直観ひとりごと(61)人間は考える葦である、今の世は「哲学」が己の身を救う!
この(61)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(61)
◆人間は考える葦である、今の世は「哲学」が己の身を救う!
今日は、「哲学」のお話です。今、それがとっても大事って感じるんです。
哲学なんて難しくいうといけませんね。ますます、遠のいてしまいます。
「シンプル イズ ベスト」から離れてしまいますものね。
哲学って、簡単にいうと、小さい子どもがよく言う「なぜ?」です。そう、「なぜ?」
小さい子どもと違うのは、自分自身に問う、己に自問自答すること!
若い頃はよく悩んだ経験のある方でも、大人になるにつれて、「なぜ?」がなくなるのです。
だけど、人間が、考える事をやめたら、人間でなくなります。
日本人は、いつから、考えることを放棄してしまったのでしょうか?
それは、頭で考えるクセが出来てしまってから、ではないでしょうか?
心で考える(魂で神帰る)、ことをしなくなってからでは?
学校の教育で、国語、古文、歴史(日本史)、道徳、倫理等に、力を入れなくなってからでは?
要するに、日本人が日本人としての基礎を確認する作業をやめたときからでは?
それをすると、何か変、ヤバイ、なんか辻褄が合わなくなってしまう。だから…。
子どもに聞かれても、答えられないコトがこの世にいっぱいある!
わからなくても、日本人は、言葉言霊、コト揚げしない国だからと、自分で納得させてしまうのでしょうか?
コト揚げしないことと、考えないこととは、全く違うというのに…。
思念思索することが、その人間を、崇高な人間たらしめる。
昔の日本人は、人に聞いてもわからないコトや、解決できないコトは、ひとりで瞑想したのですね。
そして、ひとりで納得する、だから、コト揚げしないのです。
今現在、日本人が一番知りたいと思っている原発事故の情報等は、政府にどんなに強く要求しても、私たちが欲しい事実はでてこない…。
出せる情報だったら、とっくに出しているんです。
たとえ、出したとしても、どれが事実で、どれがウソなのか、全くわからないかもしれません。
出している当事者たちも…。
今まで、何十年にもわたって、ウソを言ってきたのだから、これからも都合の悪いことは、ウソを付き通すでしょう。下
手をすれば、あの世まで、墓場まで持って行こうという根性(?)のある輩もいるでしょう。
あるいは、真実を暴く人間は命が危ないかも…。
人間って、生死にかかわることや、損得にかかわることや、刑罰にかかわることなんて、絶対に、事実を言わないのですよ。
だから、今後こういう問題が二度と起こらないように、かつて原発推進に実際にかかわった政治家や官僚たちを、避難を余儀なくされている福島の人たちに対して、謝罪させること。謝りに訪れた政治家っていますか?
それをマスコミが率先して、追求することでしょうか?
いくら、菅さんが謝罪しに行っても、自分には責任はないと思っているのです。
だから、心からの謝罪には決してならないのです。かかわった人間に謝罪させなければ…。
そうすれば、国中のエリート層が犯罪人?
一体、どうすれば、これからの変革の時代を無事、乗り切れるのか?
それには、私たち一般庶民が、ひとり一人、真摯に「哲学」するしかありません。
宗教に凝るよりも、心理学に凝るよりも、今は、「なぜ?」の思いを巡らせましょう。。
頭で考えるよりも、心(魂)で感じましょう。
最初は、漠然とした答えしかかえってきませんが、いずれ、モヤモヤがきえて、なんとなく感じてくるものですから…。
頭に刺激を一発食らわせるのもいいかもしれません。
刺激とは、日常の決まりきった行動から、全く違う行動をするということです。
たとえば、テレビ漬けの人は、1週間ほど、テレビから遠ざかり、ペーパーメディア漬けになるとか。
あるいは、三度三度の食事で、全く食べないものを食べてみるとか。
タンスの奥や、引き出しの底に眠る、忘れ去られた衣類を引っ張りだしてきてみるとか。
テレビ番組を、教育テレビだけに絞るとか。
嫌いなタレントの番組をじっくり見るとか。
いろいろ自分で工夫してみて下さい。
これは、落ち込んでいる時や気分を一掃したいときにも効果的ですが…。
それが、心眼を鍛えることにもなるのですね。
きっと、「なぜ?」ということが自然に沸いてくるようになるかもしれません。
そうすれば、事実、真実は、見えてくる、かな~。
「人間は考える葦である」。では、考えることを放棄したら…。
ペット以下では? ペットでも首を傾げて考えていますよ。
では、ただのお猿さん?
日本人をもじった「猿の惑星」という映画が、また今年、上映されるそうですね。
バカな私たちはかつて、猿が日本人なんて気づかず、喜んで鑑賞していたのですよ。
そんな映画をアメリカ人が創るなんて、結局、日本人が怖いんでしょうね~。
だから、人間と見なしたくない?
いえいえ、猿以下、家畜に等しいかも。
獰猛な人間に食われておしまい、いえいえ、モルモットとしての役割で利用されている。
これ以上、モルモットにされないように、「なぜ?」があなたを守るじゅ文となるのですね。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。