直観ひとりごと(331)小栗旬の謙虚さ・自信の無さは人への思いやり…。
この(331)「直観ひとりごと」のブログは、カウンセリング歴30余年の大阪の「5時間で1回きり」の「潜在意識の本質と使命とトラウマ」を探る心理カウンセラー&本質セラピスト三宅麗子の投稿頁です。
★直観ひとりごと(331)
◆小栗旬の謙虚さ・自信の無さは人への思いやり…。
NHKの大河ドラマの主役を張る小栗旬。今をときめく彼を扱った「情熱大陸」を見ましたが、彼の人柄がよく滲み出ていて、本当に、好感が持てました。
引っ込み思案というか、謙虚というか、自信のなさというか、そのすべての行為が、周囲の人々に対する思いやり・優しさなのでしょうね。何か、彼は、「自分は主役を張る人間ではない、注目される人間ではない、何かに認められて、チヤホヤされるのは、申し訳ない」という思いなのでしょうね~。その健気な態度が、多くの人々を魅了するのでしょうね。もちろん、ご本人は気づいていないでしょうが…。
人間って、才能があればあるほど、己を忘れて高慢になり、奢り高ぶるものですが、真の人間ほど、自分を厳しく見つめる故に、かえって、自信がないように見えるものです。だから、その反動として、他者への思いやりとなって表れるのでしょうね。その謙虚さや思いやり故、益々周りから人が寄って来て、結局、後ろから押されるように、周囲を束ねる存在者となるのでしょうね。そういう人が、真のリーダーや指導者としての素質がある人と言えるのでしょう。正にそういう存在が「小栗旬」なのでしょうか…。
今の世は、目立ちたい、注目されたいばかりに、「我が、我が」で生きている人がホント、多いですが、そうではなくて、その反対に、あまり目立つのも苦手て、前にシャシャリ出たくなくて、中心人物になりたくないという人こそが、本当は周囲や世間から待望視される人なのでしょうね。それが、「小栗旬」であることには、間違いのない事実でしょう。
でも、本人が、否定すればするほど、周囲は「いや、彼こそがそれにふさわしい人間だ」と、ますます、崇めるのでしょうね。その謙虚さ・自信のなさは、結局、人への思いやりに繋がる偉大な行為なのでしょうね。どんな境遇になっても、それを鼻にかけず、奢り高ぶらず、かえって、謙虚になるような、そんな人こそ、これからの時代を背負って立つ、真の主役、真のリーダー、真の指導者なのでしょうね。
そういう意味で、益々謙虚に、自信の無さや頼りなさを発揮して、人から尊敬されるよりも、好かれる人であり続けて欲しいと願います。偉大な人で尊敬される人は多くいますが、好かれる人はなかなか少ないのです。特に、人気者になると、自分を忘れてしまう人も多く、そういう人は、直接その人を知る周囲の人々には、とても嫌われているというような、よく「ドーナツ現象」がおきてしまうものなのですね。要するに「裸の王様」現象に陥る…。
だけど、謙虚さや自信の無さを持つ人には、決してそういう現象は起こらない。いえ、かえって、それとは反対に、周囲の人々からは好かれるのです。それが、人間の心理というものなのでしょう。だから、別に謙虚さや自信の無さがなくても、傲慢や自信過剰でなければ、そこそこ人はついてくるものなのですね。でも、一旦、世間から注目を浴びてもて囃されると、我を忘れてしまい、まるで鬼の首でも取ったように、ふんぞり返って偉そばるものなのですね。愚かな人は…。そして、人気が下がれば、結局、周囲からも疎んじられ、忘れさられてしまう…。
そういうバカな人間ではないのが、「小栗旬」なのです。だから、今が、「小栗旬」の「旬」のトキなのですね。
どうか、あと半年、無事に大河ドラマを演じて頂きたいと願っております。小栗旬のいちファンの私としましては…。
そして、無事演じ終えた後には、謙虚で自信の無さで思いやり深い「小栗旬」が、以前のように、まるで何事もなかったかのように、存在する…。それが「小栗旬」という希少価値な俳優なのでしょう…。
因みに、小栗旬の「神名」は、無しなので、彼は、霊統よりも、血統の縁が強いので、家族の縁が強く、特に、父親との縁が強いので、長男的役割を担うでしょう。また、自分の家族に対しても大切にするため、家族思いで、子宝に恵まれる生き方は、正解なのですね。ますますの幸せと発展をお祈りします。彼の幸せは、家族が幸せであること…。
小栗旬、大好きです!
小栗旬、ガンバレ、いえ、自分なりに、ガンバレ!
でも、小栗旬の個性も、あまりにも、斜に構えすぎると、結構、ひねくれ者というか、嫌味な人間に映るのかも…。
なにごとも、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なので、ほどほどに…。
ありがとうございます!
笑顔で!
大丈夫!
幸せです! と、唱えましょう。