直観ひとりごと(99)「義務教育」よりも「人間に成る教育」を!
この(99)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(99)
◆「義務教育」よりも「人間に成る教育」を!
昨今の、ネット投稿での、悪ふざけ画像には、目に余るものがあります。昔は、殆どが男の悪ふざけが多かったのですが、最近は、女の悪ふざけが目に余ります。
それも、若い女の子が一人ではなく、二人以上で行うという傾向があります。
人間の心理として、一人ではする勇気がないが、だれかと「ツルム」と何でも平気でできてしまう。
一人一人の心根はそんなに悪くない子が多いのですが…。
「赤信号、みんなで渡れば怖いない!」日本人の一番悪い「気質」が、日に日にエスカレートしています。
昨今は、心の悩みで病気になる女性も多いけれど、他人の迷惑も感じず、恥も外聞もなく、平気でコトを起こしてしまう「女」も多くなっている!
女性が健全でない国は、いずれ滅びる運命にあります。
なぜならば、女性が子どもを産み、その子が最初に接するのは、母親である女性なのです。それに影響されるのは、鳥のヒナが最初に見た動くモノを母親と錯覚するのと同じで、子どもも母親に左右されてしまうのです。
だから、「三つ子の魂百まで」という諺が今でも生き続けているのでしょう。
日本の女性は、いつから、子どもの「躾け」に手を抜くようになってしまったのか?
余りにも西洋文化を信奉し過ぎた西洋かぶれの人間のせいからでしょうか?
女性の教育を重要視し過ぎた、勇気ある(?)明治の女性からでしょうか?
学校教育を絶対視し過ぎたゆえの、「躾け」軽視なのでしょう。
その結果、女性には「躾け」の大切さよりも、賢い(?)女性を育てる「義務教育」の方が大事という意識が浸透し過ぎた…。
だから、そのせいか、今では、日本は、全国津々浦々まで、義務教育が行き届いた、自慢すべき(?)教育国家と言われます。文盲も一人もいないと信じられています。キメの細かい教育は、全世界から、羨望の眼差しで見られていると自負していたのです。かつては…。
それほど必要で素晴らしい「義務教育」であったなら、なぜ、いじめやいじめ自殺や登校拒否や学校崩壊が起こるのでしょうか?
全教育委員会のお歴々に、答えを求めたい。
昔々は、義務教育を受けていない母親が大半でした。それでも、子どもは母親から悪い影響はあまり受けず、まだ反対に、教育の行き届かない貧乏な家庭の子どもの方が全うな人間として成長することも多々ありました。教育を受けさせてやれないという親の思い(負い目)が、子どもを精神的に慈しむという無意識の行為(愛情)となっていたのではないでしょうか…。
今では、殆どの女子が、大学まで進み、或いは、短大や専門学校に通い、高校卒ですぐに働くという子は珍しい存在です。昔、中学卒の子どもは「金の卵」と言われましたが、今では高校卒が「金の卵」では…。
今の現象は、無意味な教育が行き届き過ぎていると言っても過言ではなりません。子どもにとってその教育が何の役にも立っていない。行かない方がマシ。要するに、学校に行く必要のない子ども、行ってはいけない子どもまで行かせている。
これは決して差別ではなく、要するに、勉強する気もない人間が、安易に学校へ行き、ダラダラと無駄な人生を歩み、その結果、自分の生きる人生に血迷ってしまうという悪い結果が起こっていると言うコトなんです。
勉強至上主義、学校至上主義、教育至上主義の弊害の何物でもない。
その原因は、小さい時期(三才まで)にその子が望む人生を、親が見極めて、育てていないからに他なりません。幼稚園に入学するまでの準備期間に、その子の個性を見抜くことを怠る、その子が何のためにこの世に生れて来て、この世でどういう生き方をしたいのかを、親がしっかりと示してやることを怠る、からなのです。
