなんてこと わかるわけない
答えがあっても無くても YesでもNoでも
決めた道を行くしかないさ あるだろ? そんな時
青春と呼べた 時代は過ぎたのに
今でも心の奥に 風が吹き抜ける
優しい人にばかり 悲しみが降り掛かる
報われないことが ここには多すぎる
だけど そうだよ
どんな時も 信じることをやめないで
きっと チャンスは何度でも 君のそばに
だから そうだよ
くじけそうな時こそ 遠くを見るんだよ
見えない このスタートラインから またここから
きっと そうだよ
いつかきっと 真心が何かに変わるんだよ
そうさ チャンスは何度でも いつも君のそばに」
———————————————————-
胸にジ~ンときます…。
「その気になりゃ 何度でもやり直せる 何度でも」「くじけそうな時こそ 遠くを見るんだよ」「きっと チャンスは何度でも 君のそばに」「いつかきっと 真心が何かに変わるんだよ」
日本語の、いえ、言葉の「力」を感じます。
そして、信念の人、稀勢の里横綱にピッタリの「信念の詩」も…。
———————————————————-
「信念の詩」ナポレオン・ヒル
負けると思ったらあなたは負ける。負けてなるものかと思えば負けない。
勝ちたいと思っても、勝てないのではないかと思ったら、
あなたは勝てない。
負けるんじゃないか、と思ったら、あなたはもう負けている。
世の中を見渡してほしい。
最後まであきらめず、成功を願い続けた人だけが、成功しているではないか。
ならば、あなたの願いが、願い続ける想いが、あなたのすべてを決めるのだ。
自信をもちたい、向上したい、そうなるには、その想いが必要だ。
その想いが、あなたをそうさせるのだ。
勝利を手にするものは、必ずしも強い人ではなく、
もっともすばしっこい人でもない。
“私はできる” そう考えている人が、最後に勝つのだ。
———————————————————-
この「詩」は、どうも、ナポレオン・ヒルの「詩」ではないようですが…。
もしも、この「詩」を、稀勢の里さんが、苦境の現役時代に、知っていたら…。
それはともかく、何はともあれ、引退後の稀勢の里さんが「幸多くあれ」と祈るばかりです…。
これからが、第二の人生の始まりで、「スタートライン」のときで、この「信念の詩」を参考にして欲しいです。
「信念」とは、則ち「意識」で強い「意志」で、「覚悟」なのですね。
稀勢の里さん、本当に、本当に、「お疲れ様、ご苦労様」でした。
そして、日本人の誇りを「お蔭様」で、ありがとうございました。
感謝、感謝、感謝、で、いっぱいです。
タグを削除:カウンセリング、三宅麗子、大阪、心理カウンセラー、横綱引退、潜在意識、稀勢の里