直観ひとりごと(145)「ポケモンgo」をやらない「勇気」を持とう!公言する「勇気」を持とう!
この(145)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(145)
◆「ポケモンgo」をやらない「勇気」を持とう!公言する「勇気」を持とう!
全世界で社会化現象が起きていると、マスコミに煽られる「ポケモンgo」が、とうとう日本にも上陸! と言われて熱狂する「日本人」って?
でも、作られた流行やブームは、一過性で終わるのは、世の常でしょう。
単純なゲームは、誰でもが夢中になりやすいが、その分、飽きられるのも早いのです。
昨年から発信された「ポケモンgo」は、なぜ日本では今年に伸びたのか?
日本のマーケットがいつも一足遅れというのが、とっても気になります。
それは、いつも偶然とは思えない、用意周到なマーケティング戦略で、第二の「ポケモンgo」ブームを人工的につくる必要があるのでしょう。
だから、マスコミが騒げば騒ぐほど、海外ではそろそろ下火になってきている証拠かも?
「ポケモン」のキャラクターは、日本発なのに、なぜか任天堂が主導権を握ってはいないそうな…。
Googleが絡んでいるそうで、やっぱり、「位置情報」が関係するゲームって、とっても危険。
私は、最近つくづく感じます。
人と同じことをしない「勇気」って、これからの「個」が生きる時代には、とっても大切なコトだと…。
スマホをやらない「勇気」。
SNSをやらない「勇気」。
テレビを見ない「勇気」。
マスコミを信じない「勇気」。
外国に行かない「勇気」。
パソコンを学ばない「勇気」。
ダンスを学ばない「勇気」。
英語を学ばない「勇気」。
都会に住まない「勇気」。
医者にかからない「勇気」。
薬を飲まない「勇気」。
牛肉を食べない「勇気」。
化粧品を使わない「勇気」。
人とつるまない「勇気」。
悪口を言わない「勇気」。
人の目を気にしない「勇気」。
いじめをしない「勇気」。
加害者にならない「勇気」。
悪を働かない「勇気」。
「ポケモンgo」をやらない「勇気」等々。
これらを実行するのは、至難の業がいりますが…。
これは、ベストセラーの本『嫌われる勇気』からヒントを得たんですが、この本は人間の心理のパラドックスを表しているとつくづく感じます。
なぜならば、私も含めて、皆さん、「嫌われる勇気」が必要なんかではなくて、本当は、「嫌う勇気」を手放すコトが重要なんですね。
「嫌われる勇気」よりも、「嫌われる」とか「嫌い」なんていう、「コトバ」を意識から無くす勇気、まったく気にしない勇気のほうが、大事なことでは?
どういうコトかというと、みんな、「嫌われる」被害者なんかではなくて、私も含め大勢の人は、いつの間にか「嫌う」加害者になりさがるんですよ。知らない内に…。気が付かない間に…。意識しないのにも関わらず…。
自分は嫌われる「被害者」だと思い込んでいる人も、実は、本当は、知らない間に、嫌う「加害者」に回っている、なんてことも…。
例えば、今回の「東京都知事選」が、いい例です。
「小池百合子氏を嫌う人」はとっても多い。
きっと、『嫌われる勇気』の本が大好きな人ほど、小池百合子氏を嫌っているのでは?
会ったこともない人を「嫌う」という深層心理は、本当は、その人の嫌な部分が目に付き、鼻に付くからで、それはとりもなおさず、ご自分の中に、その同じ嫌な部分があって、それを、自分自身が認めたくない、無視できないから、相手のその部分に、意識的に、過剰に反応してしまう、のです。
自分の中に、そういう刺さる部分がなければ、相手のそういう部分も決して気にならない、意識しないのです。
だから、小池氏の嫌いな部分は、日本人のほとんどが、持っている嫌な部分なのです。
しかし、小池氏の嫌いな部分って、多分にマスコミ操作された、つくられた人工的な「シロモノ」です。
人間だから、悪すぎる評判の人って、多分に貶められた感があり、また、その反対に善すぎる評判の人も、眉唾モノの人が多いのは、やっぱり、情報操作で、つくられたイメージが先行するので、ちょっと用心が必要でしょう。
小物政治家の野々村竜太郎議員問題も、弱いものいじめの、マスコミいじめで、犯罪者にまつりあげ、これは、氷山の一角で、彼にやり方を伝授したもっと悪い奴がいて、それは一人や二人ではなくて、今のぬくぬくと、議員づらをして報酬を受け取っている…。結局、そういう連中は、今も藪の中…。
ある意味、国会議員も地方議員も全員「黒」で、今回、もしも小池氏が当選したら、敵対する陣営は、権力にモノを言わせ、マスコミを通じ、「小池降ろし」に回るでしょうが、そのときこそ、皆さん、じっくり、「真の悪者」は誰なのか? を見抜く目を養いましょう。
そして、小池氏が引きずり降ろされたならば、国民が一丸となって、徹底的に、自分の目で真相を直観いたしましょう。そのために、「週刊文春」の存在意義がある?
ご自分の直観力を駆使して、そのイメージは本物か偽者かを判断しなければ、やっぱり、最終的に国を滅ぼすのは、無知な国民、ということになるでしょう。
テレビで、ある尊敬する女性までもが、小池氏を批判していて、私は、ちょっとがっかりしました。やっぱり、立派な女性でも、そういう部分が「ある」のでしょう。あるから無視できない…。
私にも小池氏と同じような嫌な部分がいっぱいありますが、その部分を、今では、私自身が嫌いにならず、自分の中で、認めるというか理解することができるので、だから、彼女を嫌いにならずに、冷静に、彼女にしかない「良さ」も見えてくるのです。
それが、できれば、自分の中の「良さ」にも「自信」が出来てきて、やっぱり、人間は同じなんだという「考え」に落ち着いていくんですね。
話は、「ポケモンgo」から、「小池氏」の話題にそれてしまいましたが、本当は、関係があって、これも同じコトなんですね。
それは、「ポケモンgo」をする人も、結局、自分に自信のない人や、何もすることがない人が多い、ということの「現れ」なのです。
同じことをしてつながりたい、分かち合いたい、という、寂しい人が多い証拠なのかも?
「ポケモンgo」をして、得をする人は?
あなたは、「ポケモンgo」で、貴重な時間を無駄にしていませんか?
「ポケモンgo」よりも、するべき大事なことは?
人と同じことをして、楽しいですか?
人間として、何か進化向上しますか?
結局、孤独になるのが怖い?
結局、モノを介さないと、人と交われないって、ちょっと怖い?
モノが人を制覇する世の中って、とっても怖い?
いずれ、人がいなくなり、モノだけの地球になる?
でも、人間として、一番ダメなコトは、「人がやるからやる」というコトで、やりたくもないのにも関わらずやるのは、人間として、自立した、「意識」がないというコトにつながるのでしょうね。
本当に、「ポケモンgo」しか、やることがないですか?
「ポケモンgo」以上に、貴重なコトは、あなたにはないですか?
もしも、そうであれば、もう、私ごときが、何もいうことはないのです。
結局、問題なのは、それをダメといえる「勇気」ある大人が皆無ということでしょうか???
勇気ある人間になる「勇気」が足りない???
この「ポケモンgo」の社会化現象に、一言、言える「勇気」を私は持ちたい!!!
「ポケモンgo」をやらない「勇気」を持とう!
「ポケモンgo」をやらない「勇気」を持とう!
「ポケモンgo」をやらない「勇気」を持とう!
それを、公言する「勇気」を持とう! あなたも私も…。