勉強が好きな子、国語が好きな子、数学が好きな子、英語が好きな子、社会が好きな子、理科が好きな子、書くのが好きな子。
音楽が好きな子、歌が好きな子、ダンスが好きな子、工作が好きな子、絵が好きな子、習字が好きな子、実験が好きな子。
家庭科が好きな子、料理が好きな子、お菓子が好きな子、魚が好きな子、牛が好きな子、動物が好きな子、草いじりが好きな子、畑仕事が好きな子。
喋るのが好きな子、商売が好きな子、人が好きな子、星空が好きな子、旅行が好きな子、家にいるのが好きな子。
などなど、子どもは無限の可能性を秘めた未来の大人です。
自分の子どもがどんなことに興味があるのか、どんなことが好きなのか、子どもの目線で、じっくり寄り添うことが大切なのです。それをおざなりにしている母親が多すぎる…。
「人間である」のは当たり前、でも「人間になる」のは、難しく、親の責任なのです。
「女である」のは当り前、でも「女になる」のは、容易ではない。
「母親である」のは簡単、でも「母親になる」のは、強い意志がいる。
「日本国民である」のは簡単、でも尊敬される「日本人になる」のは、至難の技。
子どもに、「人間」としての最低の躾けもせず、産みっぱなし、放りっぱなし、で子どもの意識を尊重せず、子どもの意志もないがしろにして、ただただ、餌と寝床を与えるだけで、母親としての責任や義務を果たさない。
そして、子どもが手に負えなくなれば、全て学校の責任、国の責任、世の中の責任として、自分の育て方、躾け方には、何の>後悔も反省もないのです。もっとひどくなれば、心の病、心の異常、として子どもを精神病院に放り込んで、やっと安心するのです。
また、子どもは子どもで、親の前だけでは、優等生として、とっても良い子ちゃんを演じます。外で何をしようと全く親には知られないように配慮する。まるで、二重人格、いえ、多重人格を生きるのです。
その結果、悪ふざけ投稿のような「女」がウヨウヨ、ウジ虫のように湧いてきて、親が気が付いた時には、もう手遅れになっている…。
それもこれも、子どもの「魂」を「三つ子」になるまでに、慈しみ、人間らしく、育て、躾けなかった親の責任なのです。
「人間らしく」とは、人間の心を持った人間として育てるというコト。「心」ある人間ということで、「心」ない人間は、「人でない」人間であり、それを日本語では「人でなし」と言うのです。
「人でなし」とは、動物と同じという意味で、それを日本語では「毛者」、「ケダモノ」と言います。
また、「心なし」ということは、「良心」がないということで、「両親」がないと同じで、彼らの意識の中には尊敬に値する「両親」がいないのです。反対に、彼らの心の中には理解しない憎むべき「他人(自分以外の他の人)」が巣食っている…。
そういう若者が増えるにつけ、学校での義務教育よりも、家庭での「躾け」の荒廃が大きな原因ではと痛切に感じています。
それは、国の資格のある人間がやるべきことではなく、まず、若い女性の結婚観や出産目的、強いては、セックスの問題などにも踏み込む覚悟が、日本国民全員に課せられていると思っています。
そうでないと、最早、今の女性の動物化現象、いえ、人間の動物化現象は、誰にも止められません。
私は、自分の子どもを3才前に手放したので、余計、若い人や子どものことがとても気になります。カウンセラーになったのも、罪滅ぼしのためという気持ちで取り組んでいます。
しかし、そういう子どもは、「悪気」も「恥」もないのです。それらがなければ、もう「動物」と同じです。いえ、動物に失礼です。
親が諭してやらねば、一体、誰がそれをやるんでしょう。
決して、学校の先生なんかではありませんよね。
人間として生れて、お天道様に申し訳ない、お蔭様にも顔向けできません。
という気持ちになりませんか、日本人の、大人の、両親の、母親の、「心」あるみなさん!