心のお薬になる本(44)『神のささやき』迫登茂子/著
この(44)「心のお薬になる本」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる本(44)
◆『神のささやき』迫登茂子/著
『神のささやき』の著者迫登茂子は、神から選ばれし人で、知る人ぞ知る自動書記で「神のお使い」をされている方です。
神なんていないという人は、日本でも多くなりましたが、この本『神のささやき』を読むと、神なぞ信じられないという人も、その考えが変わるのではないでしょうか?
神さまの話をすると、なぜか「宗教」と思われがちですが、もう人類は人間が作った宗教は必要ない時代なのです。
特に宗教団体は、一切必要ないと思います。
世の中に宗教がなくなれば、戦争もなくなります。
もはや、人類ひとり一人が自分の中の「神=カミ」を信仰し、磨くべきトキです。
この迫登茂子氏は、神から選ばれし人ですが、そういう人たちが得てして通る道は、周囲にそそのかされてか、宗教団体を作ってしまうことですが、迫氏は、決しそういうバカで愚かな真似はなさいません。
その理由は、この人の周りにはまともな神主や宮司がいたからでしょう。
それにも関らず、今の日本人の精神の荒廃は、やっぱり、税金が免除されている神道界や宗教界の怠慢と考えざるをえませんが…。
そもそも、普通一般人の迫登茂子氏に神がかりしたということも、もう神は日本の宗教家に愛想を尽かしておられるのではないでしょうか。
本来ならば、神主か宮司に神が降りればいいことなのですから、もう日本の宗教界には、神のお役に立つ人物がいないということか?
宗教界に生きる人間は、神を降ろせない自分の身に少しは恥を知らねば…。
結局、彼らも神を信じていないからでしょうね。
崇高な神主や宮司は、もはや人握りの数なのでしょう。
由緒ある神社や仏閣だけが、雲の上の裕福な環境で、他の下っ端の神社などは経済的に大変なので、当たり前といえば当たり前の現象なのでしょう。
伊勢遷宮の納付金で、地方の神社が経営難に陥っているという話を聞くと、崇高な理想や真理だけではオマンマは食えないのでしょう。
どの世界にいっても、平等はありえないのでしょうね。
私は迫氏の本を読んで、神さまゴトを実行するにも、オカネが無ければ、神社にすら参拝できないので、やっぱり選ばれし人は、年金や恩給のある人でないと、神も選ばないのでは?
とちょっと不遜なコトを考えてしまいましたが…。
現実に、神主を目指し、挫折した人間のしもじものひがんだ考えなのでしょう。
反省することしきりです。
話しは脱線しましたが、最初に、迫氏の『自分のこころに気づく本』を読んで、『神のささやき』を読みたいと思いました。
『自分のこころにきづく本』より、
「この世に こわいものはありません
こわいのは 自分のこころだけです
まちがってなかったら
折れたりしないで こころに正直であってほしい
正直に 意志をつらぬきない
世のなかが悪い と
人のせいにするのは ずるいことです
自分のこころに正直であれば
この世はいつも まっすぐです」
お写真もなんと高貴で、波動の素晴らしいお人でしょう。やっぱり想像した通りの間違いのない「神の天使」様でした…。
迫氏は『神のささやき』の冒頭で書かれています。
「世の中、常識と非常識の分けると、私はどうやら非常識の部類にはいるようです。が、この非常識から学ぶことがとても多いのです」と…。
迫氏に、神は「体借りたり。意のままにならむことも多し」ということばを降ろされています。
一体、神は迫氏の体を借りて、何を、この世の私たちに伝えてかったのでしょうか?
神は「ことば」や「日記」という方法で、何を使えたかったのか?
本では、それは大きく分けて二つある。
①「日本のあり方」と②「私たちのあり方」だと…。
①は、天は「日本のあり方」をとても心配されています。
なぜなら、日本は世界の雛形で、日本のあり様がそのまま世界のあり様となるからです。と。
この本を読めばそれがよくわかります。
②は、私たち日本人がどのような心根を持つべきかも、天はいろいろな「ことば」で語られています。(中略)
IT社会と言われる現代には、いろいろな情報が溢れ返っています。
虚実は入り乱れ、真実と事実の見極めがより難しい状況です。
そんな中に身を置いている私たちが、”真(まこと)を見る”には、どうしたらいいのでしょうか。
それには、まず、人間の本質を知ることです。
「人間本来、形にあらず。包まれし霊魂(みたま)受け継ぎ、かすかな衣に包まれし宝物なり。植えて育てる植物のように、育てる心にて育つものなれば、肥し水やりこそ大事。姿形にとらわれることなかれ」と…。
さらに、人間の本質は肉体にあるのではなく、魂にあるというのですから、肉体の目で見るのではなく、心で視るようにすることです。心で視るというのは、神向きに生きるということです。神向きに生きると魂が清められて、天から眺めたときに光り輝いて見え、それが目印となって交流をとりやすいようです。手が差し伸べられやすいというコトです。と…。
私は、自慢じゃないですが、本質を探るカウンセリングをやっておりますので、自分の考えが間違っていなかったと、
この迫氏の本を読んで、つくづく感無量でした…。
また、迫氏は、魂の重要さも訴えておられますが、その意見にも、納得しきりです。
これからのカウンセリングの方向を示されているようで、この本を読んで、勇気リンリン、心ルンルンです。
心の病いはもはや精神科医や薬では治せないということが、やっと認知されようとしています。
皮肉なことに精神科医や精神薬がもてはやされ、メジャーになるにつれて、それと反比例して、賢い人々は、その無力さに気づきはじめました。
良心的な精神科医は薬の危険性を指摘する人も出てきました。
「陰極めれば陽となり、陽極めれば陰になる」でしょうか…。
だったら、悩める人々はどうすればいいのか?
そこで、この『神のささやき』をお読み頂ければ、少しはあなたの心の悩みも軽減するのではないでしょうか。