直観ひとりごと(71)生きる極意、コツとは?
この(71)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(71)
◆生きる極意、コツとは?
最近、ちょっと不思議なことを体験しました。
それは先日の24日の土曜日、その日は朝から雨でした。
お昼から、天神橋の商店街に買い物に行きました。
ブラブラと色々なお店を見ながら、とある一軒のお店に入り、商品を物色したり、また試着したりして…。
結局、そのお店では何も買わずにそこを出て、
暫らく歩いていたら、傘のないことに気がついたので、
あわてて、その店にとって帰したら、もはや、その試着所には、すでに傘は無し、でした(トホホ…)。
幸い、その商店街は長いアーケードになっていたので、雨には濡れませんでしたので、「まあ、いいかあ~」と、
そのまま、買い物を続けたのでした。
そして、それから、帰途に着き、駅から電車に乗る時も、一切濡れることもなく、
「この大雨が、電車を降りるまでに止んで欲しいなあ」なんて、電車の窓硝子をぼんやり見つめていました…。
そして、いよいよ、駅に降り、改札口を出て、大雨に打たれる事を「覚悟」して、歩きはじめました。
そう、覚悟してというか、観念してというか、開き直ってというか…。
その時、ふと「この雨は、私達の貴重な飲み水になってくれているのだ」と強く感じた途端、口から「雨さん、ありがとうこざいます」と自然に声が出たのですね。
そして、ずっと、歩きながら小さな声でずっと「雨さん、ありがとうこざいます」と唱え続けました…。
無念無想とまではいきませんが、とにかく「雨さん、ありがとうこざいます」と…。
すると、今までザアザア降っていたのに、気のせいか、雨あしが、弱まったように感じたんですね。
コートも余り濡れていない? えっ、何で?
でも、そんな疑問もそこそこに、今度はもっともっと、強く意識的に、「雨さん、ありがとうこざいます」と唱え続けて、黙々と歩き続けました…。
家まで15分程かかりますので、その間、ずっとただただ、「雨さん、ありがとうこざいます」と…。
でも、前方を見ると確かに雨はザアザア降っているのです。
でも、余り、コートは濡れていない…。
そして、とうとう家に着き、コートを脱いだら、少しだけ濡れていました…。
頭は、帽子を被っていたのですが、その帽子も、若干だけ…。
でも、雨はザアザア降っている…。
何だか、狐に包まれたような…。
頬っぺたをつねっても、痛いだけ…。
強く念じれば、思いは叶う?
でも、これは、ちょっと違うような気がします。
なぜなら、私は、全く、「雨よ止んで!」とか「雨よ降るな!」とは念じていないのですから…。
今ある現象に捉われずに、タダタダ、ザアザア降る、その雨に感謝しただけ…。
そして、少しだけ、生きる極意というか、コツというか、掴めたような気がしました…。
そうなんですね。マイナスの今ある事柄に意識を向けずに、それをブラスの方向に考えるという事を…。
物事には、必ず「表」と「裏」があり、人間は、良い事はあまり気付かないが、悪い事にはすぐに心が動く。
その悪い事には心を向けず、それの良い事を考えると、ちょっと、今までと違う生き方が出来るのではないでしょうか?
でも、今回はそういう難しい話ではないような…。
そういう難しい事を意識する思惑もダメ、それも人間智のような、何か姑息さがあるようで…。
もっと、自然というか、もっと単純というか、空っぽというか…。
要するに、雨が止んで欲しいという思いがあればダメ、というような…。
降っても降らなくても、どっちでもいいというか…。
濡れても、濡れなくてもいい、濡れたら着変えたらいいだけというか…。
それも、ちょっと違う、濡れるということもどっちでもいいというか…。
うまく言い表せないようですが…。
私も、いつもだったら、傘を無くした事や雨に濡れる事で、気分も落ち込んでしまうところでしたが、それを全く、気にせず、心に留めず、ただただ雨に感謝の心をささげたのです。
こう書くと、何か、やっぱり、いいかっこ、書いているようで恐縮ですが…。
もっと、軽い気持ちというか…。
とにかく、これから、この微妙な「極意」や「コツ」を色々な事に応用しようと決心した次第です。
だから、皆さんにも、実行して頂きたくて、ここに書くことに致しました。
書いていて、ブログの事にも思いいたる。
いままで、ブログを書いていながら、ブログさんに感謝しておりませんでした。すみませんでした。
ブログさん、ありがとう!
そして、読者のみなさん、つたない文章をお読みくださり、ありがとうございます。
これからもぼちぼち、書いていきます。