直観ひとりごと(54)日本人には日本人として後世に伝えるべき「言葉」がある。
この(54)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(54)
◆日本人には日本人として後世に伝えるべき「言葉」がある。
今日は、日本人が忘れてはいけないし、後世に伝えるべき「言葉」のお話です。
数年前から、ハワイからの「ホ・オポノポノ」が流行っています。
しかし、日本人には、日本人の使命としてこの地球で守るべき、言葉があるのではないでしょうか?
最近、それをとても強く感じます。
その日本人の言葉とは、「ありがとう」「もったいない」「おかげさまで」の三つです。
この言葉は、英語には訳せないそうです。
たとえ訳せても、似て非なる意味になるそうです。ニュアンスというか、精神というか、やっぱりその言霊が伝わらない…。
だから、日本人しか、理解できないのではないでしょうか?
いえいえ、もう日本人でも無理なのでは?
英語を絶対視し、日本をないがしろにする心ない日本人には?
2000年前の、古にも先住民の言葉や文字を無視して、「漢字」を無理強いした人々のように…。
そういう人たちだから、朝鮮から言葉を奪うのは何の心の痛みも感じなかったのか?
心ないとは、人間の心がない、では、動物の心? いえいえ、動物にも失礼でしょう…。
それはともかく、「ありがとう」というのは、英語の「サンキュー」ではないのですね。決して…。
「ありがとう」という言葉は、この世の中での有り得べきコト、あるいは有り難きコトが、己の身に起きたコトなので、それに対して、感謝の心や敬虔な気持ちや畏敬の念が伴い、それが音となったのが「ありがとう」という言葉なのです。
また、「もったいない」という言葉は、ある女性の外国人が広めているような、物に対して粗末に扱ってはいけないという意味だけではないのです。
もっと大事な、本来の意味はちょっと違っているのです。
「もったいない」とは、過文のことで畏れ多い、あるいは身に余る光栄でかたじけない等という意味なのですね。その心情は、やはり、感謝や敬虔や畏敬の念が入っているのです。
また、「おかげさまで」も、こんな拙い自分のためにご足労ねがって、あるいは、相手の過分な親切に対して申しわけなく、等という、やっぱり相手への感謝や敬虔や畏敬の念が込められているのです。
その微妙なニュアンスは、日本人にしか分かりません。いえいえ、もう日本人にもわからない…。
だから、日本人といっても、小さい時から海外で暮らす人は、もう日本人であっても日本人ではないそうです。
小学生までは、きっちり日本語を修得しないと日本人としての感性は生まれないそうです。
それは、以前、このブログでも紹介しました角田忠信野『日本人の脳』にも書かれていますよね。
だから、昔の日本人は、相手を思いやる心や、相手にへりぐだる心や相手を敬う心などは、日常、普通に日本語の言葉を使うことで、意識せずに、潜在意識に蓄積されて持っていたのではないでしょうか?
だから、「申し訳ございません」「すみません」等も真摯に心から言えば、相手の気持ちも和むのでしょう。
それゆえに、日本語は美しいと言われる所以でもあります。
何も日本語そのものが美しいのではなく、その日本語に思いを乗せる、心を運ぶ、魂を伝える、からその響きが、美しいと感じるのではないでしょうか?
だから、人間ならば、どの国の人にでもなんとなく心地がよいと感じられる…。
世界中で、一番、美味しい食べ物は、日本食(和食)?
一番、美しい衣服は、着物(和服)?
一番、美しい山は、富士山?
一番、美しい言葉は、日本語(和語)?
もう、和語もなくなりましたが…。
余談ですが、アイウエオの「イ」とワヰウヱオの「ヰ」は、昔がきっちり区別されていましたが、今では、ヰはなくなりました。
この「ヰ」は神社の鳥居を表して、悟りという意味だそうですよ、いわば、「ヰ」は「イ」よりもたいせつな文字だったのではないでしょうか?
もっと昔は、「アイウエオ」のイエも「ヤイユエヨ」のイエも「ワヰウヱオ」のヰヱも、ちゃんと別々な文字としてあったそうですよ。そう、五十音。私はこれでもまだ不完全だと感じますが…。
それはまたの機会にして、それらを、「い」とも簡単に捨て去るのはなぜ?
教育問題でも、あの教育委員会という会は、一体、どういう人たちで構成されているのでしょうか?
マスコミのどなたか、調べて頂けませんか? でないと、いっこうにイジメ問題もなくなりませんよ。
横道にそれましたが、次になくなるのは、本当に、日本語でしょうね。
国を表すのは、領土と法律と言葉だそうです。
領土は段々少なくなっています。法律は白人から押しつけられた法律です。
言葉は乱れに乱れ切っています。
言霊の抜け殻のようなカタカナ英語と巻き舌言葉で…。
われわれ、団塊の世代の役目が…。
もう仕事から離れて、やることがないと生きがいを無くしている人々が、これからは、この日本語を後世の子孫、いえ、地球人に残していくために、何かを成さねばなりません。
それには、まず、この三つの言葉、「ありがとう」「もったいない」「おかげさまで」を孫に教えましょう。
私は、一番、「おかげさまで」を教えて頂きたいと思っています。
自分は、一人で生きているのではない。誰かのために生かされている。また、目に見えない何かにとって、生かされている。
また、感謝される人は、本来、陰のような存在で、目立ってはいけないのですね。
前にしゃしゃり出る人は、要注意…。真の人物は、ひっそりと陰徳を積むのでしょうね。
私は、十年以上も前に、ある人からスポークスマンの役目をする使命、と言われました。
スポークスマンとは、代弁者。
一体、何の代弁者なのか、誰の代弁者なのか、トント分からない。
それを悟るために、四苦八苦、七転八倒、しているような人生です。
でも、それを悟るまでは、死んでも死にきれないという思い。
死ぬまで、それを追い求める、探し求めるのでしょう。
何か、分からないモノなのに…。いまだにそれが悟れない。
本当は、こういうブログも書きたくない。ひっそりと生きて行きたいだけなのに…。
それも、名前のせいだと自分では覚悟しておりますが…。
でも、悟れないまでも、腹でしっかり納得すれば、楽しい人生とも言えるのですね。
人からも羨ましがられることが、やっと素直な気持ちで「ありがとう」「もったいないです」「おかげさまで…」といえるようになりました。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。