直観ひとりごと(291)コロナ禍のなか、心に残った2020オリンピック!
この(291)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(291)
◆コロナ禍のなか、心に残った2020オリンピック!
オリンピックも無事終わって、いろんな物語が見る人の心に感動を呼び起こしました。
当初は、オリンピックに反対だった人たち(私も)も、やっぱり、作り物でない真摯なストーリー性に圧倒されたことでしょう。
私は今回のオリンピックでは、ある一人の選手に注目していましたが、残念ながらテレビでは放映されずに、結果だけが空しく心にヒビキました。
その人の名は、31才の男子背泳ぎの「入江陵介選手」。
彼のインタビューは、本当に彼の人柄が滲み出ているようで、聞いていて、この人ほど、日本人の美徳を備えた人はいないなぁ~と、心が洗われるようでした。試合の勝ち負けを超えて、何か、崇高な、近寄り難い、仙人のような雰囲気が漂います。だから本当は、こういう人は、勝負の世界に入ってはいけない人なのかなぁ~と、イタク感じた次第です。
これからは後輩の育成に尽力を尽くしていただきたいと思います。
入江陵介選手、本当に長い間、お疲れさまでした。ありがとうございます。
今回の大会は、日本での開催ということもあって、日本人の良さも悪さも垣間見られた感じがいたします。金メダルを取った選手はもちろんですが、逃した選手の中にも光輝いて人はたくさんいました。そういう人のほうが、見ている人間には心に刺さってまいります。
或いは、金メダルを取れるとは思っていなかった人が、予期せぬ幸運に恵まれて、思いがけず手にしたトキの喜びようや、取れると誰もが期待したのに一瞬の気の迷いで手指からすり抜けて悔し涙にくれた人々も…。見ていて、私までがおなじように戦って負けたような悔しさを感じたことが何度もありました…。
試合以外でも、感じたことがありました。卓球の水谷隼選手が試合に勝ったあと、張本智和選手が思いがけず走り寄って、水谷選手に抱き着いたシーンには、ちょっと日本人としては違和感を感じました。なぜならば、ああいう行為は昔の日本人ならば、決してしないのですね。
日本人は、一人だけ目立つ行為は取らないのです。それは日本人の謙譲の美徳に反するのです。相手との調和を重んじて、へりくだる奥ゆかしさを日本人はもっとも価値あるものと思うのからなのでしょうね。
日本人の模範のような丹羽孝希選手に比して、張本選手はまるで隣国の選手のようで、見ている私たちも、何か違和感を禁じ得ませんでした…。きっと、水谷選手も、丹羽選手も、張本選手の行為をちょっと「うざい」と感じたのではないでしょうか。本当に微妙なんですね~。日本人って…。
その微妙さを、微妙と感じず、当たり前と思うことができれば、そのときは、本当に日本人に、いえ日本人の心を持つ、真の日本人といえるのでしょうね。故に、テニスの大坂選手は、まだまだ真の日本人とは言えないのでは…。
なぜならば、日本人である証拠は、試合が終わったあとのインタビューのコメントでよく分るのです。ほとんどの日本人は、勝っても負けても、まずは、「感謝」の言葉が出るのですね。自然に…。そして、勝った人は負けた人のことを鑑み、ちょっと抑えたようなコメントになる…。嬉しさを表わしていても、その中には、敗者の心も感じているのですね。そして、負けた人は、悔しさを心に隠して、精一杯、平常心を保つことに努力するのですね。それが、日本人の心なのでしょうね。それが日本の美徳なのでしょうね。だから、世界から好かれるのでしょうね。
だからこそ、日本人は、世界中から、称えられる民族なのでしょうね。でも、そういう日本人もダンダン少なくなってくるように感じてなりません。意識すら、欧米化されて、合理的、理論的が良しとされる中で、やっぱり、人としては、常に相手があることを意識する日本人的生き方がこれからの未来においては、一番必要なことなのでしょうね。その謙譲の美徳を忘れたトキは、日本人は世界から排除されるのです…。
もっといろいろ、オリンピックの試合も見ていて、感じたことはあるのですが、皆さんも、ちょって目線を変えて、「日本人の心」という目線でモノコトを見られると、また違った世界が見えてくるかもしれませんよね。100人いれば、100の意識の世界が広がっています。
閉会式は、盆踊りでやっと、日本人らしさが現れたと感じましたが、それ以外に、もっと日本を表現する方法はなかったのかと、ちょっと残念ではありました。先のブログで盆踊りのことを書いたので、それが出てきたので、ちょっとビックリ!
しかし、今回は、とにかくすべてに中途半端さが感じられてなりません。指導者欠如、リーダー不在がこれほど感じたことはありませんでした。やっぱり、モノコトには、中心になる、核がなければ、何事もだめなのだとイタク感じました、日本には、幸い核がありますので安心ですが…。
とにかく、競技全体が、苛酷なスポーツから、スポーツとは言えないような遊び感覚の試合が増えたのが、ちょっと気になりました。人類にとって、それが良いのか悪いのかは、誰もわからないので、もう少し時間がかかるのでしょうか…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。