心のお薬になる本(27)『われわれはなぜ死ぬのか』柳澤桂子/著
この(27)「心のお薬になる本」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★心のお薬になる本(27)
◆『われわれはなぜ死ぬのか―死の生命科学』柳澤桂子/著
著者柳澤桂子氏は、生命科学者やサイエンスライターやエッセイストや歌人といくつもの肩書きを持つ才女ですが、若い頃より原因不明の難病を発病して入退院を繰り替えされます。
常に死と向き合わせの彼女だからこそ、読み応えのある本です。
人は、この世に生を受けて、一度でも「死」を考えたことがないという人は、いないのではないでしょうか?
老いも若きも、男も女も、ある程度の、物心がつけば、「死」の不安が漠然と起ってくるものです。万が一、「死」なんか全く考えたコトはない、という人は、「生」というモノも実感としておられないといえるのかも…。
当社の社長である浜田は、若い時に、「死」のコトを考え過ぎて、ノイローゼになって、ヨガの沖先生に治して頂いたと言っています。やはり、デザイナーになるだけあって、神経が繊細というか、普通の人が考えないコトを考え過ぎて、悩むようです。
もしも、あなたが何かのコトで悩み過ぎて、ノイローゼやうつ状態であれば、きっと、神経が繊細過ぎるためというプラスの方に考えて、そういう性格にふさわしい職業を選ぶのもその苦しみから逃れられる方法なのもしれません。
昔の小説作家や芸術家は、神経を病んでいる人も多く、奇人変人と言われる人も多かったのです。もしも、今の世に、彼らが生きていたら、きっと、精神病という刻印を押されるのは間違いないでしょう。でも、彼等は、そういう烙印を押されず、世の中に尊敬される作品の数々を残し、今では、人々の羨望の的にも待っています。
そういう風に考えて見ると、結局、自分の「病気」は、自分が「病気」と認めなければ、なんとか生きていけるものなのかもしれません。
今回、ご紹介する柳澤桂子という人は、科学者でありながら、長い間原因不明の病魔に苦しみながら、それにめげず、様々な分野で活躍して、たくさんの著書も残されています。
そういう著者が、辛い病気の中から、この『われわれはなぜ死ぬのか』を書かれたということに意義があると感じます。病気になるということは、常に「死」からは逃げることはできません。なのに、自分のコトとはまるで関わりのないかの如くに、冷徹な科学者の目線で、「死」を見据えている著者の人間としての、崇高ささえこの本には感じられます。
病気でない普通の人間でも、「死」を客観的に見るという行為は、ある種の覚悟というか心構えが必要だというのに、どっぷり「死」に面している人が書いたということに、著者の病気を立ち向かう、>強い意志が感じられて、本当に勇気が与えられる本だと思いました。
どうか、病気等で悩んでいる人々にお読み頂きたいと切に願ってやみません。
●『われわれはなぜ死ぬのか』の
「私たちは、生れ、成長したあと、老いて死んでゆくものだと思っている、けれどDNAは受精の瞬間から、死に向けて時を刻み始めている。産声をあげる10ヵ月も前から、私たちは死に始めているのだ。生命が36億年の時をへて築きあげたこの巧妙な死の機構とはどのようなものなのだろうか? 私たち生命にとって老化と死は、逃れられない運命なのだろうか? 何故生物には死がプログラムされるようになったのだろうか? これまでだれも語ることのなかった死の進化をたどり、われわれはなぜ死ぬのかを考える。クローン羊、脳死法案など死を生命の倫理が問われる現在、生命科学者柳澤桂子が死の本質に迫る画期的な書。「内扉の文章」より。